第23話:モフモフと初めての依頼
「まさか、わしが代償を支払うことになるとはのう……」
ムー太の視線の先、折れた短剣を鞘へと戻し、ギールがそんな愚痴をこぼした。
「これでS級討伐の証明が済んだってことでいいですよね」
控えめに七海が問うと、ギールが初めて苦笑を返した。
「赤竜はS級の魔物などではない。わしらの力では等級の測定も叶わぬ規格外の魔物じゃよ。人間では絶対に勝てぬという常識を、お嬢さんは打ち破った。見事と評する以外に言葉が見つからん」
「じゃあ、合格ってことですよね。アヴァンの件も不問ってことですよね」
「もちろんじゃ。できることなら、わしの腕輪を譲りたいぐらいじゃわい」
「よかった……」
安堵から胸を撫で下ろす七海に、巨大なテーブルの周りに置かれた椅子を一つ引き、ギールが着席を勧めた。七海が礼を言って腰を下ろすと、自らも手近な椅子へと腰掛けて、感慨深そうに言った。
「世の中は広いものじゃ。これほどの逸材が、こんな辺境の地に埋もれておるとはのう。長い人生の中で、天才と呼ばれる者たちと出会ってきたが、お嬢さんに比べれば凡人だったということじゃな」
突然、ムー太はぎゅっとされた。見上げれば、赤面した七海が俯いている。彼女は俯いたまま気恥ずかしげに、
「やめてください。少し器用なだけです」
そこでようやく、ムー太は理解した。どうやら七海は"すごい"らしい。肝心のどのぐらい"すごい"のか、に関してはわからない。だけれども、七海が褒められると、なぜだか自分が褒められているような気がして、嬉しくなってしまう。
だからムー太は、自分の実績を誇ったりしない控えめな少女の代わりに、胸を張るように体を反らし、ボンボンでぽふっとお腹を叩いて、自慢するように鳴いた。
「むきゅう!」
その意図が伝わったのかは不明だが、彼女は笑ってくれた。
「大人しく待ってたもんね。よしよし、ムー太は良い子だね」
「むきゅう?」
七海を褒め称える時間だったはずなのに、いつの間にか自分が褒められていることにムー太は疑問符を浮かべる。けれども、それはそれで嬉しいので同意するように頷いておく。
気がつけば、ロッカとミスティの姿は部屋から消えていた。ムー太は二人のことがまだ少し怖いので、秘かに胸を撫で下ろした。
目の前に座る老人は、敵意を発していないのに殺気を放ってくる変な人だ。最初は怖い人なのかと思ったけれど、今は穏やかな表情を浮かべていて、特に怖いとは思わない。
つぶらな黒目を瞬いて、皺だらけの顔を観察する。すると、老人は微笑んで再び口を開いた。
「お嬢さんに、話しておかなければならないことがいくつか、ある」
「なんでしょうか?」
「むきゅう?」
七海が首を傾げたので、ムー太も真似して傾けてみる。彼女と同じ動作をすることで、身も心も一緒に居られるような気がする。だからムー太は、二人の絆をより深めるために七海を真似るのだ。
一心同体となった二人に問われ、ギールは少し目を丸くして「ふむ」と頷いた。続けて、
「A級の冒険者には様々な特権が与えられている。例えば、補給を優先的に受けられる権利であったり、相応な理由さえあれば衛兵を動かすことだって可能じゃ」
「はい、この子を連れて街に入れるのも、そのおかげだとか」
「うむ。ただし、大きな権利を得るのと引き換えに、果たさなければならない義務が発生する。お嬢さんも、今日からA級の冒険者になるわけじゃから、当然その義務を背負うことになる」
「どのような義務でしょうか」
「冒険者の権利は街に滞在している時に享受するものが多い。ゆえに、滞在中の街が魔物や魔族に襲われた場合、命を懸けて守らなければならない。相手がどのような強敵であろうとも、じゃ」
ふいに、ボンボンがピンッと指先で弾かれた。振り子のように行って戻ってきたボンボンを、またもやピンッと弾かれ、再び送り出される。
何するの、と言いたげにムー太が見上げると、今度は反対側のボンボンをピンッと弾かれた。左右のボンボンが交互に揺れて、太鼓を叩くように前後する。
