名誉挽回の処方箋 最終話
季節は春も終わり、初夏に差し掛かろうかという頃。
恒例となっている昼休みの京子のお弁当のコーナー。
その日、京子にしては珍しく、通いの家政婦さんが作ったお弁当ではなく、市販のカップやきそばを持参していた。しかも、ただのカップやきそばではない。そのサイズは通常の8倍! メガ盛りサイズなのである。
どこから調達してきたのか不明のお湯を捨ててくると、京子は早速すばばばばっと豪快に食べ始めた。見ているだけで胃もたれしそうである。
青のりを唇にくっつけながら京子が興奮気味に言った。
「そういえば、昨日MKOのフレンドだった子から連絡が来て、久しぶりにINしてきたっしょ」
椿姫はまだムー太の農場を訪れていない。
私は複雑な心境だった。
「蒼天騎士団vsまったり峠茶屋。どうなったかわかる?」
京子はムー太よりも膨らんだ頬をもぐんもぐんとやりながら、カッと目を見開いた。ゴクンと大きく喉を鳴らして、
「それがなんと――」
そこで京子は大きく息を吸い込んだ。
やけに長い溜めを作る。
そして大きな声で宣言した。
「蒼天騎士団は解散しましたー!」
「え?」
顎に乗せていた手がずるっと落ちる。
予想外の回答に一瞬、頭に空白が生まれた。
「つまりどういうこと」
「まったり峠茶屋の完全勝利ってことっしょ!」
その時の気持ちをなんと表現したらいいのだろう。
胸が熱くなっただけでは足りない気がする。もっと心の内から歓喜のようなものが爆発して溢れ出てくる感覚。熱が顔に抜けていって目頭に到達、ツンとしたものが残った。
「しかも、驚くのはまだ早いっしょ! なんと! まったり峠茶屋はギルドメンバーが五人しかいない超少数精鋭だったのです」
「え? たった五人で、50人を相手に勝ったってこと?」
ギルドの定員は五十人まで。当然、鯖最強であった蒼天騎士団は上限の五十人を有していたはずである。それをたった五人で倒したとはにわかには信じがたい。
椿姫の言葉が蘇る。
――PKは執念深いほうが勝つようにできてる。
――それに人数が多いのも一長一短。不利に働くこともある。
先程感じた以上の高揚を私は感じた。
「もっと。もっと詳しく話せる?」
京子はよくぞ聞いてくれましたとばかりに、にんまり笑う。
「まず前提として、彼らは只者じゃなかったっしょ。簡単にいうと、彼らは全員が格ゲーの元世界ランカーたちで、その繋がりでMKOを一緒に始めたらしいっしょ。要するにめちゃくちゃゲームがうまい」
椿姫の尋常ならざる動きを思い出す。
彼女の技能が際立って高いことは素人の私にも理解することができた。
あのレベルが五人もいれば、それは相当な戦力になりうるだろう。
しかし、数の暴力の前では椿姫も成すすべなくやられていた。
「数の暴力をどうやって克服したというの」
「克服はしてないっしょ」
あっさり否定される。
京子はにやにやと笑いながら「や、わたしも驚いた口なんだけどね」と前置きしてから、
「前に、蒼天騎士団には強硬派と穏健派がいるって話をしたと思うんだけど、まったり峠茶屋はこのどちらか片方に絞って攻撃を加えました。さて、どちらの派閥を攻撃したでしょう?」
私たちをPKしてきたのは、おそらくPKを推奨している強硬派の人たちだろう。ならば、強硬派を攻撃するのが筋のような気がする。
しかし、今は数の暴力をどうやって覆したのかという話の延長上、つまり、まったり峠茶屋がとった戦略の話をしているはずである。ならば、そこには必ず合理的な利点がなければならない。
まず、穏健派を攻撃するメリットを考えてみる。
穏健派はPKには参加せずに、モンスターを倒してレベルを上げ、強くなることをゲームの目標としている人たちのことだ。その練度は強硬派よりも高く、鯖でも五指に入るプレイヤーの内、三名はこの穏健派に属している。(京子談)
当然のことだが、穏健派を攻撃した場合は、その報復に強硬派までもが乗り出してくる。つまりは、最初に話した5vs50が実現することになる。しかも穏健派には、鯖を代表するようなプレイヤーが多数在籍しているから、わざわざ敵に回すメリットはない。
次に、強硬派を攻撃するメリットを考えてみる。
