第37話 エイル・ミズリア①

 いつも通り、そう言えるほどに日常と化した朝。

 目が覚めて、私に添い寝する形で横たわる存在を一瞥する。


「……セラ?」

「おはよー」

「はいおはよーございます。で? なにゆえまた私のベッドに潜り込んでいるのです? あなたのベッドは隣ですよ?」


 以前はベッド一つの一人部屋で貧乏ぐらししていたため黙認していたが、現在は正式な二人部屋だ。

 だというのにセラは相も変わらず懐に侵入してくるのは何故なのだろう。

 当の少女はもぞもぞと蠢き、私の顔を見たかと思うとふてぶてしく言い訳する。


「ちょっと寒かった」

「ならまず掛け布団使いましょうか?」

「心が寒かった」

「……あんまり冗談ばかり言うと精霊様に魔力没収されちゃいますよ。私達には誓約があるんですから」

「没収されてないってことは嘘じゃないってこと。証明終了」

「あー……もう分かりましたから。さっさと起きますよ。今日は予定あるんですから」

「うい」


 顔に熱が集まるのを感じ、誤魔化すように言い繕う。

 そんな会話の後に駄々をこねるセラを引っぺがして私達の一日が始まる。







「8種の魔法陣を計400枚、ですか……」


 今回の依頼者は魔道具業界で知る人ぞ知る超大手クラン『叡智の求者』のリーダー、ヘルエス・カルステッド。

 大手様とのご依頼ということで緊張もあったが、依頼内容がエグすぎて感情全て吹き飛んだ。

 ひょっとして私の緊張を解すためのジョークだろうか? 


「近々うちのクランで長期遠征の予定があってね。紹介してくれた魔法陣の中で8種類を50枚ずつ用意して欲しい。納期は15日後、もちろん厳しいのは承知しているからその分料金は上乗せするよ」


 全然ジョークじゃなかった。

 恐る恐る指を折り畳み、作業工数を概算をしてみる。


「納期15日、今日を除いて14日で400枚……」


 1日休みなしで同じ魔法陣を描き続けたとしても30枚が限度。

 それを毎日やれば納期には間に合う。が、正直に言えば……。


(ぜっっってぇやりたくねぇです……! ブラックスケジュール過ぎますって……! でも……)


 心が発する明らかな拒絶反応。しかし、それと同時にこの仕事を受けるべきだとも思っている。

 それは相手が金払いの良い上客であるということ。

 上乗せを含めた報酬、これからの常連客からの信頼関係、得られるものは大きい。

 一人で葛藤していると声をかけられた。


「エイル、無理しなくていい」


 セラは私を案じる。

 彼女が今言われた仕事量の厳しさをどれだけ理解しているかは分からないが、私の表情を見れば嫌でも察するだろう。

 逃げ道を作ってくれたおかげで私も断りやすくなった。


「やっぱり厳しいか。次の遠征はどうしても成果を出したいんだけどな……」

「なんで急いでる?」

「ギルドの査定が近いんだ。ここで成果を出せばクランランクをAからSに上げられる。今回逃せば来年の査定までお預け。夢への最短距離には、強力な武器が必要なんだ」


 ヘルエスは胸の内を明かす。

 私も夢を掲げる一人の人間として彼の気持ちは分からなくもない。

 取引である以上私にもメリットがあるのだから、彼に協力したい気持ちもある。


 やりたくない気持ちは私の怠惰、やりたい気持ちは夢への渇望。

 どちらを選択すべきか問われれば、言うまでもない。


「分かり、ました……受けましょう……!」

「ありがとう。恩に着るよ」


 そうして無事商談が成立してしまった。

 これから待ち受ける地獄の日々に身震いする。

 けれど後悔はない。

 これは自分が選択した結果だ。決してやらされる仕事ではない。


「私を酷使していいのは私だけ、ですから」







「そうだ魔法を作りましょう!」


 それを思いついたのは魔法陣製作地獄3日目の夜。

 この時点で完成したのは84枚。納期には間に合うペースだった。

 ただし、心労が祟り私は早くも狂いかけていた。

 一日の作業時間は18時間。睡眠時間を削り、心も殺し、前世を思い出すように機械的に作業をこなし続ける。


 しかし今の私は機械ではなく、辛苦を感じる心がある

 嫌なことから逃げたい一心で突飛な思いつきを口にしてしまう。


「そうです魔法陣を書く魔法を作ればいいんですよ! そうと決まれば設計設計っと」


 思い立ったが吉日とばかりに私はノリと勢いで新たな魔法製作を試みた。

 これが俗に言う深夜のテンションというやつだろうか?

