第27話 死の隣人⑤

 幼馴染みが病に伏した。

 助けるために必死で治療方法を探し回った。

 けれど結局、彼女は死の未来を受け入れてしまった。

 その決断はきっと俺の想像より遥かに重いものだろう。

 けれど俺には分からない。彼女は最後までその胸の内を秘めてしまったから。


「クレハ。エイルさんから魔法陣が届いたぞ」

「あー最後に言うてたやつか……ってやけに分厚ない?」

「50枚。まとめ買いでかなり値下げしてくれたんだよ」

「あんた騙されやすそうやな……心配になるわ」


 魔法陣技師と別れて1週間、顔には出さないもののクレハはさらに衰弱していた。

 今でこそ平然と返事しているように見えるがそれは疲弊を表に出していないだけ。

 徐々に口数が減っていき、疲労が限界に達する頃に難癖付けて追い出されるのはいつものことだ。


「風景画を一瞬で描く魔法。これでお前の絵をたくさん作ろうと思ってるんだが、いいか?」

「……なぁ、一個だけワガママ言ってもええか?」

「いいぞ。何でも言え」


 普段ワガママだらけの彼女がわざわざ前置きを言うなんて珍しい。

 いずれにせよ俺の答えは変わらない。今はどんな小さな願いでも叶えてやりたいから。


「その絵の魔法、村のみんなと一緒に写して欲しいんよ」


 そう願う彼女は複雑な表情をしていた。その理由は容易に想像できる。

 彼女は村人の見舞いを拒んでしまっているから、今更虫が良すぎると断られることを不安に思っているのだろう。

 しかし村人は今でもクレハを慕い続けているので何の心配もない。


 それ以上に心配なのはクレハの体力面の問題。

 今の彼女にとっては会話すらも重労働、一日に相手できる村人の数なんて極僅かだ。

 

