第27話:モフモフと異世界からやって来た英雄3

 魔力は血液のように体内を巡っており、必要な分だけ放出して魔法の燃料として使われるのが一般的である。魔力自体にもいくらかの反発力はあるものの、普通はこれを戦いに使ったりはしない。


 なぜならば、魔力を直に放出しての戦闘は非常に燃費が悪いからだ。魔力をぶつけて戦闘を継続すれば、非常に短い時間でガス欠に陥ることだろう。必要な分だけ魔力を消費する魔法と比べると、燃費という面で圧倒的に不利なのだ。


 そうとは知らない七海は、怒りに任せて魔力を全力で放出しながら魔族をぶん殴った。確かに、魔力をまとっていれば重量で勝る魔族に一矢を報いることは可能だろう。


 とはいえ、彼女に前述の知識はなく、魔力を放出しているという実感もなかった。湧き上がる怒りに任せて、ただがむしゃらに暴れただけだ。普通ならば、すぐに魔力は枯渇していたことだろう。そして待っているのは、確実な死だけである。


 しかし、七海は普通ではなかった。天から与えられたとしか思えないほどの圧倒的な力。天賦の才と呼ぶに相応しい才能を彼女は持っていたのだ。


 第一に、彼女の内包する魔力は桁外れであり、人間の限界を優に超えていた。そのため、いくら魔力を放出しても簡単に尽きることはなかった。

 第二に、彼女の魔力は冷気を帯びていた。通常、魔力に属性なんてものは存在しないのだが、どういうわけか彼女の魔力は冷属性が付与されていたのである。それも、放出する魔力量に比例して冷気の純度も上がるというオマケ付きで。


 二つの条件が合わさることで、魔力単体での攻撃が可能となった。もはや、魔力は燃料としてではなく、最強の攻撃手段へと昇華されたのである。


 事実、広場に居た魔族は次々に倒されていき、いとも簡単に全滅してしまった。氷塊となって粉々に砕け散った魔族の姿は、もはや塵すらも残っていない。後には、鬼神の如き形相で仁王立ちする七海が一人だけ。


「仇は取れた。でも、ソニアさんはもう……」


 砂埃を巻き上げながら風が渦を巻き天へと昇っていく。それを見上げて放心する七海の心には虚しさだけが募る。


 見回せば、集落の大部分の家が程度の差こそあるものの、廃墟のように崩れてしまっている。中には大きな風穴が開いてしまった民家もあって、まるで自分の心のようだと七海は思った。


 しかし、いつまでも悲観に暮れているわけにはいかない。七海はどうにか体を持ち上げると、重い足取りで第二の我が家へと引き返していった。


 家に戻ると、安らかに眠るソニアに最後の別れを告げて、村外れにある小高い丘に亡骸を埋めた。小ぶりの形のいい石を墓石に据えて、墓前にはソニアの好きだった淡い紫の花を添えた。そして七海は一晩中泣き続けた。


 次の日になると、逃げ出した村人がぽつぽつと戻り始めた。初めは様子見で少数だった村人も、安全が確認されるに連れて続々と帰還を果たした。けれど、村の人口は半数以下に激減していた。