 就寝時間を無視して魔法作りに励み、やがて力尽き倒れるように眠る。


 次に目を覚ましたのは昼、私は激しく後悔することになった。


「ん……うっわぁ、今日のノルマ1ミクロンも進んでない……いや、でも昨晩魔法陣を描く魔法を作ってたはずですよね……」


 焦りを感じながらもこれで地獄から解放されるという期待を胸に、昨晩の自分の成果を拝見した。


「……何ですかこのゴミは」

 

 私がゴミと形容したのは紛れもなく、昨日私が作成した魔法陣。

 中身は確かに依頼された魔法陣を描くものだった。

 ただし、一つの魔法陣につき一つだけ。


 魔法陣というのは一度しか魔法を行使できない。

 それは媒体である紙が魔法の負荷に耐えられずに崩壊するから。

 つまり400枚の魔法陣を描こうと思ったら、私が昨晩作った魔法陣もまた400枚用意しなくてはならない、本末転倒な魔法なのだ。


「あ、オワタというやつですねこれ」


 ゴミを作るためにほぼ1日無駄にした。

 それだけで納期に間に合わせるのは物理的に不可能となる。

 これで報酬は貰えず、上客からの信用を失う。

 たった一晩の過ちでこんなことになるとは……。


「ぬあぁぁぁ……!」

「うるさいなぁ。今度は何やらかしたの?」

「セラ……あっ起こしてしまってすみません」

 

 寝室の方向から目を擦りながら近づいてくる同居人、セラが私に声をかける。

 現在の時間はほぼ正午だが彼女は夜型、昼夜逆転生活を送る上で今は就寝時間だ。

 そんなセラにここ2日の経緯を愚痴るように話した。


「うん。エイルって賢いバカだよね」

「私もそう思いますー……」


 的確すぎる表現に脱力しながら同意する。

 するとセラは昨晩作成した紙切れ同然の魔法陣を見て言う。


「私魔法陣読めないからよく分かんないけどさ、これほんとにゴミなの?」

「残念ながらゴミですね……この魔法陣の方がちょっと複雑だから描く時間増えるだけですし」

「魔法陣を2つ描くようにできないの?」

「それも厳しいです。文字数を増やしすぎると一つの魔法陣に収まりきらないので」

「ふーん。そんなにシビアなんだ」


 プログラムのアルゴリズムで言うループ処理、同じ処理を繰り返しさせるのに魔法陣ではそれなりの文字数が必要だ。具体的に言えば上限文字数の3割程度を占める。

 文を省略しようにも、丁寧に書かなければならない理由もある。


「一般魔法は詠唱で微精霊に指示を出しますけど魔法陣は文字が詠唱の代わり、簡単に言えば精霊に『こんな魔法が使いたいです』って伝えるお手紙なんです」

「手紙?」

「はい。だから丁寧な文章じゃないと精霊に伝わらずに想定した魔法が発動しません」


 魔法陣の設計、細かい仕様を指定できる分曖昧に指定すれば何が起こるかは分からない。

 仮にマッチ棒くらいの小火が欲しいときでも、指定を怠り「いい感じに火を出して」なんて雑な指示を出せば変に解釈した微精霊が辺り一面を火の海にする可能性だってある。

 それが分かっているからこそ、危険な省略はできない。


「あーもー……死にたい……」

「すぐ絶望するじゃん。ダメなときは思考をリセット。ホットミルクでも飲んで落ち着いて」


 嘆く私にセラは湯気立つコップを差し出す。

 その気遣いに感謝を述べつつ受け取り、一口流し込むとその味に思考を染められた。


「ありがとうございます……甘っ」

「糖分はいいぞ。リラックス効果もあるし脳を活性化させてくれる。生きて脳まで届くの。何よりおいしい……私砂糖さえあれば生きていける」

「あはは……流石にこの甘さを毎日飲んでいると病気になる気がしますけどね」


 熱弁するセラ、甘いものが好きというのは聞いていたがまさかここまでとは。

 渡されたのは市販のミルクを魔導コンロの火で温め砂糖を足しただけのドリンク。

 ただし砂糖の量は大匙10杯以上、とにかく甘ったるい。

 そんなものを心底幸せそうに飲むセラ、共感はできそうにない。

 しかし好みの味じゃないものの今の私には良い刺激となった。 

 

「ちょっと顔色良くなったね。疲れがとれたならまた別の角度から考える。魔法陣は自由、なんでしょ?」

「……そですね。でも別の角度からですか」


 唸るように悩むが、新たな発想は思い浮かばない。

 するとセラが一つのアイデアを提示してくれた。


「前に景色を紙に写す魔法作ってたけどさ、あれ使えないの?」

「撮影魔法陣ですか? けどあれも文字数ギリギリでしたし魔法陣も1枚ずつしか写せませんよ」


 撮影魔法陣『フラッシュピクチャ』、以前クレハが村人たちとの思い出作りのために渡した魔法。

 それで魔法陣を複製するという発想は面白いが、文字数の問題は解決されない。


「ならその魔法は省略できない? 今回は景色全部じゃなくて紙一枚を写し出せばいいんだからさ」

「けど範囲を狭めたとしても……ああ、そうですね。カメラじゃなくてコピー機を作ればいいんですよね」


 会話の中で生まれた思いつき、まだ詳細の構築まではできていないが文字数制限の壁を超えられる可能性を感じた。

 セラは私の言葉が理解できていないようで疑問顔だったが、私の思考は凄まじいスピードで広がってゆく。


「カメラ? コピー機?」

「独り言です。けどそれなら十分文字数減らせるかも……ちょっと試してみます!」

「頑張ってー私はもっかい寝てくる」

「はーいおやすみなさい」


 ホットミルクを飲み終え席を立つセラを見送り、私は広げられた魔法陣に目を移す。

 思いつきはしたが今作ろうとしている魔法は複雑なものだ。

 慣れない言語でどうすれば微精霊に伝えられるか、研究を重ねる必要がある。


 昨晩は勢いに身を任せすぎてアプローチを間違えただけ、今度はしっかり要件を揃えて魔法を作ろう。

 私ならできる。私は魔法陣技師、この世界で一番自由に魔法を作れる技術者なのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る