第50話 声絶の魔導師⑦
ムドウは睨みつける。
いつもの朗らかな視線とは違う、獲物を狙う目。
ムドウは吐き捨てる。
いつもの優しい音とは違う、低く怒気を孕ませた声音。
「最早ワシらの間に言葉は不要。もう一度お主の声を奪わせてもらうぞ! イゼル!!」
ムドウは手を伸ばす。
仲間に差し向けるそれとは違う、襲いかかる勢いの手を、私の首めがけて。
私は……何も言わず全てを受け入れた。
私の首を掴んで数秒、ムドウは恐る恐る口を開いた。
「何故、避けようともしない?」
彼の質問の意味は分かっている。
触れて付与する刻印、その部位の機能に障害を与える。
明らかに首を狙っていたのに、声を奪われると分かっていて避けなかった理由。
答えようにも喉を震わすことはもう叶わない。
「なんて、答えられんようにしたのはワシだったな……」
『許さないための理由づくりだよ。仲間だと思うと許しちゃいそうだから』
「!」
二人の間に響く私の声。
だが音源は私の口ではない。
「何故声が……いや。既に発動していたか、"エアスフィア"……!」
『お仕置きの時間だよ。ムドウ』
研究を重ね形にした私だけの一般魔法"エアスフィア"。
空気膜で球体を作り、音や魔力を閉じ込める魔法。
今解放したのはムドウに伝えるために用意していた言葉。
これから解放するのはムドウに引導を渡すための魔力と詠唱。
『たうはいうるねうでるいーてれい』
「詠唱……上か!」
上空に響く詠唱、ムドウは咄嗟に大きく回避する。
発動した魔法は雷、電撃が降り地面を焦がす。
初撃を外したイゼルは間髪入れず追撃した。
『どぅいおねうでる』
ほぼ不可視の空気膜はムドウの目前で解放された。
発動した魔法は風、爆発的に起こる暴風がムドウを巻き込む。
「ぐぬっ……うお……!」
盾で風避けをするも押し出す力に負けて後退する。
瞬間、ムドウは足を置いた先に違和感を覚えた。
大地を踏む前に触れた障害、それは無色透明の歪み。
イゼルが配置した空気膜を自ら破ってしまう。
『ふぇるれいいーてつーぜらいーて』
「く……足元に魔法を……!」
発動した魔法は氷。ムドウの足を地面もろとも氷結させた。
機動力を削ぎ、容赦ない連撃を浴びせる。
『たうはいうるねうでるいーてれい』
『たうはいうるねうでるいーてれい』
『たうはいうるねうでるいーてれい』
「ぐっ! っ! っぅ……!」
幾度となく降り注ぐ雷撃、回避できないムドウにできることは盾を構えることだけ。
直撃は免れるも、金属の盾から伝う電流が体に走り続ける。
あまりに一方的な猛攻。
その光景をパーティリーダーは複雑な心境で静観していた。
「やっぱり凄いな……イゼルは……」
魔法を再び使えるようになったイゼルの頼もしい姿、しかしその顔は一貫して無表情。
元仲間への攻撃を嬉々として行えるはずないことは理解している。
だからこそ自分の手で終わらせたかったが、負けた自分は今や身動きも取れない。
リーダーとは名ばかりの自身に惨めさを噛み締める。
するとその隣に一人の女性が座り込んだ。
「素敵な魔法ですよね。あちこちから美声が響いて、まるでコーラスのよう」
「あんたは魔法陣技師の……」
「エイルです。お身体は大丈夫ですか?」
「……大丈夫とは言えないだろうな。だがそれ以上に……情けなくて仕方ねぇ」
悔しさに歯を噛み締める。
仲間の裏切りを止めることもできず、別の仲間に尻拭いをさせる。
そんな自分にリーダーを名乗る資格はあるのか? と。
「リーダーだからと言って、全て一人で背負う必要はないでしょう。それとも仲間が信じられませんか?」
「そんなはずない! 俺はずっと信じてきた!」
「なら最後まで見届けましょうよ。イゼルさんの覚悟を」
信じる。その言葉を反芻してもう一度二人の戦いに目を向ける。
気づけば魔法の嵐は止み、ボロボロのムドウが辛うじて立っていた。
「イゼル……お主は本当に優秀な魔導師じゃな」
称賛の言葉、それに似合わない歪んだ顔。
フラフラの体に力が入り始め、やがて感情を乗せて声を荒げる。
「だから許せぬのだ。ワシは……お主ら魔導師が憎くて仕方ない!!」
力が最高潮に達し、足に張り付く氷がバキバキと音を立てて割れる。
拘束が剥がれ、直線的に突進するムドウ。
対してイゼルは空気膜を再配置し、ムドウの目前で起動する。
『どぅいおねうでる』
『たうはいうるねうでるいーてれい』
発動する魔法、しかしムドウは傷だらけの盾で最低限防ぎ、傷を負っても怯まず進む。
「絶え間ない全方位からの攻撃、確かにお主の魔法は脅威じゃよ。しかし……数に限りがある。"エアスフィア"の操作上限は15、それも今使いきったな?」
仲間うちで共有しあった能力限界。
ムドウは呪印の力を隠しつつ、仲間のことはすべて把握していた。
「声を封じた以上耐えきればワシの勝ちだと言うのに……風、氷、弱い雷、殺す気の無い魔法しか用意しとらん。結局のところ……お主らは甘いんじゃよ!」