強硬派は積極的にPKを行っている問題児とも呼べるプレイヤーが集まっている。練度は高いものの、穏健派と比べたらワンランク落ちるらしい。そしてここが肝心なのだが、強硬派を攻撃した場合、穏健派が報復に来るとは限らない。うまくいけば5vs25で戦うことができる。いや全く援軍を送らないというのは角が立つから、実際は5vs30とか5vs35ぐらいにはなるか。でも、それでも。
「断然、強硬派だと思うけど」
「ぶっぶー!」
自信満々に答えたら、即刻否定された。
解せなかった。理にかなっていない。
「わざわざ穏健派を攻撃した? なんで!?」
「まずナナっちが知らない前提があるっしょ。ではここでまた問題です。レベル90のプレイヤーが1レベル上げるために必要な時間は何時間でしょーか!」
全然、想像がつかない。
自分の場合は、最終的にプレイヤーレベルは60。1レベル上げるのにだいたい3~4時間ぐらいだったように記憶している。とすると、レベル90は1.5倍だから4.5~6時間ぐらい。レベルが上がるにつれて経験値の傾斜は上がっていくから、それも考慮して多めに見積もると、
「10時間ぐらい?」
「ぶっぶー! 正解は200時間でしたー!」
「えー!?」
「穏健派は全員がレベル90以上。つまり、最低でも1レベル上げるまでに200時間かかるっしょ」
「200時間ってことは……1%の経験値を稼ぐのに2時間もかかるってこと? ん、ちょっと待って。PKされた時のペナルティは必要経験値の2%を失うだから……え? えー!?」
私の場合はPKされても失った経験値はすぐに戻せるぐらいのペナルティだった。だから実質、ペナルティはあってないようなもので、その損失を気にしたことは一度もない。しかし、一度PKされただけで4時間分の狩りの成果を帳消しにされるとなると話は変わってくる。
畳みかけるように京子が言う。
「穏健派のアイデンティティは誰よりもレベルを上げて強くなること。そこに妨害が入るのは耐えがたい苦痛だとは思わないかい?」
相手の弱点を突くのは戦術の基本中の基本。
理にかなっている。しかし、
「ダメージを与えられるのはわかったわ。でもそれだとやっぱり、鯖トップを含む50人を同時に相手することになるんじゃないの」
「そそ。だからボコボコにされたっしょ」
私は困惑した。
「ダメじゃん」
私の落胆を見て、京子が「ちっちっち」と指を振る。
「これはまったり峠茶屋の人が言ってたんだけど。一回一回の戦闘で勝ち負けを判断しちゃ駄目なんだって。数で負けてるんだから一回一回の戦闘で負けるのは当たり前。それがどうしても許せないなら、たった5人の労力で、50人分の貴重な時間を浪費させることに成功している、そう考えるんだって」
一回一回の戦闘の勝敗は重要ではない。
それはつまり、長期的に勝てる算段があるということを意味している。
今までの話を総合すると――なるほど。だんだんと京子の言いたいことがわかってきた。
「まだ種を蒔いている段階。仕込みなのねこれは」
「そそそそそ! 毎日、狩りができないぐらいしつこく攻撃を続ける。ここがミソっしょ」
「レベル上げを
何度倒しても、ゾンビのように立ち上がって攻撃を加えてくる。
自分が穏健派になったつもりで考えてみると、これはたしかに勘弁してほしい。
「しかもまったり峠茶屋の人たちはプレイヤースキルが高いから、鯖トップクラスのプレイヤーでもたまにやられるからねい。というか、あえてトッププレイヤーを集中的に狙ってた節があるっしょ」
たまにやられて2%の経験値を失う。
それは時間に直して4時間分。トッププレイヤーの場合は更に色がつく。
「想像を絶するストレスでしょうね。それは」
心を折りに行く作戦。それがまったり峠茶屋の仕掛けた戦略だったのだ。
「話はそう単純じゃないっしょ。この作戦には相手の士気を下げるという効果も当然含まれているんだけど、その本懐はもっと先にあったのです!」
「ええ? まだこの先があるというの」
「いいかい。穏健派になったつもりで考えてほしいっしょ。穏健派の人たちからすると、自分たちは何もしていないのに、一方的に標的にされ攻撃を受けている状態。さて、彼らの心中やいかに」