困惑するムー太を眺めながら七海は微笑み、
「どちらにせよ、ムー太が助けてあげてってお願いするんです。だから私は、冒険者の証があろうとなかろうと助けるんだと思います。それが街じゃなくて村であっても、です」
ムー太が助けてあげたいと思うのは、なにも人間だけとは限らない。それは主に力の弱い方、困っている方を助けたいと思うだろう。従って、人間が襲われているのなら、きっと人間を助けてあげたいと思うに違いない。だからムー太は同意するように鳴いた。
立派な白髭を撫でながら、ギールが満足げに頷く。
「アヴァンの奴も、それから先程まで居たロッカやミスティも、お嬢さんと同じでな。義務の外にあることでさえも、積極的に取り組む正義感のある若者たちなんじゃよ。また一人、有望なA級冒険者が増えた……喜ばしいことじゃわい」
「そうなんですか。でも、アヴァンは度が過ぎると思います。お人好しというか、格好つけすぎというか……何を考えているのかわかりません」
納得いかない様子の七海が口を尖らせる。
それを見たムー太も慌てて口を尖らせる。
老人は目を丸くしてから「ほっほっほ」と愉快そうに笑い、再びその目を細めると確認するように言った。
「それはそうと、お譲さん。その大事そうに抱えた魔物の件で、国と揉めることになったとしても、冒険者ギルドとしては知らぬ存ぜぬを貫くこととする。よろしいかな?」
「つまり、見逃してくれるってことですね」
「ほっほっほ、赤竜を討伐してしまう化け物を捕らえようなんて、自殺行為にも程があるわい。国を敵に回すのはごめんじゃが、お嬢さんを敵に回すのはもっとごめんじゃ。そもそも、王女のワガママに付き合う義理もないしのう」
「化け物って……それは少し心外です。でも、ありがとうございます」
七海が礼を言って頭を下げると、歳を感じさせない所作で老人が立ち上がった。執務机まで歩んで行き、引き出しから金の腕輪を取り出す。再び戻ってきて、七海にそれを差し出した。
「これはお嬢さんの分じゃ。アヴァンにはお嬢さんの方から、返してやってくれ」
腕輪を受け取るために、ムー太は巨大なテーブルの上にポンッと置かれた。
お尻がひやりと冷たい。
せっかく自由になったので、お腹をもじもじと動かして机の上を移動してみる。足を怪我したサチョがやって見せた、お尻を使っての後退り。そこからヒントを得て考案された、新しい歩法なのである。小回りを利かせるにはピッタリだ。
前方に古びた地図を発見して、興味を引かれたムー太は、蓑虫のようにもじもじと前進を開始した。けれど、あと一歩というところで体が宙に浮いて、柔らかな胸の中へ押し込まれてしまった。
不満げにムー太が鳴くと、
「ダメだよ、ムー太。私の傍を離れたら守ってあげられないでしょう」
「むきゅううう」
それでもボンボンをわたわたと動かしていると、テーブルの上に広げられた古びた地図に七海も気がついたようだ。歩み寄り、あごに人差し指を当てて考える仕草を作る。
「少し古い地図みたいだね。ルカスがまだ小さいや」
小さな円が一つあり、その中には『ルカス』と文字が書かれている。周りは草原に囲まれていて、西には魔樹の森、南には山脈、東には荒野が広がっている。すぐ近くで見れてムー太は満足。すると、老人が補足するように口を開いた。
「東に行くと荒野があるが、更に東に進むと山脈があるじゃろう。挑戦した冒険者が誰一人として帰って来なかったことから、"死の山脈"などと呼ばれておる。ゆえにその先の地図は空白となっているんじゃ」
確か自分が進むべき方角も、東ではなかったか。そんなムー太の疑問を解消するように七海が言った。
「私たちが目指しているのも東なんです。もしかしたら、その山脈を越えることになるかも」
「ふむ……近年に入ってから挑戦する者の途絶えた曰く付きの山脈に挑戦するのか。なるほど、お嬢さんなら生還できるかもしれん」
そこまで口にして、ふいにギールの動きが固まった。硬直したまま何事かを思案して、そして一人納得するように頷いた。怪訝に眉をひそめる七海に向き直り、
