第39話 エイル・ミズリア③

 腹部が熱い。体の奥底が寒い。

 呼吸が上手くできない。汗が出続けて気持ち悪い。

 脇腹から血液と共に体の力まで抜けていくように感じる。


 体験したことのない体調不良。これは死の前兆というやつか?


「くっ……ふぅっ……」

「エイル落ち着いて。ゆっくり息を吐いて」

「はい……ふっ……ふうぅぅ……う゛っ……」


 言われた通りに呼気を吐く。

 しかし腹部の力が弱まり流血が激しさを増す。

 緊張状態が解け、じんわりと痛みが広がる。

 痛い、痛い、痛い。


「いっ……だい゛ぃぃ……!」

「我慢して。すぐに紙で傷塞ぐから」

「ふーっ、ふーっ……ぁっ! セラ後ろ!」

「大丈夫。気づいてるから」


 背後から襲いかかる謎の異形、その攻撃を見もせずに紙の壁で防ぐセラ。


『キーイオ……ローツー。エイル……ミズリア』


 敵の声を聞いてて冷静さを取り戻した。

 痛みに耐えつつ思考する。


「今、私の名前を……? セラ、あれのこと半精霊デミスピリットって呼んでましたよね。何か知ってるんですか?」

「……うん。あれは本来満月の夜にしか出ないはずの……精霊のなりそこないだよ」


 何度となく話に聞いてきた存在、精霊。

 人間が魔法を発動するのに必要な微精霊はどこにでもいるが肉眼で見えず、人間と同じくらいの大きさらしい精霊は人間の前に姿を表すことがない。

 なりそこないと言えど見たことなかった存在が、今目の前にいる。

 今私を殺そうとしている。


「精……霊? あれが?」

「そう。今話していたのも精霊言語。意味は分からないけどエイルの名前を呼んだってことは……」

「私が狙われてるってことですね……」


 既に命の危機は感じていたが、狙われていると思うと余計に背筋が寒くなる。

 逃げ切れるのだろうか? それとも……。


「戦うしか、ないんでしょうか」

「……戦うってどうやって」

「それはもちろん魔法陣で……」

「無駄だよ。精霊は魔法の攻撃じゃ死なないから」

「そう、なんですか……」


 追い打ちのように言い渡される事実が絶望を感じさせる。

 けれど戦う前に知れて良かったのだろう。

 セラがいなかったら私は応戦してあっさりと命を落としていたかもしれない。

 そんなセラが私の傷から手を離し、次の行動を言い伝えた。


「止血完了、あとは治癒魔法陣で治せるはずだから。治しながらでも一人で逃げれるよね?」


 一人で逃げられるか、それはセラが私についてきてくれないということ。

 セラは私を逃がすために敵を足止めすると言っているのか。


「そんな……嫌です。セラを置いてなんて……」


 危険な敵を前にしてセラを置いていくなんてできない。

 断固たる意思で反対しようとした、のだが。


「いや、エイル足手まとい。手負いのエイル庇いながらだと私の生存率も下がる。死にたければ勝手に一人で死んで?」

「え……流石に酷過ぎません? そこまで言うなら私が襲われても無視すればいいじゃないですか……」


 矢継ぎ早に暴言を吐かれ脱力する。

 そして次の言葉を聞いて、別の意味で脱力させられた。


「んーそれは無理。無視しようとしても体が勝手にエイルを守ろうとする」

「……んもー。貶すか喜ばせるかどっちかにしてくれませんかねぇ」


 危険な状況だというのに安堵させられる。

 あれだけ痛くて辛かったのに少しだけ活力が湧いてきた。


「そういうことなら一人で逃げます……でもすぐに応援呼んで戻ってきますから!」

「ん、ゆっくりでいいよ。戻ってくる頃には終わってるから」


 治癒魔法陣を起動しつつ、セラと半精霊に背を向ける。

 けれど見捨てる訳では無い。セラならきっと倒せなくとも持ちこたえてくれるはず。

 だから助けを呼びに行く。幸いにも顔見知りがいるはずの場所にもうすぐたどり着く。

 重い足取りを急がせ、私は本来の目的地へと向かった。







 Aランクを超える大手クランのほとんどがクランハウスという拠点を構えるらしい。

 ギルドに申請された正式な拠点、規模の大きいクランほど数多くのクランハウスを有し、それを商売店舗として活用するクランもあるとのこと。

 そしてここは『叡智の求者』の本拠地とも呼べるクランハウス。

 周囲と比べて一層巨大な建造物だ。


 しかし尻込みしている場合ではない。早く助けを願いセラの元に戻らないと。

 ここに来るまでに辛うじて癒えた腹の傷を擦りながら、私は押し戸を開ける。


「ごめんください!」


