第18話:モフモフと朝ごはん

 第三エリア西門前に居を構える定食屋がある。


 広々とした店内は、今、これから仕事に出ようという男たちで溢れていた。そのほとんどは、農業地区で働く農夫たちである。丈夫な体だけが取り得と言わんばかりに腕をまくり、農作業で鍛えた自慢の体を衆目に晒している。


 むさ苦しい喧騒の中、奥にある四人席に七海は座っていた。


 店に入った直後は、強面の店主に嫌な顔をされたものだった。ボロボロの格好をしたサチョを見た店主は舌打ちして、何の用だと言わんばかりにのっそのっそと歩いてきた。が、七海の持つ金の腕輪を見た途端、その横暴な態度が一変した。


 店主は愛想笑いを振りまきながら何度も頭を下げ、比較的静かに過ごせるからという理由で、七海たちを奥の席へと案内した。

 そのあからさまな態度の違いは不愉快そのものであったが、店主は最後まで気づくことなく去って行った。


 その後ろ姿を見送り、着席した七海が大きなため息をつく。


「強者にへつらい、弱者を虐げる。どこへ行っても変わらないものだね」


「むきゅう?」


 膝の上に乗せたムー太が、暗雲立ち込める七海の顔を心配そうに見上げた。向かいの席に座るサチョも首を傾げながら、


「ナナちゃんどうしたのー? 具合でも悪い?」


 邪険に扱われた当人が、何でもないことのように振舞っているのだから、怒るに怒れない。けれど、それを当たり前だと思うのはやっぱり間違っている気がする。


 とはいえ、今、自分にできることと言えば、温かいご飯をお腹いっぱいに食べさせてあげることぐらいだ。雑念を振り払い、笑顔を作る。


「ううん、何でもないよ。もうすぐ料理がくるから、遠慮しないで食べるんだよ」


「うん! ありがとうー」


 足をバタバタさせながら、まだかまだかと待っているサチョを眺めていると、心に巣食っていた暗雲も晴れきた。それを見ていたムー太も楽しくなったのか、真似するようにボンボンをパタパタと動かし始める。


 子を持った親の心境はこんな感じなのだろうか、と七海は苦笑。差し詰め、サチョがお姉さんで、ムー太が弟だろうか。


 そんな事を考えていると、料理が到着。分厚い板で組まれた机の上へ順番に置かれていく。白い湯気と共に匂いが一面に広がり、食欲を大いに刺激されたのかムー太が嬉しそうに鳴いた。


「むきゅう」


 大皿に盛られた肉料理は、チャンダと呼ばれるベレナ地方の郷土料理である。じっくり煮込まれた肉はとろけるように柔らかく、酸味の効いた赤いソースと一緒に食べるのが通例だ。


 主食となるのはペタと呼ばれる芋料理。芋を蒸かして潰したところに、塩と香辛料をまぶしたシンプルなもの。地面に埋めておけば勝手に育つという理由から、開拓民の間では昔から主食として食べられている。


 目を輝かせてはいるものの、遠慮しているのかサチョは動こうとしない。そこで七海は、チャンダを小皿に取り分けてからサチョの前へと置いた。自分の分をも確保して、ペタの上へ肉を落とし、スプーンの先端で崩していく。


 煮込まれたブロック状の肉は、簡単に割れてしまい赤身の部分が露出する。肉片と芋を均等にスプーンに乗せて、口を大きく開けて放り込む。七海は「ふふん」と得意げに笑い、


「こうやって食べるんだよ。ほら、サチョもやってごらん」


 羨ましそうに眺めていたサチョは、その言葉で我へと返り、慣れない手付きでスプーンを操り口へと運んだ。途端に驚きに目を見開いて、彼女は幸せそうに言った。


「こんなにおいしい料理、食べるの初めてなの!」


 たどたどしくはあるけれど、一生懸命に料理を口に運んでいくサチョ。肉を取り落とし、ソースが跳ねてしまうが気にする様子もなく食べ進める。スプーンをぐーで持ちながら、その表情は真剣そのものだ。


 連れてきて良かったと、七海は心の底から思った。そして、何かを忘れているような気がして、頭をひねる。


 と、そこで。


「むきゅううう」


 不満そうというよりは悲しそうな響きでムー太が鳴いた。ボンボンを振り乱し、自分も食べたいと主張しているようだ。ムー太から見れば、二人だけで食べててずるいと言ったところだろう。


「ごめんごめん。すぐにあげるから落ち着いて。ほら、あーん」


 慌てて掬ったため、スプーンの積載容量ぎりぎりの大盛りが運ばれてしまった。ムー太の小さな口に収まるには、少し多すぎる量だ。失敗に気づき、七海がスプーンを戻そうとするより早く、ムー太が勇ましく鳴いてかぶりついた。


 どうやったのかは不明だが、その全てを頬張り、もむもむと咀嚼そしゃくを始める。頬をパンパンに膨らませ、少しずつ噛み砕きながら飲み込んでいるようだ。


 まったく手の掛かる子だと七海は笑う。が、それがまた良いのだと同時に思う。


 人里離れて世界を放浪するのは、自由で楽しい反面、寂しい部分があるのも否定できない。その孤独な心を癒してくれるムー太は、七海にとって貴重で尊い存在だ。一緒に居るだけで、その恩恵を享受できる。


