第47話 声絶の魔導師④

 耳に届く心地よさに目を覚ました。

 流暢なメロディ、透き通る音。

 聞き慣れないが聞き覚えのある声。


「綺麗な声……歌? もしかして、イゼルさん?」


 それが歌だと気づくのに遅れたのは、歌を聞くという体験が初めてのことだったから。

 その歌には幸せが溢れていた。

 聞く人を幸せにする歌声、歌っている本人の幸せが伝播しているようだ。

 音のする方へ近づき、オフィスルームを出る。

 その先には見違えるほどの変化が待っていた。


「あ、エイルさん。おはよーございます」


 景色が輝いて見えた。

 その要因の一つは、見違えるほど明るい顔になったイゼル・テイカー。

 そしてもう一つ、部屋全体だ。

 床が見えないほど散らかっていた部屋は整頓され、ピカピカに磨き上げられていた。


「掃除していただけたのですか?」

「一箇所にまとめただけだけですけどね。どこまで捨てて良いのか判断できなかったから」

「お気遣い感謝します」

「感謝って言うなら私の方が……エイルさん。治してくれてほんっっっとうに、ありがとうございました!!」

「いえいえ、半分は私のためですからお気になさらず。魔法学校首席のイゼルさんには聞きたいことが山ほどあるのに話せないのが不便だなと」

「私はてっきり報酬支払いきるまで治してもらえないんだと思ってましたよー」


 昨日とはまるで別人だった。

 物静かな印象だったがそれは話せないが故、これが本来の彼女の姿ということか。

 ただ、明るくなった彼女の顔に微量の陰りが見えた。


「ほんと治してくれて嬉しいんですけど……私が逃げたらとか、考えなかったんですか?」

「えっ逃げるのですか? 私、人を見る目がないので判断つかないんです。あなたが良い人なのか、悪い人なのか」

「うっ……」


 意地の悪い質問をすると、イゼルは黙ってしまった。

 自分に人を見る目がないと思っているのは本心だが、報酬を先払いするリスクを考えなかったわけではない。


「本音を言うと、私が我慢できなくなっただけなんです。辛そうなイゼルさんをこれ以上見てられなくて……だから、それで逃げられても仕方ないと思ってますよ」

「……ズルいなぁ。そんなこと言われたら逃げられないじゃないですか」


 不貞腐れて、クスリと笑う。

 表情豊かな彼女は見ていて気持ちが良かった。

 特に嬉しそうな顔、昨日の彼女からは想像できない素敵な笑顔だった。


「ね、エイルさん。ちょっとお願いがあるんですけど」

「お願いですか?」

「うん。ちょっと我慢できそうになくて……」


 イゼルは照れくさそうにはにかみ、お願いとやらを告げる。


「しばらくお喋りに付き合ってくれませんか?」


 お願いと言うにはなんとも拍子抜けするものだった。

 特に断る理由もない私は、それで彼女の明るい顔が保たれるのならと承諾した。

 その安請け合いを後悔することになるとは思わずに






 お喋り開始から3時間。


「それでね。声が出なくなってからずっと仲間が助けてくれてね。治すためにいくつかの街の治癒院を巡って、こんな遠い村まで連れてきてくれて……。あとその間私は戦えないから冒険者稼業ができなくって、けど皆は毎晩私が寝た後にこっそり出稼ぎに出てたんだよ。ズルいと思わない? 優しさなんだろうけどさぁ、仲間はずれにされる方が嫌っていうかさぁ……でもたぶん、私が一緒に居ても皆が気遣っちゃうだろうから、効率も悪くなるしお互い辛いだけなんだろうなって。そう思ったら流石に一緒に行くとは言えなくてね。ほんと声が出ないだけで我慢することばっかで嫌になっちゃうよね。あ、そうそう。仲間っていうのはね、冒険者パーティで私の他に3人いて――――」


