第9話 幸せを知る

 ラグネスとの再戦から10日が経過した。


 あれから美亜とはほとんど会話を交わしていない。

 私としては避けているつもりはない。

 ただ美亜が研究室に閉じこもって話す機会がないだけだ。


 食事を研究室の前に置いておくといつも空になっているため、生存確認はできている。

 流石にしばらく顔を見ていないと心配なため、少しでも健康になれるようにと食事を作る。

 そんな夕食作りの時間のことだ。


「あの、エイルさん!」

「はい? あなたは……リノワ?」


 後から転生した三人のうちの一人、リノワがキッチンに訪れた。

 生活にはもう慣れただろうが、中々馴染めていない彼女。

 こうして話しかけてくるのも珍しいことだ。


「何か御用ですか?」

「えと、その……本を読んでても良いですか? ここで……」

「別に良いですけど……お構いできませんよ?」

「いいい良いです! むしろ放置して貰えると助かりましゅ!」

「……?」


 言葉に詰まったり噛んだりと、会話が苦手そうなのはいつもの彼女と変わりない。

 しかしここに来た目的がイマイチ理解できない。

 不審に思いながら見ていると、リノワは言い訳するように口を開いた。


「えと……お、おち落ち着くん、です。エイルさんの側……。わ、私と似てる気がする、から!」

「似てる? 私とですか?」

「あっごごごめんなさい! 私なんかと一緒にされたら嫌ですよね! はは……」


 申し訳無さそうに自虐する。

 その自信の無さは、どこか共感できた。


「いえ、構いませんよ。私も同じことを思っていたので」

「そそ、そうですか……ふひ」


 下手くそに笑みを溢す。

 すると突然外側から声をかけられ、リノワは体を硬直させた。


「エイル。一つ頼みが……って悪い、先客か?」

「オルタですか。ああ……リノワ? 大丈夫ですか?」

「うっ、うー……だ、だ大丈夫、です。隅で大人しくしてる、ので」


 我々の中で唯一の男、オルタの来訪。

 リノワは嫌そうに顔を引き攣るが、それでも離れると言わない辺りオルタのことも多少は信頼しているのだろうか。


「それで頼みとは」

「あーそれな。飯の作り方教えて欲しいんだよ」

「? 私は良いですけど、なぜ突然?」

「いやー転生してからさ俺達リハビリに勉強ってさ、自分のことしかできてないだろ? 思えば負担かけるばっかで何も貢献できてねーなぁって」

「そんなこと気にしなくても。生まれたばかりの頃は私達も同じでしたし」


 転生当初、馴染まない人体に馴染みのない異世界文化。

 転生者として召喚したのはこちらの都合だし、慣れるまで世話になるのは当然だ。

 それでも彼は納得できないらしく首を振る。


「気持ちの問題だよ。俺もあんたみたく、家族のために何かしたいんだ」

「なるほど……そういうことなら協力しましょう」


 家族のために料理を振る舞う。

 私が料理を楽しめているのも、皆が感謝してくれるからだと思う。

 この役目を共有したいと言うのであれば、私としても大歓迎だ。


 そうしてオルタに教え始めると、また一人客人が訪れた。 


「ねーねーエイルー。今日のご飯何ー……ってなんか人多くない?」

「ひっ、また増えた……」

「ミルディア? 何か用か?」


 さらに縮こまるリノワ。客人の名を呼ぶオルタ。

 その正体は彼らと同時に転生した最後の一人、ミルディアだった。

 ただ私としては彼女の来訪は特に驚くこともなかった。


「むしろあなた達が何用? 私はいつも来てるけど」

「そうなのか?」

「はい。毎日つまみ食いに来ます」

「お前なぁ……」

「何よ。折角美味しいご飯なんだから2回楽しめたほうがお得でしょ?」


 ミルディアは初対面から随分印象が変わった。

 クールで特徴の少ない女の子かと思えば、最近ではわがままな部分をよく見かける。

 欲望に忠実、ある意味では普通の人間らしい姿なのかもしれない。

 それでも彼女が迷惑行為を働くことはないため、こちらが不快に思うこともない。

 むしろ何を求めているのか分かりやすく、与えてやれば嬉しそうにしてくれる分、こちらも付き合いやすい。


「そうですね。楽しんでもらえてるなら、私も嬉しい限りです」


 共に過ごせば関係性は変わる。

 近づくこともあれば、離れてゆくこともある。

 彼らは私を信頼して近づいてきてくれる。

 そんな心地の良い私の居場所。


 私は今、自分が思うより幸せなのかもしれない。







 皆との食事の後。

 いつもの如く部屋の前に食事を載せた盆を置く。

 すると不意に扉が開いた。

 しゃがむ私を見下ろす相手。


「……美亜」

「話したいことがある。少し良いかい?」


 研究室にこもりっぱなしの彼女。

 こうして声を聞くのも10日ぶりだ。

 何を言おうか迷い、咄嗟に感じたことが口に出た。


「……臭いです」

「え?」

「最後に水浴びしたのはいつですか?」

「……君達が帰ってきた前日、かな」

「今すぐ行ってください。それまではお預けです。食事も、お話も」

「はーい……」


 とぼとぼと歩く美亜を見送る。

 すると目に入ったのは荒れに荒れた研究室、掃除も禄にしていないのだろう。

 待っている間に私は軽く片付けをすることにした。




 体を清潔にし、食事を終える。

 そんな満足そうな顔の美亜に詰問する。


「いいですか美亜。体を清潔に保たないと体臭以外にも健康被害も引き起こすのです。例えば皮膚疾患、感染症、免疫低下などなど……」

「エイル、もう十分に分かったよ。次は気をつけるから勘弁してくれないかい?」

「もう……それで、話というのは?」


 そもそも美亜が私に接触してきた発端。

 彼女は10日間開けなかった扉を開いてまで私に話したかった事があるという。

 それを尋ねると、美亜はすんなり答えた。


「一月後、ここに住む皆を孤児院に移そうと思う」

「ふむ……理由を聞いても?」

「リスクの分散だ。もし精霊に見つかった場合に備え、全滅を避けるために転生者の所在を分けたいのだよ。もちろん私はここに残り研究を続ける。女神の転生リソースは残り4人、確実に精霊に対抗できる転生者を作り出してみせる」