「穏やかじゃいられないでしょうね。私だったら……そうね、どうして狂ったように攻撃をしてくるのか。その理由を相手に聞くかしら」
「ピンポーン! そこで初めて、自分たちが攻撃を受けているのは強硬派のせいだったと知るわけですねい」
ピンと来た。
これは
対象の仲を引き裂くことで状況を打開する計略である。
正面から戦って勝てない相手は内部から崩すのだ。
京子は息継ぎするようにやきそばを頬張り、もぐもぐとやりながら続ける。
「穏健派と強硬派には元々かなりの温度差があったんだけど、ここで大きな亀裂が入ったわけです。自分たちが悪いのだからしっかり謝罪した上で和平を結ぶべきだとする穏健派と、ここまでやられて頭を下げるのか敵対するやつは全員倒してしまえとする強硬派で、かなり揉めたらしいんだ。普段は事なかれ主義の穏健派も、自分たちに大きな被害が出ている以上、この時ばかりは一歩も譲らなかった。しかも言い争っている間にも、まったり峠茶屋はお構いなしに攻撃を仕掛けてくる。まさに地獄絵図。そして結果、ギルドは分裂するに至った」
「うへえ」
ちょっぴり穏健派がかわいそうではある。
しかし、私だって理不尽なPKを受けて辛酸をなめてきた。他にも被害にあったプレイヤーはたくさんいるだろう。そんな時、穏健派は何をしていたのか。その暴挙を止めようともせず、見て見ぬふりをしてきたのではないか。黙認するということは、暗黙的にその行為を認めるということである。だとすれば、責任の一端は確実に穏健派にもあると言えるだろう。
もしも今回、自分たちに被害が出なければ、やはり静観していたと思うし。
「やっぱり庇う気にはなれないわね」
「穏健派だってまったくPKに参加しなかったわけじゃないからねい。強硬派が過剰だっただけで、穏健派の被害にあった子だっていたっしょ」
そうだったのか。それならばなおのことである。
やきそばを食べるのも忘れて、京子の説明に熱が入る。
「で、で、で! 穏健派が一人、また一人と抜けて行って、最終的に蒼天騎士団は25人になる計算なんだけど、実際には12人にまで減ったっしょ。なんでかわかるかい?」
「そうね。たしか穏健派だけでは王城が取れないって話だったから、当然、強硬派だけでも王城は取れないでしょう。だから王城目当てで所属していた人が抜けたとか」
「おおう、ナナっち冴えてるねえ。あとは離脱者が増えていく中で、敗戦がだんだんと濃厚になっていって、逃げだした脱走兵みたいな奴もいっぱいいたっしょ。しかも逃げ出したのは、徹底抗戦を叫んでいた強硬派だというんだから皮肉なものだよねえ」
勝ち馬に乗りたがる人間というのは意外と多いものである。
勢いがあるうちは傲慢に振る舞い、旗色が悪くなれば真っ先に逃げ出す。
散々、戦争を煽っておいて自分は最後まで戦わないのだから始末が悪い。
なんとなく暗黒卿もこの人種であるような気がした。
心底の侮蔑を込めて私は言った。
「最低ね」
「脱退や引退は連鎖しやすい。これはMMOでは常識で、ギルドが崩壊するのはほとんどこのパターンっしょ。例えば、穏健派の引退につられて引退した強硬派もいただろうし」
「派閥が違っても、個人的に仲のいい友達ってのはいそうだものね」
仲の良かった友達が引退する。それはモチベーションに大きな影響を与えそうである。
しかし、同情する気にはなれない。彼らだって罪のないプレイヤーを散々PKしてきたのだ。その中の何人かは引退に追い込まれたかもしれない。京子だって蒼天騎士団との対立が原因で引退に追い込まれた一人なのだから。
業は巡り巡って自分に返ってくるものなのだ。
因果応報。
彼らの自業自得なのだと思う。
こうして話を聞いてみて、いろいろとわかったことがある。
集団というのはただそれだけで強大な力となりえる。しかし、その力は常に一定ではないし、同じ方向を向いているとも限らない。そして収束する求心力を失えば、ばらばらに弾けて二度と戻ることはない。集団が大きくなればなるほど、それらの性質は比例して大きくなっていく。
