ムー太はモフモフなので(おまけ編)

「ちょっと、ムー太!? しっかりして!」


 朦朧とする中、どこかで懐かしい声が聞こえた気がした。


「大変! 脱水症状? ううん、熱中症!?」


 誰かが体を揺すっている。

 力なく垂れたボンボンがゆらゆら揺れる。


(むきゅう……?)


 どうして自分はこんなにもぐったりしているのだろうか?

 混濁する意識を一つにまとめ、ムー太は懸命に思い出そうとした。


 しかし、頭が熱くてうまく集中できない。

 なぜ、熱いのだろう?

 そうだ。エアコンが止まってしまったのだ。

 力の源である【電気】をエリンに奪われて、エアコンは死んでしまった。

 後に残されたのは、蒸し風呂と化したリビングとムー太だけ。

 このままでは異常な暑さで倒れてしまう。そんな切羽詰った状況だった。

 だからムー太は怒ってみせた。ボンボンを荒ぶらせ、憤慨した。

 【電気】を返せー! と、抗議活動をしたのだ。

 そして体温と室温はみるみるうちに上昇していき……限界に達して倒れた。


 ……意識を失っていたらしい。


 とすると、今自分は、リビングに横たわっているということか。

 では、一体誰が体を揺すっているのだろう。

 心配そうに声を掛けてくれているのだろう。

 そこまで考えた瞬間、ムー太の意識は一気に覚醒した。


(むきゅう!)


 そんなの決まっている!

 ムー太が困っている時に駆けつけてくれるのは彼女しかいない。

 目を開けると、心配そうにこちらを覗き込む親友の姿があった。


「むきゅう」


 暑さで喉をやられたのか、かすれた声が出た。

 瞬間、ぎゅっと体を抱きしめられた。少し苦しい。


「良かった、目を覚ました! 大丈夫、ムー太?」


 天井を見上げると相変わらず蛍光灯は消えたままだった。

 リビングには、大きな窓から太陽の光が差しているので暗くはない。

 どのぐらい倒れていたのだろうか。ふと、疑問が生じた。


「むきゅう?」


 七海が帰って来るのは夕頃の予定だったはずだ。

 日の入り具合からして、まだお昼を過ぎた辺りだと思われる。

 どうして助け起こされているのだろうか?


 まるでその疑問を予知していたかのように、彼女は言った。


「停電になったから、嫌な予感がして急いで帰って来たのよ。でも良かった、私の勘ってよく当たるのよね」


 ムー太がにこりと微笑むと、彼女は優しく頭を撫でてくれた。


「こんなに暑いんじゃ辛かったよね。ごめんね」


 体に篭っていた熱が冷めつつある事に、そこでムー太は気が付いた。


「むきゅう?」


 よく周囲を観察してみれば、ムー太の周りには七海の展開した魔力が張られていた。冷気を帯びた稀有けうなる魔力である。必殺の冷気は今、絶妙なコントロールの元、ムー太の体を冷やすためだけに渦巻いている。

 地球に帰って来てからというもの、七海は極力、魔法を使わないようにしているようだった。それはおそらく、この世界ではそうする事が、最も自然であると彼女が判断したためだ。

 にも拘わらず、こうしてその禁を破り、当たり前のように助けてくれている。その事実が、ムー太にはとっても嬉しかった。


「むきゅう」


 ぽふぽふ、とお礼の代わりに頬を撫でる。

 しばらくじゃれ合っていると、体が冷却されて元気になってきた。

 そのことを肌で感じ取ったらしく、七海は浅く安堵の吐息を漏らすと、そっとムー太を床へ置いた。尚もムー太の頭を撫でながら彼女は立ち上がり、


「ちょっと待っててね。良いものがあるから」


 待つこと数分。また少し暑くなってきた頃。

 彼女が持ち帰ったのは、小さな風車だった。

 大きさはムー太よりも一回り小さい。すらりと伸びたミニチュアの塔から、四枚の羽が生えている。ただ奇妙な事に、風を受けて回る四枚の羽は、プラスチック製の檻の中に閉じ込められていた。


「むきゅう?」


 何か悪い事でもしたのだろうか?