「むきゅう!」


 満足げなムー太の側面を左手で撫でながら、おかわりを運んで食べさせる。


 七海が食事を取るのは、ムー太のお腹がいっぱいになってからだ。満腹になると睡眠を取る習性があるので、寝かしつけてから落ち着いて食事を取るのが、ここ数日間でできた習慣だった。


 滞りなくスプーンを運びながら、気になっていたことをサチョに問う。


「ねえ、サチョ。なんであんな夜遅くに出歩いていたの?」


 しかし、食べるのに夢中になっていたサチョの口の中は、肉でいっぱいのようですぐには話せない。困ったように目をパチパチとさせ、近くにあったコップを手に取るとぐいっと一気に水を飲む。


 喉を鳴らし、強制的に食べ物を洗い流す。ようやく一息ついて、サチョは口の周りを手の甲で拭いながら、


「おにいがね、お弁当忘れちゃったの。だからね、サチョが届けてあげたの」


「そうだったんだ。でもね、夜遅くに出歩くのは危ないよ」


「夕方に出たの。でも、サチョが思ってたより遠かったの。だから遅くなっちゃって、急いでたら転んじゃって……そしたら、むーちゃんが助けてくれたの!」


「むきゅう!」


 名前を呼ばれて、ムー太はどこか誇らしげだ。「偉い偉い」と頭を撫でて、話を続ける。


「そっか、大変だったんだね。遅くなって、お家の人とか心配してなかった?」


「んーん」


 悪びれる様子なく、サチョは首を横に振る。その余りにあっけらかんとする様を見て、七海は違和感を覚えた。


 頭に浮かんだのは、サチョを自宅まで送り届けたときの光景。家族は寝静まっていたのか、みすぼらしい小さな家には明かりが無かった。


 その時は、こっそり抜け出したものとばかり思っていたけれど、先ほどの話を踏まえて考えてみれば、その可能性が極めて低いとわかる。サチョが出かけたのは夕方であり、抜け出したことに気づかないまま、家族が寝静まったとは考えにくい。


 娘を探しに出ていたとも考えられるが、その場合、両親からこっぴどく叱られているはずだ。しかし、反省の色がないことからこの可能性も消える。つまり、


「もしかして、お兄さんと二人暮らしだったりする?」


「うん!」


 元気よく頷くサチョを見て、複雑な心境を抱くと同時、色々と合点がいくなと七海は納得。兄妹二人だけで生きていくのは大変で、栄養も満足に取れないから痩せ細っているのだ。継ぎ接ぎだらけの服を着ているのも、同じ理由。


 長椅子を端に詰め、右隣にスペースを開けて七海は言った。


「こっちにおいで」


「なんでー?」


 首を傾げるサチョを手招きして隣に座らせ、ピンクの頭を撫でつける。


「ご飯ちゃんと食べてる?」


「うん、毎日お芋を食べてるの。おにいが頑張って働いてくれてるの!」


 兄の勇士を讃えるように胸を張り、その視線の先には希望がある。

 彼女の気持ちを汲み取る形で、七海は頷き、


「お兄さんがしっかり守ってくれてるんだね」


「そうなの! お兄はがんばり屋さんで、サチョの騎士さまなの!」


 余程嬉しかったのか、顔を紅潮させながらサチョは首元へ両手を回した。紐をするすると引っ張り上げ、取り出したのはペンダント。それは開閉式になっていて、サチョが横にある突起を押すと外蓋が開いた。


 ロケットペンダントに内包されていたのは、小さな写真だった。魔法の念写を使って、何かの記念に撮ったのだろう。幸せそうな家族の絵がそこにはあった。


 柔和に微笑みかける銀髪の女性が中央に立ち、そのスカートの裾をちょこんと握りカメラ目線なのは、今よりも更に幼いサチョである。その横で気恥ずかしげにそっぽを向いている少年が、彼女の兄なのだろうか。父親の姿はない。


「お兄さんと、お母さん?」


「そうなの。お兄がね、これはママの形見だから大事に持っておきなさいって言うの。お兄はママが帰ってこないって言うけど、サチョは帰ってくると思うの!」


 母親の帰還を信じて疑わない真っ直ぐな視線。その想いに感化され、涙が零れそうになり視線を外す七海。と、


「むきゅう!」


 ずっと噛み続けていた肉を飲み込み、ムー太が元気よく鳴いた。どうしたのかと視線を下ろせば、嬉しそうに自身の髪飾りをボンボンにくっつけ、サチョの前に差し出している。七海は「ああ」と苦笑し、


「これはムー太の宝物で、母親代わりの人から貰った大切なものなんだよ。多分、同じだねって言いたいんだと思う」


「むきゅう!」


「むーちゃんも、サチョと同じなの! お揃いー!!」


 お互いの宝を見せ合い、意気投合する二人。髪飾りを頭に付けてポーズを決めるサチョ。ボンボンにペンダントを引っ掛けて、頭に乗せてみるムー太。すぐ目の前に家族写真が置かれる形となり、少年の顔がよりはっきりと視界に映る。


