第46話 声絶の魔導師③
リックと別れ、私だけ魔法陣技師の家に残った。
「ではこれから1ヶ月間、よろしくお願いしますね」
丁寧な挨拶を受け、こちらも合わせてお辞儀する。
魔法陣技師エイル・ミズリア。
私に施された喉の呪いを解く代わりに、1ヶ月間彼女の下で働くことを要求された。
「さてと。まずは私の仕事を知って貰いたいですし、オフィスルームにご案内しましょう」
手招きされ、後を追う。
一見すると普通の優しい女性にしか見えない。
しかし治療の代わりに1ヶ月間働いて欲しいとは言われたけれど、大丈夫なのだろうか?
私の魔法の知識を見込んで協力して欲しいとは言われたが、何をすれば良いのだろう。
そもそも本当に治せるのだろうか? 本当は治せないけど私を利用するための嘘だったり……。
無言で思考を巡らせていると目的の部屋に到着したらしく、彼女は扉を開いた。
「ここは仕事に使う書類などを保管している部屋です。ここは荒らしたくないので普段はリビングを作業場にしてますけどね」
案内された部屋を見て、呆然とした。
元々喋れない私だが思考の内からも言葉が消え失せるほどの衝撃がその部屋にはあった。
「驚いてくれましたか? この部屋は私の持つ知識を総動員して"快適"を追求してみたのです」
私の抱いていた感覚は、快適という一言で全て腑に落ちた。
過ごしやすい温度に湿度、さらに機能性を追求したであろう部屋内の設備。
「暖房に加湿器、これらの設備は全て魔法陣の試験運用ですね。いずれ売り物にするためにも、欠陥が無いか調べています。このウォーターサーバーはお湯も出せるんですよ。一杯どうぞ?」
差し出された紙製のコップを受け取り、一口呷る。
熱すぎず心地よい暖かさの湯、水魔法を飲用水に利用することはあるが、それに特化した魔導具など聞いたこともない。
これらの設備を実現させた魔法陣という存在に、私は憧れのような感情を抱いた。
〈エイルさん。私にも魔法陣の描き方というのは覚えられますか?〉
思わず聞いてしまった。目の前の魔法陣技師を羨ましく思うばかりに。
しかし、十中八九望む回答が得られないことも予想できている。
「それは無理です。普通の人に精霊言語は読めませんので」
〈そうですよね……じゃあエイルさんはどうやって魔法陣を?〉
分かってたからこそ、今度は疑問を解消したくなった。
今更彼女が本当に魔法陣を描けるのかなんて疑うことはしない。
ただ魔法学校で得た学びが正しければ、人間に魔法陣を解読することは不可能なはずだから。
「それは……すみません。私にも分かりません」
謝罪、その表情は後ろめたく思っているようにも見えて、何か隠しているように感じた。
追求しても教えてくれないのだろうなと思いつつジッと見つめていると、彼女は話題を変えた。
「代わりと言ってはなんですが、私が今まで作った魔法陣ならお見せできますよ」
そう言って彼女は棚から十数枚の紙を取り出す。
そこには魔法陣ではなく、人間が扱う文字が書かれていた。
「これが私の実績、今まで作った魔法陣の一覧です」
渡された紙をしばらく眺める。
見たところ魔法陣名のようなものが列記されていることは分かった。
しかし大部分の数字を含む文字列の意味が理解できない。
〈読める文字なのに何が書いてあるのかさっぱり分からない……〉
「あはは……理解するにはお勉強が必要かもしれませんね。この文字列はいわば魔法陣の設計書、それを16進数表記の文字列に起こしたので」
説明を聞いても分かる気がしなかった。
設計書というからには魔法陣を描くための情報なのだろうけれど、彼女はこれを見て魔法陣を描いているというのか?