 話し続けるイゼルに対し、私はそろそろ限界を迎えていた。

 彼女のマシンガントークで体が穴だらけにされる気分だった。


「あの……イゼルさん。言いにくいのですがそろそろ……」

「えー! まだ話足りないけどなぁ」

「イゼルさんはお喋りがお好きなのですね……」

「うん! でも仲間もあんまり付き合ってくれないんだよねー……」


 少しだけ悲しそうに告げるイゼル。

 そんな背景があってわざわざお願いしてきたというわけか。

  

「それにしても綺麗なお声ですね。歌声も思わず聞き入ってしまいました」

「えへへ照れますなぁ。でもうん、この声は私の唯一誇れる長所だから。また話せるようになって本当に嬉しいんだ」


 薄々感じていたが、やはり彼女にとって声というのは特別なものだったらしい。

 身体の不自由は様々あるけれど、歩けないより、見えないよりも、声が出ないことこそ彼女の最も恐れる不自由。

 そんな彼女が声を奪われたのは偶然なのか、それとも……。


 そこまで考えると、ふと外から思考を遮られた。

 家の戸をノックする音だった。


「来客? 誰でしょうか?」

「あー……もしかしたら仲間が私の声を聞いて駆けつけてきたのかも」

「イゼルさんの声を?」

「うん。パーティにね、すっごく耳が良い娘がいるんだ」

「耳が良い……?」


 耳が良いという言葉の意味を測りかねていると、イゼルは代わりに来客を出迎えに行った。

 扉を開き、イゼルと来訪者が向き合う。


「はいはーい。ってやっぱりライ……わぁ!」

「イゼル……よかった」


 扉の先に居たのは少女一人、その少女は出会い頭イゼルに抱きついた。

 その勢いを支えきれず、二人一緒に倒れ込んだ。

 それでも構わず、彼女らは嬉しそうに話す。


「声聞こえたから来た……治って良かった」

「あはは。ライカも今まで助けてくれてありがとね。でもごめん、パーティに戻るのは約束通り1か月後だよ」

「それは……仕方ないね」

「その代わり、私も色々勉強して帰るから」

「分かった。じゃあ私も……イゼルがいなくても大丈夫なくらい……強くなる」


 声を取り戻し、再び会話できることに喜び合う。

 二人にとっては感動の再会なのかもしれない。

 しかし私の心中は別の事実に突き動かされていた。


 イゼルのパーティメンバーの少女、その風貌と名前。

 私が固まっていると、少女はイゼルから離れ、今度は私に向き直った。


「それと……久しぶりエイル」

「……本当に、ライカなのですか?」

「うん。エイルの音も……ずっと聞こえてた」


 ライカ、私が失っていた記憶の中にあった名前。

 私と同じように、人工知能だった前世を持つ転生者。

 1年以上寝食を共にした私の家族。


「お変わりないようで……何よりです……」

「そっちも変わってないね……泣き虫エイル」


 ライカは接近し、イゼルと同じように私の体を包んだ。

 触れて伝う体温からより強く実感する。

 不意の再会、生存を確認できた安堵。

 様々な感情と昔の記憶が涙とともに溢れ続ける。







「いやーまさかエイルさんがライカの家族だなんて驚いたなぁ。他の二人は話してくれるのにライカだけ自分の身の上話とか全然しないもんね。リックは一人っ子で私とおんなじ。ムドウは妻帯者な上子供もいる、さすが最年長だよね。でも……」

「イゼル……シャラップ」

「う……はーい……」


 ライカに話を遮られ、渋々口を紬ぐイゼル。

 あのマシンガントークにも慣れたように対応する辺り、本当に二人は仲間のようだ。

 そうして場が静かになり、ライカに質問するチャンスが生まれた。


「ライカ。あれから皆はどうなりましたか?」

「生きてる……と思う」

「思う? というと?」


 記憶を取り戻してから私がずっと気になっていたこと、家族の安否だ。

 自らの命を賭けて逃したつもりだったが、ライカは曖昧な返答の続きを言う。


「私と他の転生者4人は……孤児院に預けられた。マスター美亜は……あれから一度も会ってない」

「そうですか……。他の4人はどこに?」

「孤児院でしばらく暮らしてたら……貴族に身請けされた。最初はリノワ……次に私……あとの3人は分からない」


 私以外のAI転生者はその生みの親、永留美亜の予定通り事が運んだらしい。

 美亜の現状も気になるところだが、分からないのなら仕方ない……そう思ったときだった。

 

