第二話 契約
答えに迷った上に、特に行く当てもない颯は、川に自分の姿を映してみる。無造作にセットしただけのミディアムの髪型はいつも通りだ。着ている服も事故に遭った瞬間と同じ、着古したフルジップパーカーにジーンズ姿。魂だけになっているとは言え、そこは変わらないらしい。
「あれ、君。
声をかけてきたのは、黒いコートに身を包み、黒い刀を下げた女性。その格好は先ほど妖と戦っていたウォーデッドとやらと同じだ。
「あんたは、さっきの」
「ああ~、見てたんだ。そっ、ウォーデッド。ちなみに名前は
「……俺は
「不結のあの子から話は聞いてるんでしょ? どうするかは決まった?」
「いいや、まだだけど。その『むすばず』って?」
「あなたが話をした十六夜のこと。あの子ってば変わり者でね。生まれてから百年以上経ってるのに誰とも契約しないし、他の十六夜と同期もしないから、そんな風に呼ばれてるの。まぁ契約に関しては替えが効かないし、慎重になってるって言ったらそうなのかもだけど」
同期というのは十六夜同士が精神を共有することで情報をやり取りすることなのだと言う。見た目は人間と変わらなく見えるが、そういった能力――というより機能を有しているそうだ。
「で、あの子ってどんな感じ?」
「いや、どんな感じって聞かれても。他の十六夜を知らないし」
「ふむ。それもそうね」
全ての十六夜の外見はほぼ同じで、髪の色やタトゥーの位置や柄の違いしか存在しないらしい。その上、精神の共有を行うのだから個性と呼べるものはほぼないのだとか。故に、同期を行ったことのない十六夜というのがどういうものなのか気になるようだ。
「それより、ここにいるのってどういう連中なんだ。死んだらあの門をくぐるんじゃないのか?」
列を成す人とは別に、町の各所で見られる人々。身なりから立ち振る舞いまで、この場所と実に相性がいい。明らかに町の住民に見えるからこその疑問である。
「まぁ、ね。でも、ここにいるのは死んだ人間じゃなくて、元々ここで生まれたヒト達なのよ」
「ここで、生まれた?」
死後の世界で生まれたとはどういうことなのだろうか。考えあぐねた颯は顔をしかめる。
「この町は生と死を分ける重要な場所だからね。当然、管理する必要があって、そのための要員がいる。それが
「システム……。あそこなんて、どう見ても時代劇に出てくるような宿場の茶屋だけど」
「祖霊の考えてることなんて私には理解出来ないけど。こうなっている以上、それが必要な形ってことなのよ、たぶん。ついでに言っとくと、あそこの出すお茶はコーヒー派の私でもおいしいと思うわよ?」
そう言われると立ち寄ってみたくなるのが人というもの。飲み食いには金銭が必要なはずだが、あいにくとこの場所に来てから財布がなくなっているのは確認済みだ。そもそも現代日本の通貨がそのまま使えるという保証はない訳だが。
「さっきから話に出てくる祖霊っていうのは?」
「全ての命の母であり、世界の意思とも言える存在のことよ。人間はもちろん、動物や植物、全ての魂はそこから生まれて、死んだらそこへと還る。まぁ、実際に見たことはないから、聞いた話だけどね」
「なるほど。奥が深いんだな」
話が壮大過ぎて若干付いて行けていない颯は、話を変えることにした。
「ところで、今更な質問をいいか?」
「私に答えられることなら、どうぞ?」
「ウォーデッドって、どうして横文字なんだ?」
話を聞く限り、この場所もウォーデッドも遥か昔から存在していたはずである。『ウォーデッド』という片仮名の呼び名が付いているのは不自然だ。
「ああ、それね」
神楽はおかしそうに口元を覆う。
「今時、
「はぁ?」
「最近は日本で天命を
「いいのか、それで?」
「いいんじゃない? この世だろうが、あの世だろうが、時代って言うのは移り変わって行くってことでしょ?」
見た目こそ颯と同じくらいだが、その言葉に
「ちなみに、昔は
個人的には元の方がよかったのではと思う颯だったが、先の説明の通り、それが世界の意思であるのならと、敢えて触れないことにした。
「あんたはどうしてウォーデッドになったんだ?」
「さあ」