〈エイルさんはこれを一目で解読できるんですか?〉
「いえ? 解読は微精霊に任せます」
〈微精霊に?〉
「そう。この描画魔法陣を使えば設計書に従って魔法陣が描かれます。試しに4番目の治癒魔法陣を呼び出してみましょうか」
新たに取り出した魔法陣に魔力が込められ微発光する。
「魔法陣起動、呼び出しナンバー4」
魔法陣技師の言葉に呼応するように魔法が発動し、机上の白紙に黒インクが塗られていく。
数秒後には黒インクは形を成し、一枚の魔法陣が完成した。
「こうして魔法陣をいつでも複製できるように管理しているんです。1枚1枚別で保管なんてしていられませんし。何せ100種類以上の魔法陣を作りましたからね」
目の前で魔法陣が完成し、改めて実感する。
人並み外れた叡智、この人は本当に前人未到の域に達した存在なのだと。
〈よく分からないけど、エイルさんって凄く賢い人?〉
「……賢いのは私じゃありませんよ。私はただ覚えていただけですから」
謙遜、にしてはどこか悲しげな表情だ。
過去に何が合ったのかは分からない。
魔法陣技師の過去というのも興味はあるし、聞いてみたいとも思った。
声を出せれば、気軽に聞けたかもしれないのに。
◇
「しばらくここで寝泊まりして貰っても良いですか? その方が効率的ですし、食事も提供しますので」
エイルからの提案は願ってもない話だった。
このスリウス村には食事処も宿もないらしく、街で食事と寝泊まりするにしても現在の所持金では心もとない。
私は感謝の念も込めて強く頷いた。
「よかった。それではお夕飯を作ってきますね」
言い残して、テキパキと動き始めるエイル。
手伝おうかと提案しようにも連携の声掛けすらできない私じゃ帰って邪魔になるかもしれない。
大人しく彼女の後ろ姿を眺めていると、30分もしない内に料理が出された。
「お待たせしました。本日のメニューはミートソースパスタです」
盛り付けられた皿は全部で3つ、その内2つが食卓に並べられた。
食卓の2つは言うまでもなく私達の分だろう。
最後の一つは誰のものだろう? と考えていたところで話しかけられた。
「どうしました? もしかして食べられないモノでも入っていましたか……?」
不安そうな顔を向けられ、焦って勢いよく首を横に振る。
これ以上心配させまいと、私は手を合わせた後にフォークを手に取りパスタを口へ運ぶ。
咀嚼し、飲み込む。
その間エイルは料理に手もつけず終始こちらの様子を伺っているようだった。
行儀が悪いと思いつつも無視するわけにも行かないので、フォークをペンに持ち帰る。
〈美味しいです。とても〉
「それは良かった。では私もいただきますね」
安心したように微笑み、彼女も食事を始めた。
それからはお互い黙々と食べ続けていたが、不意に外から人の気配を感じた。
エイルもそれを感じ取ったのか、立ち上がりキッチンの方へと向かった。
何事かと思いながらも足音が近づいて、それは部屋に入ってきた。
「おかえりなさい、セラ」
「……ん」
気配の正体は昼間に出会い、この家に案内してくれた少女だった。
そして遅れながらもその少女がこの家の住人であることにも気づく。
こんなとき、急遽泊まることになったよそ者はどうすべきだろうか。
お邪魔しています? 今日からお世話になります?
そんな礼儀一つ見せられず、ただ立ち上がり深々と頭を下げることしかできない。
「うわ。なに?」
「こちらイゼルさんです。声が出ないそうで、しばらくうちに泊まってもらうことになりました」
「ふーん」
歓迎とも反対ともとれない淡白な返事。
感情が読めず、こちらも反応に困る。
「お夕飯できてますよ」
「ん、部屋で食べる」
「……分かりました」
皿の乗った盆を受け取り、その少女は去っていった。
ひょっとして人見知りなのだろうか?