「けど……おおよその居場所は分かる……今も音は聞こえてるから」

「音……そうです! ライカのスキルなら美亜の居場所も分かりますよね!?」


 彼女の言葉に希望を見出してしまった。

 ライカのスキル『ノイズロギング』は一度記憶した音の音源を聞き続ける。

 当然美亜の音も記憶しているはずと思ったが。


「ごめん。マスター美亜とは……接続切れてる」

「どうして!」

「マスターと別れてしばらくは聞いてた……けど、すごく不快な音が聞こえた。しばらく我慢したけど……ダメだった。その音もたぶん……私に接続を切らせるため」

「そう……ですか……」


 それ以上の言及はできなかった。

 ライカの話が本当なら、美亜はそうまでして自分の居場所を知られたくなかったということだ。

 その真意は気になるところだが、考えても答えが出るはずもない。

 私は質問の内容を変えることにした。


「そういえばライカは、貴族に身請けされたならどうして冒険者に?」

「家出した」


 非常に端的な解だった。

 ライカの性格上驚くことでもないが、一応聞いてみた。


「家出なんて、どうして?」

「どれだけ優しくしてくれても……私の家族はあの人達じゃないから」


 その返答に私は、少しだけ嬉しく思ってしまった。

 他人と距離を置く性格は相変わらずのようだが、裏を返せば彼女は大切に思っている家族がいるということ。

 その家族に自分も含まれていると分かっていれば尚更だ。


「ライカ。今のパーティは居心地良いですか?」

「? うん……エイル達と同じくらい」

「それは良かった。大事にするのですよ?」

「もちろん私はそうしたい……けど……イゼル」

「え? 私喋っても良い?」

「許可する……質問の回答だけ」


 最初に止められて以降ずっと黙っていたイゼルが嬉しそうに口を開いた。

 しかしその笑顔はライカの一言によって打ち消された。


「イゼルを呪った犯人……分かるって言ったら、どうする?」

「! ……そっか。ライカは分かるんだ……」


 悲しそうに、静かに納得するイゼル。

 その反応はまるで、犯人とやらに心当たりがあるようだった。

 そして彼女は決意の表情で言う。


「でも、どうもしないよ」

「そう……それでいいの?」

「うん。だって私今話せるもん。何も言うことないよ。けど、また同じことをしようって言うなら……今度は容赦しない」


 最後の言葉には静かな怒りを感じた。

 彼女が何を思ってその答えを出したのかは分からない。

 イゼルは暗い雰囲気を断ち切るように、無理やり話題を変えた。


「はい、この話はもうおしまい! もっと楽しい話しよう。女子会をしよう! 折角私も喋れるようになったんだからさ」

「うわ出た……少しならいいよ」

「もちろん私も」


 そうして私達はお喋りを始めた。

 他愛のない平和な話。

 経験はないけど、これが本来あるべき友達という関係なのかもしれない。

 そう思った。






 

 エイルとイゼルの元から去り、パーティメンバーの元に戻ったライカ。

 今日の出来事を二人に伝えた。


「そっか。無事治してもらえたか」


 心底嬉しそうに安堵するリーダー。

 どれだけ彼女のことを心配していたかが伝わってくる。

 しかし、だからこそ気になる。


「会わなくていいの? ……声治ったのに」


 折角話せるようになったのだから、普通は会いたいと思うだろうに。

 リックは何故か頑なに会いに行こうとはしなかった。

 その真意はというと……。


「いや、あいつが1ヶ月は戻らないと決めたなら俺もまだ会わない。……今あいつの声聞いたら、一緒に居られないのが余計寂しくなるし……」

「かーっ。男のくせに女々しいのぅ!」

「うん……うちのリーダー、クソめんどくさい」

「うっせ」


 照れ隠しか顔を背けて不貞腐れる男。

 仲間の快気でその場は祝福ムードに包まれる。







「治ってしまった、か……早かったな」

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