少人数ならば一つにまとまりやすいという特性。これが少数精鋭で戦うことの利。大人数になると求心力を失いやすいという特性。これが大所帯のギルドの弱点。
椿姫の言っていたとおりだった。
人数が多いのも一長一短。不利に働くこともあるのだ。
しかし、もしも
PKは執念深いほうが勝つ。
お互いが諦めなかったら争いは永遠に続く。
物思いに沈んでいた私の意識が、京子の能天気な勝利宣言で強制的に現実へ引き戻される。
「と、ゆーことで! 5vs12まで減らされちゃ、蒼天騎士団にもはや勝ち目はなかった! ボコボコにされ続けた蒼天騎士団は戦意を喪失し、解散しましたとさ! おしまい!」
十数名を相手に三人を道連れにした椿姫とその仲間たちのことである。残り十二名ではたしかに勝ち目はないだろう。しかも常に十二名が揃ってるわけでもない。完敗である。
暗黒卿の消息は不明らしい。
おそらく引退したんじゃないかと京子は言った。
蒼天騎士団の悪名は知れ渡っていて、他のギルドに移籍したくとも移籍できない状態とのこと。当然である。好き勝手暴れまわっていた問題児を、誰が好き好んで受け入れるというのか。
彼らに残された道は、野に下ってソロ活動をするぐらいなものである。
しかし、それは許されないだろう。散々好き勝手暴れてきた者が後ろ盾を失う。それは破滅を意味する。人の恨みは決して風化しないからだ。次は彼らがPKの恐怖に怯える番となるだろう。
散々好き勝手してきたツケを支払う時がきたのだ。
それが嫌なら引退するしかない。
他人にそれを強いてきたのは、他の誰でもない彼ら自身なのだから。
分裂した穏健派のギルドは十人にも満たない少数で、細々とやっているらしい。こちらはそこまでヘイトを稼いでいないので大丈夫なんじゃないかと思う。これを教訓に、次は真っ当に歩んでほしい。
教室がにわかに慌ただしくなってくる。
時計を見ると、昼休みも残り少ない。
京子がやきそばをがっがっがと一気飲みし始めた。
そのぐらいのペースで食べなければ間に合わないだろう。
「ちょっと京子。喉詰まらせないでよ」
「うっ、水ぅ~~~~~~!!?」
フラグ回収が早すぎる。
水筒のお茶を差し出すと、ひったくるように奪われた。
私は窓の外へ視線を向けた。
強くなってきた太陽の日差しがグラウンドを焼くように照らしている。
ムー太の農場は、あれから更なる成長を遂げた。
今夜あたり、椿姫が訪ねてくるかもしれない。
その時は、当事者の口からどのように戦ったのか、その
◇◇◇◇◇
エピローグ
◇◇◇◇◇
岩肌の露出した山脈マップ。
てってってーっと、農夫の格好をしたウサギが駆けていく。
バランスが定まっておらず、真っすぐ走れていない。左右に蛇行する形になってしまっているが、それでも一生懸命駆けてゆく。
息を切らせて到着した先には、屈強な冒険者が五人立っていた。ギルドの所属は世界にその名を
ウサギはあたふたしながらも、魔法を唱え、両手を天にかざした。
――オールヒール!
全員に回復の恵みが降り注ぎ、HPを全回復させる。
次にウサギは冒険者一人一人に、攻撃強化のバフを掛け始める。
その手際は悪く、手間取っている様子。かたつむりの如きスピード。
冒険者たちは文句の一つも言わず、その作業が終わるのを待っている。
バフを掛け終わると、冒険者たちはお礼のつもりなのかニコニコエモーションを焚いた。
少し遅れて、ウサギもニコニコエモーションを返す。
それを合図としたのか、冒険者たちが一斉に走り出した。先頭はサクラ柄の着物を着た女性。慌ててウサギもその後をてってってーっと追いかける。
このフィールドに生息しているのは、最強モンスターの一角ドラゴンである。
冒険者たちは獲物を発見すると一斉に襲い掛かった。
――瞬殺。
そこへウサギがてってってーっとやってきてオールヒールを放つ。
そして一連の作業が終わると再びエモーションを焚いて走り出す。
ウサギがてってってーっと走っていく。
どこまでもてってってーっと駆けてゆく。
とうにエモーションの効果は切れているはずなのに、ウサギはニコニコと笑っていた。
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