呆れの言葉を吐き捨て、勝負を終わらせにかかる。
魔法の使えない、無力な魔導師と侮って。
「甘いのはどっち? 一度解呪されてるのに、それで勝った気になれるなんて」
二度と聞くことはないと思っていた声が響く。
ムドウはその音を奏でる喉元に視線を向ける。
「声!? まさか……刻印が消えて……!」
「魔法陣の発動に声は要らないからね。これで……私も自由に魔法を使える」
イゼルが手に持つ魔法陣の描かれた紙がボロボロと崩れる。
始めから呪いを受けるつもりでいたのも、エイルに魔法陣を貰っていたから。
「――――"エアスフィア"10連、リリース」
詠唱、出力されたいくつもの不可視の歪みがムドウを囲む。
時を待たず、それぞれの空気膜から強風が解き放たれる。
いくつもの強風は重なり合わせて暴風へ成長、風はぶつかり合い荒れ狂う。
その中心に身を置かされた男は、激しい風圧に押し潰される。
皆を守る盾として不倒を誓ったムドウ。
風が止むと同時に、彼の勢いも止んだ。
◆
守りたいものが二つあった。
一つは3人の冒険者仲間。
もう一つは2人の家族、妻と娘だ。
家族を守るために冒険者として稼ぎに出る。
仲間を守るために前衛として盾を握る。
皆を守ることが、日々の幸せを守ることに繋がっていた。
守るだけで幸せを維持できていた……少なくともあの頃は。
「わたし、魔法学校に通いたい」
娘は魔導師に憧れた。
娘の願いを聞き入れ、魔法学校の入学を許した。
そこからだった。幸せな生活が壊れ始めたのは……。
「少しだけど魔法が使えるようになったの! わたし頑張るから!」
入学当初、嬉しそうに学校の出来事を話す娘。
正直に言うと、娘の成績は芳しくなかった。
まだ学び始めたばかり、まだまだこれからだろうと思った。
1年経過、娘の成績は一向に伸びない。
「あはは、わたし才能無いのかも……でも大丈夫。その分みんなよりたくさん努力すればいいだけだから」
宣言通り、娘は人一倍努力していた。
学校はもちろん、家でも寝る間も惜しんで。
しかし魔法の上達は無く、日に日にヤツれていくばかり。
「朝か……学校行かなきゃ……魔法の練習、しなきゃ……」
ある朝、登校直前の娘が倒れた。
すぐに治癒院へ連れていった。
診断の結果、娘の症状が分かった。
先天性魔漏症。
人より魔力の回復が遅く、安定した魔力出力ができなくなる病。
一時的に体調が回復しても癒えることのない不治の病。
さらに遺伝性の病らしく、自分と妻も同じ検査を受けた。
その結果、自分も同じ病であることが発覚した。
「……お父さんはさ。わたしがまだ頑張りたいって言ったら、応援してくれる?」
断れるわけがなかった。
親としては引き留めるべきだと分かっていたのに。
娘は魔導師の夢を諦めず、魔法学校に通い続けた。
魔法学校は実力主義、才ある者を優遇し、それ以外は簡単に見捨てる。
例え病でも見込みのない者は追放する、それが魔導師の世界の常識だった。
それは生徒間の友好関係も同じだった。
努力が実らない才能無き少女、そんな娘に向けられるのは嘲笑と憐憫のみ。
「正直、悔しいよ。運良く健康に生まれただけの癖にさ……だからいつか見返してやるんだ。ハンデが有っても同じ魔導師になれるんだって」
それでも娘は努力し続けた。
誰にも相談せず、誰のことも責めず、孤独に。
娘は命を落とした。
死因は度重なる魔力欠乏による神経磨耗。
娘は……魔導師という夢に殺された。
悲しみに明け暮れる日々。
妻との間に会話はない。
ただ空虚な生活を送るために、冒険者として稼ぎに出る。
もう一つの幸せを壊さぬよう、いつもどおりの表情を貼り付けて。
その冒険者パーティの仲間に、魔導師の少女が居た。
彼女は魔法学校でも成績優秀だったらしい。
綺麗な声で詠唱を奏で、強力な魔法を放つ。
仲間としては頼もしい……はずなのに、こう思ってしまう。
何故お前は魔法を使える? と。
持って生まれた才を振りかざし、幸せそうに生きる魔導師の姿。
目にするだけで反吐が出る。
必死に感情を抑えながら、盾を張って仲間を守る。
"守る"こと。それが自分にとっての信念で、だから武器として盾を選んだ。
今になっては何を守りたいのか分からない。
一番守りたかった娘を守れず、憎いとすら思う魔導師の幸せを守らされている。
考えただけで心に靄が掛かる。ドス黒い感情が渦巻く。
ストレスがピークに達しそうになった頃だ。
一人歩く夜道で話しかけられた。
「私と契約すれば、あなたの望む力を与えてやるの」
見知らぬ少女からの声かけ。
不思議と怪しさは感じなかった。
本能的にその少女を信じるべきだと思わされ、本心からその少女を信じたいと思った。
我が望みは復讐。
娘を死なせた魔導師という存在が許せない。
野営中の深夜、寝静まる少女の首をそっと掴む。
苦しめ、苦しめ。
娘の苦しみを思い知れ。
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