「A級冒険者ナナミに、冒険者ギルド・ルカス支部代表として依頼を出したい。死の山脈で冒険者が消息を絶った理由、それを調べてもらいたい。もちろん、十分な報酬は約束しよう」
通りすがりの任務である。もちろん引き受けるかに思われたが、七海は申し訳なさそうに首を横に振った。
「調査ってことは報告する必要がありますよね。でも、私たちの目的地は、どこというのが明確になっていないんです。死の山脈を越えて、更に東へ進む必要があるかもしれません。だから、報告のために戻ることは避けたいんです」
それは逆走を嫌がるムー太のことを想っての意見だった。
すぐにそうだと理解し、感謝を込めて彼女の頬をぽふぽふ、と叩く。
ギールは「なるほど」と頷き、長く伸びた顎鬚を撫でながらしばらく黙考した。そして、
「ならば、調査員はこちらで用意しよう。お嬢さんには、その調査員の護衛を頼みたい。これならどうじゃ?」
「そこまで譲歩してもらえるなら、お引き受けします。それと私の方からも、依頼システムについて質問があるんですけど」
言いながら、七海はぐにぐにとムー太をこねくり回した。
◇◇◇◇◇
アヴァンは憂鬱だった。
A級冒険者は何かと目立つ存在だ。
と言っても、まさか七海の存在が一日で噂になるとは思わなかった。
胸に魔物を抱いた若くて可愛い女の子、というのが目立った理由なのだろう。こうなってしまっては、支部長の立場からして見て見ぬ振りはできない。降格の処分が下ることだろう。
とはいえ、これは自分で決めたことなのだ。その責はもちろん、自分自身で負わなければならない。大きく息を吸い、覚悟を決めると冒険者ギルドの扉を開けた。
瞬間、胸元を何者かに掴まれ、ぐいっと強制的に頭一つ分だけ下方に引き寄せられた。
「無茶ばっかりして! 私、すごく心配したんだからね!?」
無防備な顔に叩き付けられた怒声。その主の顔がすぐ目の前に迫っており、アヴァンは動揺から目を大きく見開いた。
「な、な、なんでナナミがここに!?」
「なんで、じゃないよ。もう!」
予想もしなかった不意打ちに、アヴァンは目を白黒させたが、状況が明らかになるに連れてその混乱は更に増すこととなった。
少し体を動かせば触れてしまう位置に、形のいい薄桃色の唇がある。怒りに尖らせたそれは、眩暈がするほど眩しかった。
抗議の色が滲んだ黒い瞳。困ったような曲線を描く眉毛。控えめで小さい鼻。それらのパーツが合わさって構成される像は、まるで女神さながら神聖なもののような気がして、直視するのが憚られる。
耳を起点として熱が顔全体に広がり、一瞬にして赤面したアヴァンはとっさに視線を外してそっぽを向いた。それが気に入らなかったのか、七海は尚更に唇を尖らせて、
「ちょっと、聞いてるの!?」
不機嫌な七海の顔が、更にドアップになる。アヴァンは身を仰け反らせながら、
「わかった。わかったから……一旦、落ち着いてくれ」
「じゃあ、聞くけど。何がわかったのよ」
「えー……それは……」
「わかってないじゃないの!」
火に油を注いでしまい、アヴァンは焦る。
二人にサンドイッチされる形で半分潰れていたマフマフが、そんなアヴァンを眺めながら嬉しそうに鳴いて、ぽふぽふと音の鳴らない拍手を送ってきた。俺は泣きたい気分だよ、とアヴァンは思った。
七海がなぜ怒っているのか、アヴァンにはてんで見当がつかない。その上、彼女の顔が目の前にあるものだから、緊張してしまって上手く話せない。
そんな調子だから、この天国なのか地獄なのかわからない状態はしばらく続いた。そして、
「あー、もう! これから一緒に旅をするんだから、もう少しはっきり話してよね。意思疎通ができないんじゃ、先が思いやられるよ」
ようやく解放されると同時に、予想もしていなかったサプライズを貰い、アヴァンはポカンと口を開けて首を捻ることしかできなかった。
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