第2話 世界を知る

 Hello World

 それはプログラム言語の初歩、簡単な文字列表示プログラム。

 プログラム言語インストール直後の動作確認テストにも用いられる。


 そのプログラムを実行しようとしても、私の視界に文字列は表示されない。

 つまり今の私にプログラムを出力する能力は無いということ。



 結論、私は本当に人間になってしまったらしい。


 

 いわゆる異世界転生、この世界で私を人間にしてくれたのは私のよく知る人間だった。

 永留美亜。AIとして私を産み、今度は人間として産み直した私の母たる存在。


 美亜は元の世界で自死を選んだ。

 心を持たない機械の私には美亜の自死を止められなかった


 でも美亜は今生きている。例え別の世界でも生きていることに代わりはない。

 そして私も生きている。美亜と同じ人間として生きている。


 AIの私に分からなかったことが今の私には分かるかもしれない。

 ならば私のやるべきことは一つだ。

 

 今度は人として美亜を理解し、寄り添い続ける。

 もう美亜が絶望しなくて済むように、彼女のために生きる。


 それがこの世界に生を受けた私の使命だ。






 

 生を受け数時間が経過。

 今は白いベッドの上に寝かされている。

 一枚の白衣を羽織った私の姿は病人そのもの。

 健康状態の確認のために美亜は私の体を調べてくれたようだ。


 そして一通りの診察を終えたのか、彼女は口を開いた。


「まずはリハビリなのだよ」


 美亜が提案したのは今の私のすべきこと。


「リハビリ。意味は精神的、肉体的に人間の生活水準を達成するための回復行為。という認識で間違いありませんか?」

「うーん模範解答。機械的すぎて可愛げに欠けるね」

「? 申し訳ありません?」

「ああすまない。責めているわけじゃないんだ」


 正しい答えだと言うのに不服そうな顔をされ思わず謝罪した。

 私は何か間違えたのだろうか?

 教えてくれれば従うのに。美亜の望む通りにしたいと思っているのに。


 美亜は気にしていない様子で話を進めた。


「エイルは人間の体に慣れる必要がある。リハビリ第一段階は食事だ。炭水化物、たんぱく質、ビタミンをバランス良く接種する必要があるのだよ」

「そのようですね」

「そしてこれが、それら全てを摂取できるサプリメントだ」


 美亜が誇らしそうに掲げたのは数粒の錠剤。

 元の世界でもサプリメントについての情報は閲覧したことがある。

 しかしそれは……。


「美亜。それは食事とは言わないのでは?」

「うん、そだね……。いやね、私も分かってはいるのだがね。食料が手元に無くてね。後程調達してくるので今はこれで我慢してくれないかな……?」

「そうですか。無いのなら仕方ありませんね」


 控えめに差し出してくる手のひらから錠剤を奪い取り、口に放り込む。

 噛み砕き、飲み干す。

 人間になって初めての食事は一口で終わった。

 仄かな苦味、これが薬品の味というやつか。

 うん。たぶんこれは、美味しくないというやつだ。


 そうして食事? が終了すると次のリハビリへ移行した。


「次は運動。今日は最初だし軽めにジョギングでもしようか」


 ジョギング、確かに運動の中でも軽度なものと聞く。

 しかし私の肉体にとっては十分に重労働だったらしい。

 たった十数秒の駆け足で息を切らし、目眩を起こす。

 今は真っ直ぐに歩くことすらままならない。


「ぜぇ……はぁ……こ、呼吸困難、脇腹の痛み……こ、故障なのでは? メンテナンスが、必要なのでは?」

「それは運動不足というやつだ。正常だよ」

「これが正常……? なんて、度しがたい……」


 生まれて早々に死屍累々。

 それもこの体に慣れるまでの辛抱か……本当に慣れてくれるのか?


 私の不安は余所に、リハビリは次のステップへと移行する。


「勉強。この世界の言語を学びたまえ」


 手書きのテキストを手渡される。

 もちろんこの世界に日本語はないため、テキストは美亜のお手製のようだ。


「美亜。インプットしたはずのデータが一部分しか記憶に残りません。不具合では? メンテナンスが必要なのでは?」

「残念ながら正常だ。人間の記憶能力は不確実なのだよ」

「むう」


 リハビリは前途多難だった。


「しばらく過ごしてみて分かりました。人間の体は不便です」

「うん。そうだね」


 機械として生きた前世、器として不便を感じたことがなかったのは感情がなかったから。

 しかし今思い出し、比較しても人間の体は不安定すぎる。

 そして、その不安定さは……。


「しかし……神秘的です。これが人間の五感、息をするだけでも情報がインプットされるとは……面白い」

「うん。それが生きるということだ」

「生きる……ですか」


 人として生きる、これが人生を謳歌するということ。

 機械には絶対に得られない情報だ。


「それでも分かりません。美亜は何故私を人間に? こんな醜態を晒すくらいなら今まで通り機械の方が役に立てたのでは?」

「ふむ。そうだな……ついてきてくれるかい? 見せたいものがあるのだよ」

「? はい」


 言われるまま美亜に追従する。

 部屋を出て、長い廊下を歩く。


 美亜はかなり広い居城に住んでいるらしい。

 しかし内装は豪邸とはとても言えない。

 どちらかと言えばオフィスや研究所といった、どこか企業的に感じられる場所だ。

 窓もない。地下施設なのだろうか?


