第35話 気高き慈愛③

 迷宮の巨大魔法陣解読を始めておよそ30分後、私は声色を落ち着かせ2人に呼びかけた。


「お待たせしました。解読完了です」

「随分かかったわね。やっぱり魔法陣って複雑なの?」

「ですね。この魔法陣は特に、相当高度な構築をしているみたいで不可解な記述が多く存在しました」

「そう。それで……何が描かれていたの?」


 問いかけに対し私は頷き、一拍間を空ける。

 もちろん話す。話すが、中身を聞けばきっと彼女は穏やかではいられないから。

 慎重に言葉を選んで、ゆっくりと話し始める。


「端的に説明するなら……迷宮を構築し、魔物を産みだす魔法。この魔法陣は迷宮の仕組みそのもののようです」

「そう……なら各地に点在する迷宮の全てに同じ魔法陣が施されていると思って良さそうね」

「はい。おそらく迷宮の王というのも、迷宮の核となるこの魔法陣を守るための存在なのでしょう」


 大方の予想はしていたらしい。

 迷宮という無機物が魔物という生物を生んでいる。さらに迷宮の壁はやけに安定していて、どれだけ衝撃を加えても崩れる気配を見せない。

 自然現象ではあり得ないが、魔法の影響と言われれば納得できる。

 ただ、私が今から話す事実はイザベラでも予想していなかったようだ。


「そしてこの魔法陣には迷宮の王に関する記述があります。死滅してから1年後、王は復活すると」

「……なんですって」


 取り乱す姿を見るのは初めてかもしれない。

 今までは常に毅然、凛とした態度だった。

 見ているだけで安心できて、これが上に立つ人間の器という者なのだろうと思っていた。

 そんな彼女が頭を抱え、語気を強めた。


「ダメよそんなの……あの戦いで何人が犠牲になったと……。こんな魔法陣、すぐにでも破壊しないと!」

「待って! 一度冷静になってください!」

「うるさい!! あなたは知らないからそんなことが言えるのよ! 目の前で仲間が殺されていく悲劇を! 絶望を!」


 怒声、八つ当たり、そのどれも今までのイザベラからは考えられない。

 子供のように喚かなければならないほどに、迷宮の王との戦いは厳しいものだったのだろう。

 しかし、自分が辛い経験をしてきたからと言って他人の過去まで決めつけないで欲しい。


「……知ってますよ。目の前で人が死にゆこうとしているのに、自分は手を伸ばすことすらできない。そんな光景が今も目に焼きついています」


 その頃の私に絶望なんて感情はなかったけれど、思い返す度に悲しい気持ちになる。

 カメラ越しに写る、産みの親の自殺行動。

 目の前で首に縄をかけ、制止の言葉をかけるも無視されて。

 私に伸ばす手はなく、ただ死に行く様を見届けた。

 あのとき心があったのなら、私はきっと絶望を経験出来ていたのだろう。


 静かに言葉を返すと、少し冷静になってくれたのかイザベラは謝罪した。


「……ごめんなさい、取り乱したわ。でも何故ダメなの? 下らない理由だったら許さないわよ」

「下らないなんてことは絶対にありません。言ったでしょう、この魔法陣は迷宮を構築していると。魔法の効力が切れればこの迷宮は崩壊します」


 迷宮の崩壊、それは私達が今いる空間も、通ってきた通路もすべて崩落するということ。

 入り口から迷宮の最奥まで歩いて2時間以上かかっている。魔法陣を破壊してから入り口まで戻るなんて、間に合うはずもない。

 地下に位置するここが崩れれば逃げ場などない。


「そうなれば私達も生き埋めってことね……なら時限式の魔道具を設置して外に出てから破壊すればいい。準備は必要だけど明日にでも……」

「それもダメです」

「……まだ何か問題があるって言うの?」

「問題なのはこの迷宮の位置です。私もおおよそでしか把握してませんが、歩いてきた方向からしてここの真上には王都、人の住む街が存在します。もしこの迷宮が崩壊した場合……地上の地盤が崩れ、大災害になります」


