お菓子をくれないと、ぽふぽふしちゃうぞー!
二百坪を超える六角橋家の敷地はとても広い。
普段、サンダースの兄貴やクロと遊んでいる前庭の他に、ガーデニングスペースとなっている中庭、一家のイベントスペースとなっている裏庭がある。
裏庭には、日曜大工で作られた木製の大テーブルと長椅子がセットで置かれており、大人数が腰掛けることのできるこの場所で、季節の節目ごとにパーティを催すことが習わしなんだそうだ。
何でも今日は、ハロウィンパーティをするのだとかで、ムー太と七海は六角橋宅へ招待された。例の如く、ムー太は七海に抱かれている。
時刻は夕頃。周囲はだんだんと薄暗くなり始めたところ。
裏庭の大テーブルには、かぼちゃで作られたランタンが置かれていた。くり抜かれたかぼちゃの中に置かれた蝋燭の火が、かぼちゃの内部を照らすことで、鮮烈な橙の灯を
それはランタンでありながら、ランタンではないようだった。ランタンの役目は闇を払うことだが、ジャック・オー・ランタンは闇を払うのではなく、闇に同化し、浮き上がっているように見えたからだ。
とても興味深くはあるけれど、何だかちょっぴり不気味だった。
長椅子に腰掛けた七海の膝の上、つぶらな黒目を瞬きながら橙の鬼火を見つめるムー太の格好はハロウィン仕様。かぼちゃの帽子をかぶったオシャレさんである。七海お手製のオリジナルの帽子で、二本のボンボンをきちんと外へ出せるように作られている所がポイントだ。帽子に縫い付けられているのは、まんまるの目とギザギザの口。ボンボンをガオーッと立たせると、ジャック・オー・ランタンが怒っているように――見えなくもない。
七海は「帽子が良く似合っている」とか「とっても可愛い」だとか言って、ムー太のことをたくさん褒めてくれる。それが嬉しくて、ぽふぽふとじゃれ合っていると、紙袋を抱えた六角橋京子が勝手口から出て来るのが見えた。七海はムー太に目配せすると、獲物を捕捉した豹のような動きで立ち上がった。
ムー太も了解して、身構える。
京子が十分に近づくのを待ってから、七海が大きな声で合図した。
「ポフポフ・オア・トリート! だよ、ムー太!」
「むきゅうーっ!」
ムー太は教わった通り、ボンボンをガオーッと立たせた。
「ちょっと、ナナっち? どうしてまんまるくんを掲げているんだい?」
「お菓子をくれないと、ぽふぽふしちゃうぞー! それーっ!」
「むきゅう!」
ぽふぽふぽふぽふ、ぽふっ!
「ちょ、くすぐったいっしょ。わかったから、お菓子あげるから止めるっしょー」
逃げ出した六角橋京子を追いかけて、ムー太をけしかける七海が後に続く。万歳する形で持ち上げられたムー太のターゲットは、逃げる京子の頬や首筋の辺りである。鬼ごっこしているみたいでムー太は楽しい。
「ワンワン!」
と、主人の窮地を救うべく、サンダースの兄貴が間に割って入ってきた。
「む、強敵の出現ね。ほらムー太、サンダースにもぽふぽふしてあげるのよ」
「むきゅう?」
言われるままに、今度はサンダースの兄貴をぽふぽふする。
攻撃と呼ぶにしては、あまりに
「くうっ! サンダースまで
「ふっふっふ、サンダースはモフモフの手に落ちたわ。後は京子、あんただけよ」
「ちょっと待つっしょ。この飴玉が目に入らぬかー!」
「何と、それは!?」
「むきゅう!?」
京子が差し出したのは、カラフルな包みで覆われた丸い物体だった。
これは何だろう。甘い匂いがする。
ぽふぽふしたらお菓子が貰えると、七海に教わった。ならばきっと、これはムー太の知らないお菓子なのだろう。期待に体が膨らむ。
黒目を輝かせながら見上げると、目の合った七海が教えてくれた。
「飴はね、噛んだら駄目だよ。コロコローって味わいながら舐めるんだよ」
「むきゅう?」
舐めると聞いて思い浮かぶのは、夏場に食べたアイスクリームだ。飴玉というお菓子も、同じような食べ方をするのかもしれない。しかし、あんなに小さなものをボンボンに貼り付けて
七海は、京子から受け取ったカラフルな包装を解き、中に入っていた小さな玉をパクッと口に含むと、
「ほら、こうやって食べるの」
と言って、口の中で飴玉をカランコロンと動かした。
お手本を見せてくれたようだ。
「むきゅう!」
なるほど! 口の中で舐めるのか!