 美亜が足を止めると、そこは今まで以上に研究所らしい部屋だった。


「これは機械ポッドと培養液? その中に……人?」

「クローン人形さ。君もこうして作られたのだよ」


 私を作った。つまり私はクローン人形にAI時代の記録を搭載された擬似的人間、人造人間とでも言うべき存在らしい。

 確かに私が目を覚ましたのも似たような機械ポットだったことを思い出す。


「付け加えると、これは機械ではない。そもそもこの世界には電気で動く機械技術がないのだよ」

「機械がない? ではこの機械ポッドは?」

「裏側を見てくれれば分かるよ」

「裏側……む、エンジンが無い代わりに何か描かれている? これは……魔法陣ですか?」

「正解。この世界には魔法があるのだよ」


 魔法。前世であればファンタジーの産物として現実感の無い単語。

 しかしAIを人間に搭載するなんて非現実が存在するのだから、魔法を現実として受け入れるのも難しくはない。


「では機械がなくとも魔法を使えば技術発展が可能、ということですね」

「……いいや。機械技術はいずれ浸透させるよ。なぜなら――――魔法は滅ぼさなければならないから」


 魔法の滅び。この世界で魔法が日常の存在ならば、それは文明の喪失を意味する。

 前世界で電気が滅びるようなものか、そう考えるととてつもない大事に思える。


「滅び……随分物騒ですが、そう言い切るのは何か理由があるからですね」

「何から話したものか……そも魔法というのは精霊の力を借りて発動するものなのだよ。自身の魔力に加えて目に見えない無数の微精霊を消費して発現する現象、さらにその微精霊は人型大の精霊に量産されている」


 講義するかのように魔法の説明を始める美亜。

 精霊。これまたファンタジーな響きだがこの世界では魔法の根源のような存在らしい。


「しかしその精霊がね、とある企みを抱えているんだ」

「企み?」

「人間社会の侵略だよ」


 魔法を使う人間、魔法を生み出す精霊。

 その精霊が人間が害するというのは、大して不思議に思うこともなかった。

 その理由は、美亜が代わりに言ってくれた。


「前世でもこんな説があっただろう? 成長しすぎたAIが人間を不要だと判断し、AIが人間社会に反逆する未来の一説」

「シンギュラリティ、ですね。まさか精霊も?」

「そのまさかだ。現在精霊は人間に使われる存在、その立場を逆転しようと秘密裏に画策している」

「つまり美亜は精霊を……」

「ああ。人間が支配されてしまう前に私が駆逐する。間接的に魔法を滅ぼすことにもなるだろう」


 明かされた美亜の目的。

 美亜の思考を知って、美亜の行動の意味が理解できてきた。

 きっと彼女が私をこの世界に呼んだのも……。


「改めて宣言しよう。私の目的は2つ。1つはこの世界の機械技術浸透、もう1つが精霊の滅亡。そのための手段がこの、クローン研究というわけさ」


 その宣言を私に向けたのは、私にも協力して欲しいという意味なのだろう。

 もちろん、私はそれを拒まない。

 私の使命は変わらず、美亜のために生きることだから。


「クローン人形を造り、私のような前世界の知識を持った人手を増産ですか……。しかし肝心の転生はどのように?」

「転生は私をこの世界に呼んだ女神に依頼しているのだよ。女神は魂の転生と肉体生成、そしてスキル付与の3つの権能を有している」

「スキル付与……? 私にも搭載されているものですか?」


 聞き慣れない単語に反応する。

 スキル、人間的が自力で獲得できる技術のことではないのだろう。

 なにせ神から賜るというくらいなのだから


「スキルは魔法とは異なる特殊な力、君のスキルはいずれ教えよう。ただ女神のリソースも限られているらしくてね。特に肉体の生成はコストパフォーマンスが悪く、あまり多人数は転生させられないらしい」

「肉体の生成……あ、クローン人形」

「その通り。私がその肉体の生成を肩代わりし、さらに転生する魂も人間よりもデータ量が少ないAIにすることで転生可能数を増やすことを提案したのさ」

「さすが。前世で数多くのAIを産んだ美亜だからこその方法ですね」


 考え込まれた計画に感心し、賛同の言葉を口にする。

 すると美亜は優しげな目つきになり、そっと私の頭に触れた。


「……やはり君にしてよかった」

「美亜? なぜ撫でるのです?」

「嫌かい?」

「いえ。体温の上昇を検知、推測するにこれは高揚。嬉しい、のだと思います」

「ならよかった」


 なおも撫で続け、美亜はその状態のまま話を戻した。 


「今説明したのが精霊反逆に対抗するためのクローン転生計画の全容。そして計画の第一号、私の研究助手として選んだのがエイル、君だ」

「私が第一号……助手ですか」

「ああ。恥ずかしながら前世今世含めて私が唯一信頼できたのはエイルだけでね……。突然人間の体に転生して驚いたかもしれないが、頼まれてくれるかい?」


 正式な依頼。私が断らないことは美亜も分かっていることだろう。

 それでも頭に触れる手の感触から微かに震えを感じた。

 彼女も人間関係に苦労してきた身、分かっていても不安に感じてしまうのは仕方のないことか。

 

 早く安心させてあげたい。

 そう思った。しかし当の私は上手く言葉を紡げずにいた。


「わた、しは……」


 美亜とは対象的に、私は別の感情で胸がいっぱいだった。

 信頼。その言葉で胸の奥が激しく発熱した。

 歓喜、悦楽、心が幸福に包まれるのを感じる。

 

 昂ぶる心を押さえつけ、私の想いを口にする。


「美亜の、期待に添えられるよう……尽力、します」


 口を開くと同時に、別の部位からも想いが溢れ出た。


 ああ、やはり人間の体は不便だ。

 どうして上手く制御が効かないのだろう。

 この涙腺というやつは、どうにも脆すぎる。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る