 この魔法陣はよく考えられている。

 この迷宮が崩壊するとき、人間の街もまた崩壊する。

 となれば必然、人間も迷宮を守りつづけなければならない。

 その迷宮は人間を襲う魔物を産み続けるというのに。


 私の分析を聞いたイザベラは額を抑え、悲痛な顔で恨み言を漏らす。


「なんて厄介な……性格悪いわね。この迷宮の仕組みを考えた人は」

「……人間じゃない」


 話を黙って聞いていたセラだったが、訂正のために口を開いた。

 私もセラに同意見、その理由についてはイザベラも知っているはずだ。

 この世界の魔法陣における常識。


「そう、魔法陣は人間には描けません。この魔法陣が迷宮の核だと言うのなら……迷宮を作っているのは精霊ということになります」


 迷宮の作成者は精霊。

 私にとって精霊は魔法発動のための微精霊を産む存在、その程度の認識。

 それが人間の敵となる魔物すら産んでいるとすれば、最早人類の敵か味方か判断はつかない。

 しかし、この世界の人間にとっての精霊は……。


「私は……その話を信じるわけにはいかないわ」

「? どうしてでしょうか?」

「私のクランでは精霊の信仰に力を入れている。それは治癒魔法のおかげで多くの人が救われ、その魔法を使えるのは精霊のおかげだから。人間を救うはずの存在が人間を害する迷宮を作った元凶だなんて、思っちゃいけないのよ」


 精霊への信仰、考えたことはあった。

 この世界で生きる人は魔法を欠かせないものと思っている。

 であれば魔法を使わせてくれる存在こそ崇めるべき対象、神のような存在なのではと。

 特にイザベラのクランは治癒に特化している、聖職者というべき存在なのかもしれない。

 だから彼女たちは精霊と敵対できない。


「イザベラさん……それでも魔法陣を描ける存在なんて精霊の他には……」

「いるじゃない。偶然魔法陣を描ける人間が目の前に。普通ならそっちを疑ってしまうのが自然じゃないかしら?」


 突然向けられた意味深な目つき。

 疑い、つまり私が迷宮を作ったのではないかと。


「っ! まさか、この魔法陣は私には使えません! 信じてください!」

「その証拠は?」


 先程までの良い関係が嘘であったかのように、イザベラは私を警戒する。

 それだけ彼女にとって精霊という存在が大きいのか。

 信頼を得るには、納得できるだけの説明を考えるしかない。


「証拠……この魔法陣の描き方からして、私の魔力じゃ動かないんです。おそらく魔物という生命を産む魔法だから、権限を持った者の魔力じゃないと起動しないみたいで。察するにその権限というのも精霊しか持ちえないのかと」

「……悪いけどそれじゃ証明にならないわ。私にはこの魔法陣が読めない。本当にそんなことが記述されているのかも分からない」

「そんな……」


 精霊以外だと私にしか読めない魔法陣、ならば私の解読結果が真実である証明なんてできるはずがない。

 何も思いつかず、弁明を諦めかけたそのときだった。


「大丈夫、エイルの言ってることは全部本当」

「セラ……なんでそんなことが? あなたも魔法陣を読めるの?」

「私は読めないよ。でもエイルのことだけは分かる」


 セラは言う、私のことが分かるという言葉は素直に嬉しい。

 しかし仲間同士でかばったところでイザベラは信用しないのでは?

 そんなことを考えていたが、予想に反してセラの言葉には確実な根拠があった。


「だって、エイルは私の前で隠し事をできない。そういう誓約だから」

「誓約って……まさか霊属誓約? 貴女達そんなもの結んでいるの?」

「あーそれですか……多少手違いはありましたが、まあ」


 霊属誓約、私がこの世界に来た初日に結ばされたセラとの関係。

 私は隠し事ができず、セラは嘘をつけない。

 半ば騙し討ちのような形で結ばされたが、まさか他者の信用を得るために役立つ日が来ようとは思いもしなかった。


 これで疑いは晴れただろうか? と様子を伺う。


「誓約ありきの関係、不和が生じるかと思えば普通に仲良く、むしろ強い信頼が生まれる……うん。良い」

「イザベラさん?」

「ああごめんなさい。いつもの発作よ」


 赤い頬、微量のニヤケ面、まさかこの状況で私達の関係性を見て興奮している?

 先程までの不穏な空気は何処へやら、こんなときまで趣味を忘れられないマイペースすぎる彼女を見て思わず脱力する。

 しかし我に返ったイザベラはすぐに能面のような表情を取り戻す。


「そうね……ひとまずあなた達を信じるわ。早とちりしてしまってごめんなさい」


 イザベラからの正式な謝罪、信じて貰えたと思って良いのだろう。

 ただ彼女は精霊を敵視するとは明言していない。

 やはりその信念だけは曲げられないか。治癒師クランのリーダーとして。


 そうして和解し、訪れる沈黙。

 イザベラも一度疑いの目を向けてしまった手前どう声をかけて良いものか迷っているようだ。

 こんなときに空気を読まずに声を発するのは、やはりセラだった。


「やることないなら帰ろ」

「ですね」

「……ええ、そうね」


 迷宮の最奥に存在する魔法陣の解読。

 当初の目的を達成した私たちは帰宅することにした。

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