ムー太は真似して飴玉を口に含んだ。飴玉はとても甘かった。
そして言われた通り、その場でコロコロと転がることにした。視界が回転するので、味わうのが大変だ。
「え!? ちょっと、ムー太。何で転がってるの!?」
「うへー。喉に詰まるから危ないっしょ」
突然、大きな声で咎められて、ムー太はびっくりして停止した。
「むきゅう?」
どうして彼女達は驚いているのだろうか?
教えて貰った通り『
疑問符を浮かべていると、ポンッと手を打った七海がクスクス笑い出した。
「自分が転がるんじゃなくて口の中で転がすんだよ。ほら、コロコロって」
彼女は口を開けて、舌の上で飴玉を動かしてみせた。
そこまで説明してもらい、ようやくムー太は理解した。
ムー太はまるい→飴玉もまるい→ムー太はまるいので転がりやすい→つまり、飴玉も転がりやすい→地面が揺れるとムー太はコロコロ転がる→口の中で舌を揺らせば、飴玉も同じようにコロコロ転がる。そう、どちらもコロコロと転がるのだ。
「むきゅう!」
転がす対象を間違えてしまった!
自分が回る必要なんてなかったのだ。だったら味わうのも簡単だ。
「まったく、まんまるくんはいっつも奇抜な行動をするねぇ。言葉を理解しているようでいて、実は理解していないのではないか。賢いようでいて、その中身はぽんこつのようでもある。どっちなのかよくわからないっしょ」
「何言ってるの。ムー太は言葉を理解しているし、とっても賢いのよ」
「むきゅう!」
「はいはい、ナナっちはまんまるくんの事になると、客観視に欠けるっしょ」
「むきゅう……」
「気にしなくていいのよ、ムー太。ありのままで在る事こそが、ムー太の魅力なんだからね。失敗することも含めて、よ。例え、世界中の人達が後ろ指をさしたとしても、私だけはちゃんとわかってるんだからね」
「むきゅう!」
「あー! それだと何だか私が悪者みたいっしょー」
「実際、似たようなものでしょ。ムー太は傷つきやすいのよ」
「ぶー。だったら、名誉挽回の一手。行ってみるっしょー」
六角橋京子は、紙袋の中身をひっくり返し、大テーブルの上へ何かをドサーッと広げた。ムー太は気になって、長椅子の上から大テーブルへと飛び移る。と、そこにはお菓子の山が出来上がっていた。
「むきゅう!」
「おやおやー? 興味津々だね、まんまるくん」
「学校の帰りにね、京子と駄菓子屋の聖地に行って来たのよ」
「遠慮はいらないぜい。たくさん食べて、まるく太りな。げっへっへ」
「でも、早苗さんが料理を作ってくれているんでしょ? ほどほどにね、ムー太」
「あー、まーたナナっちはお母さんみたいなこと言うー」
二人の女の子は、ワイワイとおしゃべりを始めた。
ムー太はお菓子の山に興味津々だ。見たことのないお菓子ばかりが並んでいる。
凹凸の刻まれた細長い棒の中に入った蛍光色の強い謎の液体。
小さなプラスチック容器に規則正しく並べられた爪サイズのお餅。
お
早苗さんがよく吸っている煙草に似たお菓子。
鮮やかな赤い液体に入った梅干のようなもの。
竹串に巻きついたスルメイカ。
人参の形をした包装の中に米粒のようなものが入っているお菓子。
他にも、まだまだたくさん色取り取りだ。
ムー太は一人でも食べられそうな物から食べことにした。
嬉しそうに食べたいお菓子を掲げると、随時、七海が包装を開けてくれる。
スナック菓子を頬張る。バリバリ。
煙草に似たお菓子を頬張る。ボリボリ。
スルメイカに齧りつく。グニグニ。
普段食べるお菓子とは、どれを食べても一味違う。
一つ一つが小さくて、色々と試せるのも嬉しい。
ぽふぽふするだけでお菓子が貰える特別な日。
ムー太はすっかり、ハロウィンの虜になってしまった。
その後、早苗さんの手料理をみんなで食べた。
どの料理も美味しくて、特に、食後のデザートに出てきたカボチャパイは、甘くてホクホクでサクサクしていて最高だった。七海が作り方を聞いていたので、今度作ってくれるに違いないと、ムー太は秘かに期待している。
サンダースの兄貴も、いつもより豪勢なご飯を食べている。
そのおこぼれを貰いに来たクロが、七海に凝視されて【お地蔵さんの術】を使っているのはどういう事だろう。クロと一緒に遊びたかったけれど、ムー太はお腹がいっぱいで眠い。
夜も更け、ハロウィンパーティがお開きになる頃には、ムー太は夢の中にいた。
見ている夢は、七海に抱かれながら甘いお菓子を食べる夢。現実とそう変わりのない夢だった。そしてその寝顔は、現実でも夢の中でも、幸福に満ちていた。
ムー太は今日も、幸せだった。
きっと明日も幸せなのだろう。明後日も明々後日も……ずっとずっと。
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