 突然の宣言、しかし理に適っている。

 精霊は美亜を敵視しているように見えた。

 私達が集うことで見つかるリスクは高まり、計画的に襲われれば全滅だってありえる。 


「幸い孤児院のツテはあってね、いずれどこかの貴族が養子として迎え入れてくれるだろう」

「そうですね。良い考えだと思います。……少し寂しくなりますけど」


 いずれ全員が離れ離れになる今回の作戦、仮にも家族として接してきた仲間たちだ。

 共に居たい気持ちもあるが、生きて目標達成を目指すことが最優先だろう。


 すると美亜はなんとも歯切れの悪い口調で話しかけてきた。


「それで先にエイルに話した理由なのだが……その……」


 美亜が何を言おうとしているのかは分からない。

 しかし今の話で物申したいことはこちらもあるので、先に言わせてもらうことにした。


「言っておきますが私は残りますよ。……ってなんですかその顔は? 私変なこと言いましたか?」

「いや……君から言ってくれるとは思っていなかった。君はまだ怒っていると思ったから……」


 どうやら美亜も同じ提案をしようとしていたらしい。

 確かに、状況だけ考えれば美亜からは言いにくい事かもしれない。


「……そうですね。この感情はラグネスに対するモノと似ている。これが怒りなのでしょうね」


 10日経ったとはいえ、美亜とはあれから話していなかった。

 謝罪も言い訳もなかった。

 私はまだ美亜を許したつもりはない。


「でも使命に私情を挟むつもりはありません。私は生涯、美亜の助手ですから」


 意見が食い違ったとしても、変わらない事実はある。

 私は美亜に産み出された存在で、その使命は生まれたときから決まっている。

 

「流石エイル、私のことをよく分かってくれている。嬉しい限りだよ」

「……分かりますよ。美亜のことなら顔を見れば大体察せられるようになりました。例えば……美亜がまだ隠し事をしていることとか」


 優しげだった表情が一変、美亜は渋そうな顔をする。

 すぐに顔をそらし、一言呟いた。


「……心当たりが無いな」

「そう答えるのも予想済みです。どうせ美亜のことだから、『隠すつもりはない。けれど言及されるまで言うつもりもない』とでも考えているのでしょう?」

「……」

「だから言及してあげますよ。美亜が隠している私の体の秘密。美亜がどうしても私を側に置いておきたい本当の理由を」


 黙る美亜の表情はどこか祈るようだった。

 余程私に知られたくない事実があるのか、それが私の思う美亜の隠し事と同一のものかは分からない。

 それでも私は美亜の希望を打ち砕くつもりで言い放った。


「美亜。私の寿命は長くないのでしょう?」


 美亜は目を見開いた。

 数秒間その目いっぱいに私の顔を映し、細め、観念したように声を漏らす。


「知って……いたのか……」

「異変を覚えたのはラグネスとの2回目の交戦後です。スキルを使った後、急激な握力の低下に気づきました。疲れから来る一過性のモノかと思えば、数日経った今も治らない。美亜に相談しようかとも思いましたが……先程研究室の掃除の際に気づきました」

「ああ……資料を見てしまったか」

「ここにあるのは魂の肉体移し替えに関する研究データですね。その研究を今更急ぐ理由を私なりに考えてみました」


 体の状態、美亜の研究内容、そして過去の経緯から導き出した推論を述べる。


「私は転生直後、転生体1号として研究助手であると同時に実験台だった。毎日の食事や運動でデータを取り、そのデータを元にネレイア達が転生する前のクローン体を調整していた。つまり私は……最も調整が不完全な肉体に転生している」

「……」


 沈黙は肯定と捉えて良いのだろう。

 私は別に美亜に心労を与えたいわけじゃない。

 だからこれ以上無駄な問答はせず、核心を突くことにする。


「あと、どのくらいですか?」

「……保って、4ヶ月」

「……モルトの代わりに私が死ねばよかったんでしょうね」


 笑うしかなかった。

 自虐的に、辛苦を噛み殺して。


 私がそれ以上声を出せずにいると、逆に美亜は声を張った。


「私はそうは思わない」


 否定の言葉、美亜はようやく自らの思考を開示する。


「モルトには悪いが、私が一番共に生きたいと思っているのはエイルだ。……エイル、君はどうだい?」


 美亜は今も私を必要としてくれている。

 美亜は今、私に共感を求めているのだろう。

 けれど、私は……。


「美亜がそれを望むなら、それが私の望みです」


 笑みを溢す。涙を流す。

 涙は感情が溢れた証明、今まで幾度となく経験したことだ。

 だからこそ思う。

 この感情はきっと、"幸せ"とは程遠い何かだ。

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