 でもそんなことはクレハ自身が一番分かっているはず。

 分かっていてなお、彼女はそうしたかったのだろう。


「……そうだな。その方がみんなも喜ぶと思う。ただし、ちゃんと一人一人に謝ってからだぞ?」

「分かっとるよ。見舞いに来てくれたんも追い返して迷惑かけたしなぁ。村のみんなにも、あんたにも……今までごめんなロイク」


 普段からは想像できないくらいしおらしい謝罪。

 どうにも調子が狂い、逆にこちらがぶっきらぼうになってしまう。


「……謝るなよ。まだ別れってわけでもないんだ」

「……せやな。まだ先は長そうやし、しばらく付き合ってくれな?」

「言われなくてもそのつもりだ」


 短命の少女から発せられる皮肉混じりの言葉。

 それは長い道のりを踏破するまで耐えてくれと自分の体に言い聞かせているようだった。

 そうしてクレハの困難極める撮影会が幕を開けた。







 クレハ以外の村人総勢207人。それら全員とクレハを50枚の撮影魔法陣に収める。

 外に出る体力はなく、部屋に招き入れるとしてもギリギリの人数。

 制限時間は2週間。これはクレハが提示した期間だ。

 自分がまともに活動できる予測の期間、つまり実質的な余命……。

 厳しい前提条件を列挙しつつ、間に合わせるため急ぎ取りかかった。


 村人の協力を得るのは難しくなかった。

 それこそがクレハの人徳、一度無礼を働いたくらいじゃ恩義を忘れないほどの働きをクレハがしてきた証拠だ。スリウス村の守護者の名は伊達ではない。


「ショウ、ジゼル、ラーニー、アルト、カーマイン」


 撮影は一日5人グループを3組。

 事前に配慮を呼び掛け、交わす言葉は3言まで。

 その会話もクレハからの謝罪と感謝だけで終わる作業じみたもの。

 お互いに名残惜しそうにしつつ、しかしクレハの体調をおもんばかって撮影だけ済ませて別れを告げる。

 満足に話せない分、その思いの丈は魔法陣にぶつけられた。

 目に涙を浮かべて破顔するも、精一杯の笑顔を向けて良い思い出を作ってくれた。


 そうまでして効率的に進めたとしても、クレハの消耗は激しかった。

 日々息を切らし、衰弱が進行する。

 クレハの顔から生気が薄れ土気色が濃くなっていく様は写真を見比べれば一目瞭然だった。

 しかしクレハは泣き言を漏らすことなく、撮影を受け入れ続けた。


「ビスカ、ネモ、マイク、ノア、リア……っ! けほっけほっ……はぁ。すぅ……ケンヤ、ダリア、サトゥル、ファラム、ドラミア、

 パール、ヤコ、ルドヴィ、チャン、コリンナ、

 スレネ、アディン、ファニー、ディアス、ジャン、

 スエーレフ、フソウ、カゲル、フチ、スーア、

 ラドミール、ルネ、モーリ、デプス、ケートス、

 テオ、レオーネ、ローラ、ジェイ、リッド、

 ゼブル、ユリアーナ、カズラ、ルドガー、ロッコ、

 レジル、ウラナ、キュトラ、レムナ、ティータ、

 ツヅミ、ライム、ソゾー、ビア、アウラ、

 デイ、ケイト、ダラー、ボイル、フレバ、

 キーア、ナアザ、ミルズ、アメリア、レトー、

 ナサ、ソール、レアルカ、ヒロ、パメラ、

 セニア、ダグ、リカン、カナ、ワイルリー、

 パティ、ポーレ、ヒメノ、バスター、サルビア、

 クーペ、イシュテ、ニンガル、クエス、アレクト、

 フィン、オルムヒルデ、ニエロ、アギト、ハザール、

 ウォルフ、ピルリオ、ベクタ、ミサキ、ミルイ、

 メリー、トイ、チェリィ、デルフィナ、リデク、

 マルファ、カペラ、プリマ、ダイア、ペリィ、

 サンスター、モノ、エレオノール、ミナ、ルーン、

 フロリア、ブライム、エイドリー、エメラリア、シュトラー、

 スヴィン、ベハール、ショーン、シェフィールド、ドレイク、

 レンゲ、ノイム、ジレーヌ、ロプトル、ヤディア、

 テリーザ、リスターナ、リルニ、ビル、ケイカ、

 イルナ、マイルズ、ダヴィ、グレマ、ロクターム、

 シンツィ、マラクダ、フィオレ、クロード、マウム、

 トルソー、ソニィ、マリナ、イニア、キュレネ、

 ディエス、ジョゼ、フィンクス、ヒプシー、ピヨル、

 エディン、クレート、ソラナ、シェリル、セム、

 ベラルダ、シリア、スジェ、マジョリー、フィロル、

 スギノ、イルオーン、ドリー、アルヴィ、サリー、

 マフィン、チカチ、ステファ、フレミーナ、メルル、

 ニライナ、エルフェン、ルチア、ヴェイン、トミカ、

 リエルダ、ハウル、ゲイル、ジーニス、トア、

 カサノヴァ、ヴァイパー、テンレイ、エヴァ、コルワ、

 トロラ、シエント、ヘリオス、フローレンス、エレイン、

 ルベル、ネイア、ニーノ、エセル、エバリー、

 キリュー、サム、エドモンド、ピエール、ネーヴァ」


 掠れ声で村人の名を呼びながら、写した絵を見返す。

 彼女の手にある紙束は可視化された思い出であり、クレハの生きた証。

 計画通り進められない日もあり結局20日もかかってしまった。

 しかしその苦労の日々もようやく終わりを迎える。