 七海はミニ風車を持ち上げると、底の部分を何やらカチッと動かし、フタのようなものを取り外した。ムー太が興味深そうに体を傾げながら眺めていると、空洞が出来た底の部分へ金属製の筒のようなものを押し込んだ。何かが挟まる音。そして再びフタを施錠すると、七海はニッと快活な笑みを浮かべ、


「スイッチ、オーン!」


 ミニ風車下部に設置されていたボタンをポチッと押した。

 瞬間、ムー太の全身を風が吹き抜けた。


「むきゅう!?」


 体感温度が一気に下がる。

 ムー太は驚きと喜びで笑顔になった。


 四枚の羽が高速で回転し、強い風を生み出しているようだ。回転が速すぎて、一枚のお皿のように見えるのは不思議だった。風車はゆっくりと回るので、まるで正反対である。

 ムー太は「正反対」という言葉にピンと来た。風車は風を受けて動くけれど、もしかしてこの装置は風を生み出すために動いているのかもしれない。


「むきゅう!」


 画期的である!

 ムー太は賞賛の拍手をぽふぽふと送った。


「中学の時に図工の授業で作ったんだよ。扇風機なんて使う機会は無いと思ってたけど、乾電池で動くからこういう時には役に立つわね」


 白毛が風に流される。それはまるで、毛と毛の隙間に挟まった熱を洗い流してくれているかのようだ。事実、ムー太は暑さを感じていない。

 どうやら扇風機と呼ばれた装置は、エアコンと同じで涼しさを提供してくれるものらしい。また一つ賢くなってしまったムー太は、とってもご満悦だ。


 そんなムー太へ棒アイスが差し出された。


「はい、あげる。一緒に食べよ」


 乳白色の小ぶりな棒アイスで、ムー太でも一人で食べる事ができるタイプのものだ。七海は早くも自分の分をペロペロしている。ムー太は棒アイスをボンボンで受け取ると、負けじとペロペロし始めた。どちらが早く食べ終わるのか、競争だ。


 競うようにして二人でペロペロしていると、一つ問題が発生した。

 部屋が暑いせいだろう。いつもよりアイスが溶けるペースが早いのだ。


 ムー太の中でアイスとは【甘い水を凍らせたもの】という認識である。氷が熱に弱いように、その親戚であるアイスもまた熱に弱い。暑い部屋に居れば、それだけ早く【甘い水】へと戻ってしまうということだ。

 水に戻ってしまっては、美味しさも半減するというもの。それに【甘い水】はベトベトしているので、ボンボンが汚れてしまう。

 回避策としては、早く食べるしかないのだが……。


 と、そこでムー太は閃いた。


「むきゅう!」


 そうだ、だったらもう一度冷やせばいいのだ!

 ムー太は扇風機に向き直ると、松明のように棒アイスを掲げた。




 ◇◇◇◇◇


 突如、扇風機に向かって棒アイスを突き出し、ぐいぐいと近づけ始めたムー太を見た時、一体何を始めたのだろうかと七海は首を捻った。しかし、すぐにその意図を看破すると、今度は喉の奥から笑いが込み上げてきた。

 クスクスと忍び笑いを漏らしていると、ムー太が不思議そうにこちらを振り返った。どう教えてあげたものかと思い、迷った末に七海は訊いた。


「何してるのかな、ムー太?」


 その問いが功を奏したのか、ムー太はどこか誇らしげに胸を張った。棒アイスで扇風機を指し、嬉しそうに「むきゅう」と一鳴き。何を言いたいのか、七海には手に取るようにわかった。

 ポンポンとモフモフの頭を撫でながら、さりげなくムー太が持っている棒アイスへ魔力を送り込み、秘密裏に冷却し直す。


 ムー太はきっとこう考えたのだ。


 扇風機は涼しい。

 つまり、体が冷える。

 だったら、アイスも冷やせるんじゃないか。


 と。


 ただ残念な事に、風によって下がるのは温度ではなく体感温度の方なのだ。つまり、いくら風に当ててもアイスが冷える事はないのである。それどころか反対に風によって熱が送り込まれ、より早く溶けてしまう恐れさえある。

 ゆえに七海は、一先ず判断を保留し、アイスを冷却させたのだった。

 扇風機でアイスを冷やすムー太をもう少し見ていたくて。


 ムー太が真実を知るのは、もう少し先の事になりそうだ。

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