〈私、お邪魔でしたか?〉
「いえ、そんなことはありません。むしろ避けられてるのは私で……昔はそうでもなかったんですが最近素っ気なくて、反抗期ですかね?」
エイルは明るく話しているが、表情はどこか寂しげだった。
少し眺めた程度では彼女らの関係性も掴めず、私はそれ以上の反応はできなかった。
それからモヤモヤしながらも食事を終えて、軽く雑事を済ませていたらあっという間に就寝時間になっていた。
「今夜はこちらの部屋で寝てもらえますか?」
寝床を案内してもらい、感謝の気持ちも込めて頭を下げる。
するとエイルは考える素振りを見せ、口を開いた。
「それにしても、喋れないって思った以上に不便ですね……」
その言葉と険しい表情を見て、思わず不安を煽られる。
どういう意図が込められた言葉なのだろう?
憐憫か、それとも侮蔑か。
もしかして私の価値が下がったように思ったのだろうか?
報酬が見合っていないと言われ、治してもらえなくなるのだろうか……?
悪い方向の考えばかりが膨らむ。
すると私の暗い表情を察したのか、声を掛けてくれた。
「……軽率な言葉でしたね、すみません。今日は一日お疲れ様でした。おやすみなさい」
〈はい。おやすみなさい〉
挨拶一つ瞬時に返せないことに歯噛みしながら、宙に文字を残して部屋の戸を閉める。
こんな気持ちのまま横になって目を瞑れば、思考は余計鮮明になってしまうものだ。
声を取り戻すには、人と関わる必要がある。
人と関わるほどに、声の無い自分が嫌になる。
いつになったら私はこの地獄から開放されるのだろうか。
陰鬱な気持ちのまま、意識を闇に沈める。
◇
翌朝、目を覚ます。
微睡みの中で現状を振り返り、魔法陣技師の家に寝泊まりしていることを思い出す。
いつも通りの朝のルーティーンとしてベッドから立ち上がりつつ、とあるモノを手探りで探す。
しかし目的の物は見つからない。
それはベッド横に置いたはずのペン型魔導具、今の私の声の代替品。
辺りを見回してもどこにも落ちていない。
眠る前までは確実に持っていたのだから失くしたということもないはず。
盗まれたとは思いたくないが、念のため家主に確認しようと私は部屋を出た。
ダイニング、キッチンと順に見て回るが見つからない。
残る捜索場所といえば一箇所しか思いつかず、オフィスルームと呼ばれていた部屋に入った。
するとそこには長椅子に横たわる魔法陣技師の姿があった。
人の気配に感づいたのか、彼女は眠そうな様子で言う。
「んー? すみません、私昨日寝てなくて……ちょっと寝かせてもらえませんか……?」
本当に寝不足なようで、その目は未だ閉じられたままだ。
申し訳なく思いながらも、私は彼女の肩を叩く。
「うーん……」
意識が覚醒していないのか、唸るばかりで目を開いてくれない。
肩を揺すっても反応は変わらない。
どうあっても目を覚まさないエイル。
私もムキになってしまい、思わず
「あの! 私のペン知りません……か…………ぇ?」
何が起きたのか、一瞬理解できなかった。
呆然としていると、エイルはニヤリと笑って起き上がった。
そして少し離れた机の引き出しから何かを取り出し、こちらに見せつけてきた。
「ペンはここです。でも、もう必要ないですよね?」
「あれ……なんで……」
「コミュニケーション取るのが面倒だったので治しました。思いの外苦戦して徹夜作業になりましたが……」
軽く言う魔法陣技師。
私が深く悩んでいたことを、一晩であっさり解決したと言う。
「声、出てる……! あは、あはは……!」
意味が分からなさすぎて思わず笑ってしまう。
笑い声が体内で響くのを感じて、改めて実感する。
私の声は戻ってきたのだと。
その事実を頭の中で反芻し、次第に感情が液体に変わり溢れてくる。
滂沱の如く流れる涙に溺れかけ、上手く話せる気がしない。
けれど必死に、今の気持ちを声に乗せる。
「ありがど……ございまず……」
「喜んでもらえて何よりです。それではおやすみなさい……」
感謝の声を聞いて、彼女は満足そうに意識を手放した。
私もすぐには立ち上がることができなかった。
眠る魔法陣技師の横で、しばらく嗚咽を鳴らし続けた。
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