「ヘイゼン、ニケ、アニン、ベイル、アーノルド。これであと二人……お母さんと、ロイクだけや」


 村人たちが写った41枚、慣れるまでの写し損じもあったため残る魔法陣は2枚。

 先に親子の写真を撮るために撮影係を請け負った。

 クレハは既に上体を起こす体力すらないため、母親は寝転がる娘の横に顔を並べる。

 それに合わせて高い位置から魔法陣を構え起動。一瞬のフラッシュの後、その景色は紙に写し出される。

 現像した写真を見て母親は口元を押さえた。 


「よく頑張ったわねクレハ。あなたが最後に頑張ってくれたお陰でみんな喜んでるわ。本当に……今までありがとう……」

「そんな泣かんでよお母さん。こっちはもう泣く体力もないんやから……」


 母として、一村人としてクレハに感謝を述べようとするも涙が言葉を途切れさせる。

 そんな母に慰めの言葉をかけたクレハは、次に俺へと視線を向けて口を開いた。


「ロイク。あんたは泣けや」

「……え? なんで?」


 意図の分からない傍若無人な言葉に質問で返す。

 しかしクレハは意味もなく無茶ぶりしたわけではないらしい。


「うちのわがままで随分忙しくさせたからな。泣いてる暇、なかったやろ?」 


 その悪戯顔を見ればいつもの軽口だって分かる。

 けれど気遣いの気持ちも少しはあるのだろう。

 だから俺も、そんな気遣いは必要ないと軽口で返す。


「バーカ。お前の前では絶対泣かねぇよ」

「なんやねん。ロイクの癖に生意気やな……けどありがとうな。ほんまに」

「……おう」


 感謝の言葉を受け入れ、最後の撮影魔法陣が起動する。

 皆が笑っている中で俺だけが上手く笑えなかったこと、どうか許して欲しい。


「43枚目、これで終わりや……叶いそやなぁ。一生一緒」


 弱々しく、途切れながらも言葉を紡ぐ。

 クレハの限界を思わせる話し方に、思わず自分の語気も弱くなるのを感じた。


「それが叶うのは俺達だけだろ……お前はずっと一人だ。だったら、お前が死ぬならいっそ俺も……」


 勢い余って口走る。

 しかし俺の言葉はクレハの震える手に遮られた。


「ほなことせんでも一緒やよ。ずっと……だからだいじょう……ケホッ」

「? それはどういう……あれ……?」


 一瞬、視界が揺らいだ。

 頭がふらつく。足がふらつく。立っていられず手で体を支えるが今にも倒れてしまいそうなほど手に力が入らない。


「なんだこれ……力が抜ける……」

「ごめんなぁ……維持するのももう……限界や」


 今にも消えゆきそうなクレハの謝罪は、俺の現状に対するモノのように聞こえた。

 それが何を意味するのか理解できず、ふと後ろを見た。

 そこには倒れ伏すクレハの母の姿があった。

 呼吸が弱まり起き上がる気配もない。


 嫌な予感がし、非力になった体に鞭を打ちやっとの思いで窓の外を見る。

 その景色は余りにも悲惨。目に見える村人は全てクレハの母と同じように倒れていた。


「クレハの母さん……? 村のみんなも倒れてる? なんでこんな……?」


 なんで、と虚空に問いかけながらも直感的に理解していた。

 本当は誰に問いかけるべきなのか。

 その問いかけるべき存在の方を恐る恐る振り返る。

 目が合うとその少女は無言で頷き、俺は全て察せざるを得なかった。


「そっか……こういうことなのか。ずっと一緒って」


 クレハが死にかけると同時に俺たち村人にも影響が出ている。

 そしてクレハの言動。そこから導き出される答えは……。


「クレハ。俺達も死ぬ……いや違うか。俺達はもう死んでるんだな?」

「…………せや。今生きとるのはうちの魔法」


 苦悶の表情で捻りだした少女の回答。

 クレハの魔法と言えば魔物を操る使役魔法。

 詳細は分からないが、クレハは既に死した村人に魔法を行使し生存を偽装した。


「全部、うちのせいや。うちのせいでみんな……」


 真実を打ち明けたクレハは一層苦しそうに自責する。

 しかし俺には到底彼女が悪いように思えなかった。


「それは……違うだろ。お前がいたから俺たちも今まで生きてられた。ずっと守ってくれてたんだろ?」

「……なんやねん。恨まれた方がまだ楽やったのに……」


 今のクレハを見ていれば村人全員の死は彼女の意図でないことは明らかだ。

 不慮の事故で死んだ俺達はクレハに生かされていた。

 それでクレハと一緒に死ぬと言うのなら、文句なんてあるはずがない。


「恨むわけない。俺だって最後までクレハと生きられて幸せだった」

「……そうかぁ。ほなら、よかったわ……」


 後悔はない。他の村人も同じように思ってくれるはず。

 その考えに疑いはないけれど、一つだけ思うところがあった。

 今までのクレハの言動や魔法陣技師エイルの口ぶりからして、クレハは俺達を生かすために魔法を使用し、魔法の副作用で衰弱したと考えられる。

 彼女は俺達を見捨てればもっと生きられたのだろう。

 それを選択しなかったのは短い時間でも村人と過ごす幸せが欲しかったから。

 逆に言えば、それ以外に幸せに生きる道が見つからなかったから……?