 そこで七海は気がついた。


(この子、どこかで見たような気がする)


 逆再生するように記憶を辿っていく。宿の従業員、街ですれ違った酔っ払い、各エリアの西門に居た兵士たち……。


「ああ、思い出した! 一番最初に会った兵士の子だ」


 写真に写る少年はまだ幼さが抜けていない。この写真と比べれば、西門で出会った少年は精悍な顔つきに成長していたけれど、目元鼻先を中心として顔立ちに面影がある。


 それに、サチョは先ほど、お弁当を届けに行ったら思ったより遠かったと言っていた。第五エリアから第三エリアまでは、七海の足でも片道二時間弱の距離だ。サチョの足で往復すれば、もっと掛かるだろう。


 自分の記憶が正しい裏づけを得て、きょとんとした顔のサチョに問う。


「ねえ、サチョ。お兄さんは、もしかして第五エリアの西門で警備のお仕事してるんじゃない?」


「うんとねー、西側の一番遠い壁の上だよー」


 第五エリアという単語がわからなかったのか、サチョは首をひねりながらそう答えた。どうやら、間違いないようだ。


 サチョの兄に対して、七海が印象的だったのは二つ。


 一つは、A級の冒険者に憧れているようで、尊敬の眼差しを送られたこと。

 もう一つは、仕事に対して前向きな姿勢で取り組んでいたこと。今にして思えば、サチョを養うための決意が込められていたのだろう。


「あのお兄さんなら、心配はいらないね。すごく立派に仕事してたんだから!」


「そうだよー。お兄はすごいの!」


 も当然という風にサチョは頷く。


 サチョは信じているのだ。兄の全てを。そこにあるのは信頼と尊敬だけ。


 痩せ細り満足に食事も取れていないサチョの境遇を不憫に思い、どうにか助けてあげられないものかと七海は思っていた。しかし、当の本人はそれを不幸だとは思っていないようだ。


 兄は妹のために懸命に働き、妹はそんな兄を慕い尊敬している。そんな二人の間に割って入って、例えばお金を分け与えるなんて真似をすれば、それは無粋以外の何者でもないだろう。


 余計な心配だったのかもしれない。

 キラキラと桃の瞳を輝かせるサチョに向けて七海は言った。


「さ、残ったご飯も食べちゃおうか」


「はーい!」


 再び料理と向き合い、格闘を始めたサチョ。


 それを眺めながら、ムー太の口へと料理を運ぶ。


 しばらくの間、静かな時が流れた。


 そして、ムー太が大きな欠伸をすれば、それは食事終了の合図だ。それを機に、今度は七海の食事タイムが始まる。少し冷めてしまっているけれど、まだまだ十二分に美味しい。


 サチョは「ごちそうさま」と手を合わせると、まどろむムー太を指先でちょいちょいと突っつき始めた。


 睡眠を妨害されたムー太は、迷惑そうに指先をぽふぽふと叩くのだが、サチョにはそれが伝わらず、今度は楽しそうにボンボンを突っつきだす。


 小さな子供は時として残酷だよね。などと、人事のように考える七海。困り顔でムー太が助けを求めてくるけれど、社会勉強だという建前のもと却下する。本音は、困っているムー太が可愛いからだったりするのだが。


 ムー太もサチョには甘いのか、本気で嫌がっていない様子だ。本当に嫌な場合、わたわたと暴れだすはずだけれど、その兆しは見られない。


「むきゅう……」


「むーちゃん、やわらかーい」


 大皿の料理を平らげ、食後の余韻に浸かりながら周囲を見回してみれば、いつの間にか店内は静かに落ち着いていた。農夫たちがみな仕事へ向かったからか、客足は疎らとなり喧騒も止んでいる。


 長居して嫌な顔をされるのも面倒だ。グラスの水を飲み干し、七海はムー太を抱えるために視線を落とした。「そろそろ行こうか」と、ムー太と戯れるサチョを促し、早々に立ち上がろうとする。が、


「よぉ、探したぜ」


 どかっと音を立てて、向かいの席に何者かが座った。

 許可も取らずに相席を果たした無礼者の方へ、目を向ける。


 そこには、鼻っ面に包帯をぐるぐる巻きにした青年が座っていた。欠けた前歯を覗かせて、やや捻くれた笑いを浮かべている。

 その他にも、体中には無数の包帯が巻かれているが、顔に巻かれた包帯は七海に負わされた傷を治療したものに間違いない。


 魔樹の森で出会ったときは、その赤い瞳に力強い戦意を灯していた。しかし今は、ムー太を睨んだりせず、七海だけに視線を寄越している。赤髪をガリガリと掻きながら、その青年――ロッカは口を開いた。


「そう警戒するなよ。少し聞きたいことがあるだけだ。って言っても無理か」


 そう言うと、ロッカは勝手に、自分の分の料理と飲み物を注文したのだった。

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