「さあって……。自分のことだろ?」
両手を挙げ、降参の意を示す神楽に、颯は顔を再びしかめる。
「ウォーデッドに過去はないし、目指すべき未来もない。あるのはこの刀と、番人としての使命だけ」
「それって」
「これが、私たちが犯した罪の代償。君もこの道を選ぶなら、こうなるよ。人としての過去は消え、ただ隠世の剣として生きる。まぁ、実際はとっくに死んじゃってるんだけどね」
何かに気づいたように視線を動かす神楽。
「連れが呼んでるから行くわ。もし消える方を選ぶなら、不結のあの子を通して私を呼んで。痛くないように介錯してあげるから」
それだけ言い残して神楽は跳び去って行った。
最初の屋敷に戻った颯は、不結と呼ばれていた十六夜に問いかける。
「ウォーデッドに管轄の地域みたいなのはあるのか?」
「それを聞いてどうする」
「最初に聞いた話だと詩織は天命から外れちまってるから、仮に妖に襲われてもウォーデッドは助けに来ない訳だよな」
「彼女に起こる不幸がそれだけとは限らないが……。その通りだ」
「だったら俺がウォーデッドになったとして、詩織を守ることは出来るか?」
ウォーデッドの中には縄張り意識を持つ者もいるが、それはあくまで個人的なものらしい。そしてウォーデッドの行動範囲は契約した十六夜の裁量による。妖が現れた際には、近くにいる十六夜が対応に回るのが一般的なのだとか。
「ウォーデッドとなれば人であった頃の記憶は失う。お前に高柳詩織を守る動機はなくなるぞ?」
「結果的にあいつを守れるなら、状況は問わないよ。ただ俺が消えて終わりよりは、ずっといい」
「それはウォーデッドとなることを選ぶ返答として受け取っていいのか?」
「お前が詩織の側に陣取ることを約束してくれるなら……イエスだ」
「……そうか」
二人の足元に円形の紋様が浮かんだ。
「契約は成った。籐ヶ見颯。これよりお前は我が剣にして運命共同体だ。特例としてお前の要求に応えよう。
「……ああ」
「最後に、この先お前が名乗る名を決めろ。人としての過去を失うウォーデッドが唯一引き継ぐことの出来る、お前自身の記憶だ」
「……颯。それだけあれば充分だ」
「そうか」
紋様が発光し、そこから黒い帯状のものがいくつも生えてきて、颯の体を拘束するようにまとわりついていく。やがてそれは颯の体に溶けるように消え、一部は黒いコートと二本の刀に姿を変えた。
「気分はどうだ。颯」
契約の儀を終えた十六夜が颯に語りかける。
「気分も何も……。生まれたばかりの赤ん坊に同じ質問をするのか?」
「お前は赤子ではない」
「こっちはウォーデッドとして働くのに必要な知識が詰まってるだけで、後は空っぽなんだ。似たようなもんだろ」
ウォーデッド化に際し、必要な記憶は
「にしても、この左目は何だ。生前の怪我やなんかは反映されないはずだろ?」
颯は閉じられたままの左目に手をやった。
「お前は特別だ。もしもの時は負けた言い訳にでもするといい」
「……慣れれば問題ないし、そもそも負けるつもりはない」
ウォーデッドにとって十六夜の言うことは絶対である。自分の十六夜がそう言うのであれば、颯は状況を受け入れる他ない。
「これから何をするかは、わかっているな」
「お前が行けと命じた場所で妖を狩る。全ては十六夜の意思のままに。だろ?」
「その通りだ」
「で、ウォーデッドが手薄な辺りでも探すか?」
「いいや。行く先は決まっている。満ヶ崎だ」
颯は怪訝そうな顔を十六夜に向けた。
満ヶ崎とはとある町の名前だが、大して大きくもない上に、とりわけ霊的治安もいい土地だ。わざわざ陣を敷くほどの場所ではない。
「そこを選んだ理由は?」
「ごく個人的な理由だ。お前が気にするようなことではない」
「個人的……か。十六夜のセリフとは思えないな」
「……放って置け。行くぞ、颯」
何か思うところがあるのか。若干遅れて答えた十六夜の様子が気になりつつも、今の自分には彼女に従う以外の選択肢はない。
「御意」
颯は転移の呪印を展開する。目的地は満ヶ崎。颯が生まれ育った町であった。
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