 死の間際にも関わらず、我慢できずに質問してしまう。


「クレハ。お前はこれで……幸せだったんだな?」

「…………ん」


 話す気力も残されていないのか、クレハはただ満足げな表情で喉を鳴らした。

 その顔に嘘偽りは感じられない。


「なら……いいか……」


 彼女が幸せだというのなら、もう俺に言うことなどない。

 そう思いかけて俺は……そこまでの思考を全て否定した。


「良いわけ……ないだろ」

「……」


 返事はない。

 でも俺が動いてるってことはまだ魔法が生きてる。クレハが生きてるってことだ。

 魔法陣技師が言っていた村を出れば治るっていうのも、村人を諦めればクレハは助かるってことだ。

 クレハにはまだ、幸せに生きる道が残されている。


「おい聞いてるか聞けよ……返事しなくていいから。俺は……お前とずっと一緒なんて絶対に嫌だ」


 全身が震える。もう限界だと、もう死にたいと体の底から訴えているようだ。

 けどそんな甘えは許さない。

 声が出るならまだできることがある。クレハに伝えるべきことがある。


「俺はな……ずっと憧れてたんだよ。お前には子供ながら村を守る大きな力があって、でも幼馴染みの俺には何もなかった。俺にできることなんて、村を元気にしてくれるお前を元気づけることくらいだった」


 これまで誰にも、特にクレハには話せなかった胸の内を打ち明ける。

 自分の心の弱さを打ち明ける。


「お前が病気になったとき、実はちょっと嬉しかったんだ。やっとお前の役に立てる。村の役に立てるって思って……お前を治す方法を探し回った。でも結局助けられなかった。弱い自分が情けなくて仕方ねぇ……」


 改めて言葉にすると自分が最低過ぎて涙が出てくる。

 クレハは聞いてくれているだろうか。

 ちゃんと幻滅してくれているだろうか。


 幻滅したならどうか俺のことなんか見限ってくれ。

 けどもし同情してしまったのなら、どうか俺の希望を叶えてくれ。


「情けない自分が許せない……でも許したいんだよ。こんな最低な自分を許してやりたい……だから俺はお前と一緒にいるよりも、お前を助けて胸張って死にたい。だから俺は……最後までお前を助けることを止めない!」


 未だ反応を示さないクレハにひたすら語り続ける。

 きっと届いてると信じて、文字通り必死に語り続ける。


「クレハ! お前はもっと視野を広げろ! お前の生きてきた時間なんか本来生きられる時間の20%にも満たない! お前の生きてきた世界は本来の世界の1%にも満たない! お前程度の人生経験で全部悟った気になってんじゃねえよ!」


 俺の想いは本当に伝わっているのか?

 思いの丈を上手く言葉にできない。もどかしい。悔しい。

 生きて欲しい、ただそう伝えたいだけなのに。


「村の守護者だった頃のお前は最高にカッコよかったよ。幼馴染として鼻が高かったよ! でも今のお前は最高にカッコ悪いよ……返せよ。俺の憧れたクレハを返せ゛よ゛! ケホッ……」


 渇ききってガラガラの声で叫ぶ。

 悲鳴のように、断末魔のように聞こえているかもしれない。

 けどまだクレハは目を覚ましていない。

 なら止めるな。クレハが起きるまで、クレハが生きると言うまで叫び続けろ。


「お前のカッコよさは、世界にも通用するから……もっと゛生き゛て゛……」


 目が霞む。でもまだ寝るな。まだ……のに……。

 思考が働かない。

 あと何を言えばいい?

 そもそも俺は何がしたかった?

 俺が言うべきこと、クレハに伝えたいこと、それは……。


「カッコいい、おま゛えが……すき……だっ…………」


 …………………………………………。


 ……………………。


 …………。

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