 犠牲者の埋葬を村人総出で行い、葬儀が一段落した頃。七海は旅へ出ることに決めて、いくらか世話になった隣のおじさんの家を訪れた。


 大破したドアの前でおじさんに別れを告げる。


「今までお世話になりました。私は今日、村を出ます」


「なんだって、どうしてまた突然に」


 不眠不休で埋葬に奔走していたおじさんは、くまのできた目をこれでもかというほど見開いた。


 七海は淡々と告げる。


「私には、果たすべき使命ができたんです」


「ちょ、ちょっと待ちなさい。確かにソニアさんのことは気の毒だった。家族全員無事だった俺が言うのもなんだが、しかし……やけになっちゃいかんぞ」


 なにを勘違いしたのか、おじさんはそう諭す。


 この時、七海はすでに決意していた。ソニアが最後に残した言葉、それを叶えるために生きようと。そうすれば、少しは恩を返せる気がしたからだ。


「私には不思議な力があるみたいなんです。だから、この力を有効に使って世界を平和にしてみせます。それが、ソニアさんの願いでもあったから」


 より一層、おじさんは顔の彫りを深くして困惑顔になった。


「君は普通の女の子だ、命を粗末にしちゃいけない。そういうことは騎士様に任せておきなさい。だいたい、村を出てどこへ行こうって言うんだね」


「ひとまず、王都を目指します。魔法の勉強をしたいんです。大丈夫、心配には及びません。村を襲った魔族を倒したのも私なんですよ。信じられないかもしれないけど」


「なぁ、ナナミくん。居場所がないなら、うちに来ればいいじゃないか。ソニアさんとまでいかなくとも、家内はなかなか面倒見がいいんだ」


「お気持ちはありがたいですが、もう決めたんです。ごめんなさい」


 あの手この手で説得を試みていたおじさんだったが、頑なに譲ろうとしない七海を前に、とうとう諦めたのか大きなため息をついて、


「わかった。そこまで決意が固いなら、俺はもう何も言わない。しかし、くれぐれも無茶はするんじゃないぞ。天国にいるソニアさんも悲しむだろうからな」


「はい、心配してくれているのはわかっているつもりです。お世話になりました」


 深々と頭を下げて、踵を返す。振り返ったりしない。


 歩きながら目を瞑る。そうすると今でも聴こえる。


 ――世界から争いが無くなればいいんにねえ


 死の間際だというのに世界平和を願ったソニア。その優しくも儚い呟きが耳からくっ付いて離れない。そして、ソニアの本当の願いに七海は気づけていない。ソニアの遺した最後の言葉に続きがあったことを、この時の彼女は失念していた。


 ――ナナミちゃんは幸せになるんよ


 ソニアの一番の願いはここに集約されていた。が、恩を返せなかったことで七海は無意識のうちに、自分の幸せを軽視してしまった。結果、"世界平和を願っていた"という部分のみが心に残ったのだ。


 それはもはや、信仰にも似た使命感だった。偉大なソニアの意志を継ぐという崇高な目的意識。世界平和のために、魔王を討伐するという誰も成し遂げたことのない偉業を目指す。


 異世界に迷い込む寸前に聞こえた、魔王を討滅してくれという謎の声。奇しくも、その希望を聞き届ける形となるのだが、この時の七海はそのことを綺麗さっぱり忘れていた。


 そしてそれは、潰えることなく完遂されることとなる。


 後の英雄は、悲しみと供に旅立った。




 ◇◇◇◇◇


 七海の人生は波乱に満ちていた。


 その全てを語りだしたらキリがないだろう。ただ一つ言えることは、彼女が本物の天才であったということだ。


 常人が十年掛けて習得する魔法を僅か三日で習得した。と言えば、その凄さが伝わるだろうか。彼女の才能は稀有なる魔力だけに留まらず、魔法の分野にまで及んでいたのである。


 七海の創り出した新たな魔法理論は多肢に渡り、その内の一つが空間固定の魔法である。それらの魔法理論は、大魔導師を驚かせ、唸らせ、そして最後には称賛にまで至らせる完璧なものであった。


 彼女の前では並の魔族など相手にならず、魔将でさえも問題なく倒してのけた。単騎での隠密行動を得意とし、基本的に仲間は作らないまま戦い続けた。そうして悲願だった魔王討伐を成し遂げたのは、旅に出てから一年後のことだった。


 そして、魔王との一騎打ちで瀕死の重症を負った七海は療養を余儀なくされる。


 療養と言っても魔族領の真っ只中だったので、治療を受けることはできない。しかも、神聖魔法に属する回復魔法は、七海であっても使うことができない。

 そこで苦肉の策。まずは周囲に結界を張って安全を確保。次に自らを氷で覆って仮死状態とし、自己修復を可能とする魔法式を即席で組み上げて窮地を凌いだ。


 しかし、自己修復魔法は不完全だったので、完治するまでに長い歳月が必要となってしまった。それゆえ、次に目覚めたのは三十年後だった。


 長い療養生活を終えて(と言っても、仮死状態で眠っていたのでその実感はない)結界の外に出てみると、魔族領であるにも関わらず周囲に魔族の姿はなかった。状況を把握するべく、一番近い人間の街まで戻る。