 入ると同時に大声の呼びかけ。

 広い空間の中に居たのは一人のみ。

 ヘルエス・カルステッド。クランリーダーであり、この建物の主。

 彼は私の存在を認識し出迎えてくれる。


「ん? おお。よく来たね、待っていたよ。来てくれたということは間に合ったのかな?」

「あ、はい。こちらご依頼の魔法陣です……じゃなくて、すみません! 助けてもらえませんか!? セラが、仲間が襲われてるんです!」


 期待を寄せるような眼差しで見られ、思わず持参した400枚の魔法陣を取り出した。

 だが今は取引なんてしている場合じゃない。取引に入る前に別の要件を伝える。


「襲われてるって魔物に? 君は応援を呼ぶために逃げてきたのか?」

「いえ魔物ではなく……移動しながら説明しますから! それより早く!」

「そんなに焦るほどの強敵というわけか……」


 急いでセラの元に戻らないと、そんな考えで頭がいっぱいだった。

 けれど考え込むヘルエスを見て冷静になる。

 彼が私の依頼を受けない可能性だってある。

 危険を見定め、リスクを拒むのは至って普通のことだ。

 断られたらどうしよう、そんな不安に駆られる。


 しかし男は私の懸念など吹き飛ばすような予想外の言葉を発する。


「いいねそれ。君はその謎の怪物に殺された。今から貰う魔法陣はそんな君からの形見、うん。その筋書きで行こう」

「へ? なんの話をして……」


 言葉の意味が理解できず戸惑う私。

 次の瞬間、私の左足が抉られた。


 渇いた衝撃音がヘルエスの右手から鳴り響く。

 その右手には拳銃に似た形状の何かが握られている。

 銃口の先から煙が昇り、その直線上に私の太股がある。


 聞いて、足を見て、男の顔を見て、そこまでしてようやく状況を把握する。

 私は攻撃されたのだ。


「あ゛っっ……ぐぅっ……!」


 遅まきながら痛みを感じ、膝をつき手に持つ400枚の魔法陣を落とす。

 痛い、痛い、痛い。

 この感覚は先程味わったばかり。

 先程と違うのは、セラが横に居ないということ。


「何を……」

「ああこれかい? 魔導銃と言ってね、あらかじめ風魔法をチャージしておくことで高速高威力の弾丸が放てるんだ。魔導具店でも売れ筋トップ3の人気商品さ。さて……これで動きは封じた。お前ら、囲め」


 聞いてもいない商品説明の後、男の掛け声に合わせて物陰からぞろぞろと出てくる人の気配。

 ざっと見て30人以上、彼のクランメンバーだろう。


 治癒魔法陣を使用している暇なんてない。私を助けてくれる存在もここには居ない。

 再び襲われる感覚、現実味を帯びる死の一文字、二度目にして理解する。これが恐怖という感情か?

 私は死ぬのか? 嫌だ……死にたくない、死にたくない。


 どうして? 私は早くセラの元に戻らなければならないのに。

 何故みんなして私の邪魔をする? 私は平和に暮らしの中で夢を叶えたいだけ、あなた達の邪魔なんてした覚えはないのに。

 何故、何故、なぜ……。


「なんで、こんなことを……!!」


 何もかもが分からず曖昧な疑問を投げ掛ける。

 その質問をヘルエスは何故私を殺そうとしたのかという意味に捉え、返答する。


「なんでって、僕はいつだって最善を選んでるだけだよ。Sランククランになるための最善策として、まずは魔法陣を独占する」

「独占……?」

「長年の鍛錬を積んだ魔導師でなくとも簡単に強力な魔法を使える武器。その魔法陣を描けるのは私の知る限り君だけだ。君さえいなければ、もう魔法陣が新たに作られることもない」


 饒舌に、嬉しそうに語る男を私は睨む。


「それで魔法陣を大量に手に入れたから私は用済みってわけですか……」

「その通り。とにかく数を揃えて生産元を潰せば僕のクランが頂点に立てる。欲を言えばもっと作らせたかったが、依頼期限を伸ばして他のクランの依頼を受ける余裕ができたら元も子もないから仕方ない」


 魔法陣の独占。そんな身勝手な理由で私は殺されそうになっている。

 理解できない思考回路を持つ相手、説得なんてできる気がしない。

 私に言えるのは精々憎まれ口くらい。


「……最低ですね、あなた」

「最低だなんて人聞きの悪い。僕はいつだって最高を目指しているのに」


 この男の意思は堅い。

 本気で私を排除しようとしている目だ。

 その目を見て、私は命の危険を冷静に理解した。

 

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