 街で集めた情報をまとめると、魔王軍は北方にある本拠地まで撤退したらしかった。魔王を討たれたことで、さぞかし魔族たちは混乱したことだろう。撤退するのもやむなしである。

 魔王軍が混乱の渦中にあった時こそが、魔族を殲滅する千載一遇の好機だったはずだ。そのチャンスに眠っていたことを残念に思う一方で、これでようやく平和が訪れたのだなと思った。


 七海が魔王を討ったと知る者は誰もいない。いや、そもそも、魔王が討伐済みであることさえ知らないだろう。その功績は誰にも認められず、讃えられることは決してない。


 けれど、それで構わないと思う。ソニアの墓前に報告できればそれでいい。胸を張って鼻高々に報告しよう。そう思った。


 意気揚々とベレナ村へ足を運ぶ。まるで故郷に帰るときのような懐かしい気持ち。村は変わりないだろうか、それとも様変わりしてしまっているのだろうか。

 何せ三十年である。村が発展して街になっていても不思議ではない。自分を覚えている人間はいるだろうか。期待と不安が入り混じり、自然と足が早まった。


 しかし、ベレナ村へ至る道は封鎖されていた。屈強な兵士たちが物々しい関所を設けて通行止めにしているのである。

 とはいえ、魔王軍相手に一人で戦いを挑んだ七海にとって、人間の建てた関所を強行突破するぐらいなんてことはない。が、彼女はベレナ村への帰還を諦めることになる。


 というのも、情報収集のために立ち寄った宿屋でのことだ。あっさりと封鎖の理由が明らかとなり、しかし、七海は驚きから大声を出した。


「じゃあ、人間同士で争ってるんですか!?」


 情報を提供してくれた恰幅の良い宿屋の女将さんは、七海の剣幕に驚いたようだった。


 女将さんの話をまとめるとこうだ。地方の貴族同士が領土問題で諍いを始め、それが次第に大きくなっていき遂には戦争に至ってしまった。更に周辺の貴族がその戦争に相乗りする形となり、戦争は長期化しているのだという。


 七海に落ち着くように促してから、女将さんが愚痴混じりに言う。


「国が仲裁してくれればいいんだけど、王様は知らぬ存ぜぬと耳を塞いじゃっててねえ。地方貴族が力を付けすぎちゃって、頭が上がらないんだってもっぱらの噂だよ。はぁ、客足も落ちちゃって生活が苦しいのよねえ」


「そんな……私はなんのために……」


 全身の力が抜けてしまい、七海はへなへなと座り込んだ。


 魔王を討てば世界は平和になるものだと信じていた。諸悪の根源は魔族にあり、人間はその被害者なのだと思い込んでいた。しかし、現実はそう単純にできていなかった。


 七海の目的は"世界を平和にする"ことであり、"魔族を殲滅する"ことはその手段でしかない。魔族の脅威がなくなった途端、人間同士で争い始めてはまったく意味がないのである。むしろ、魔族の脅威に晒されていた時の方が、一致団結して立ち向かっていただけマシだったように思える。


 結局、戦争となれば多くの人間が死んでいくことになる。弱者が強者に踏みにじられるという構図は変わらず、違いがあるとすれば魔族に殺されるか、人間に殺されるかの違いでしかない。


 そう悟った時、七海は戦う理由を失った。


 ベレナ村に戻ってソニアの墓前で報告する? 一体なにを報告するというのだ。人間同士が争う世界を作りました、とでも言うつもりだったのか。魔族の脅威から救った命は数多くあれど、新たに発生した人間同士の争いによって失われる命もまた数多いのだ。


 彼女はそのように考えたが、事実は少しだけ違う。魔王を討伐し、魔族の脅威が遠のいたことから人間の領土は少しずつ拡大していった。それに合わせて人々の生活水準は高まり、飢えに苦しむ人々は確実に減っていったのだ。

 また、以前にアヴァンが言った通り、魔族の脅威がなくなったことで冒険者たちは外の世界へと旅立っていった。現在、冒険者の時代を迎えることができているのは、七海の成し遂げた偉業があればこそなのである。


 そうとは知らない七海は、人間に失望し、魔族との戦いを止めてしまった。これ以上の失望を恐れ、人里離れた地を自由気ままに放浪することにしたのだ。そしてその後、初めてムー太と出会うことになる。

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