第二十九話 妖化

 感情のタガが外れ、ウォーデッドが持つ妖性ようせいを前面に引き出した、妖化と呼ばれるもの。それは個々のウォーデッドの力の源であり、外見の元ともなる心想獣しんそうじゅうの真の姿。全てのウォーデットがなれる訳ではない、最強にして最狂の破壊形態である。


 颯のそれはウォーデッドの中でも稀な、いわゆる幻想種だ。力強い四肢と鋭い爪。両肩から伸びる鉤爪を連ねたような触手と、その先についた鋭い刃が彼の二本の刀を連想させる。醜悪さと神々しさを併せ持つ巨竜ドラゴン。その威風堂々たるたたずまいは、まさに幻想の頂点に君臨するにふさわしい。


 妖化した颯の霊圧で狭間が内側から砕け飛ぶ。現世の姿に戻った世界で、数々の悲鳴が上がった。それもそうだろう。日常の中に突如異形が現れたのだ。キャンパス内はパニックに陥った。


 蜘蛛の子を散らすように人が逃げ惑う中、二本の足で大地に立つ巨竜へと姿を変えた颯は妖へと腕を振り下ろす。すぐさま認識阻害を発動した妖には掠りもしなかったが、その鋭い爪はまるで砂山でも削り取るように地面を斬り裂いた。


「何だこりゃ~!? 一体何なんだよ~!?」


 妖も混乱している。何せ内包している霊力が先ほどまでとは桁違いだ。身体も大きい。五メートルほどはあるだろうか。それは妖の想定を遥かに超えていた。




 颯が再び咆哮を上げる。あまりの声の大きさに狭霧は怯んだ。何せ刃状の触手では耳を塞ぐこともできない。


「こいつは……」


 ウォーデッドが妖と同じ妖性ようせいをその内に秘めていることは知っている。しかしこれほど強大な力を秘めているとは思ってもみなかった。これは喰うなどと言っている場合ではない。一刻も早く逃げなければ殺される。


 狭霧は認識阻害を使ってその場を去ろうとした。しかし颯の触手が先回りするように道を塞ぐ。


「馬鹿な!? 見えるはずないのに!?」


 颯の触手は的確に自分の進路を塞いできた。まさか見えているとでも言うのか。


 狭霧の頬を汗が伝う。自分の認識阻害が見破られるはずがない。この能力は完璧だ。先ほどの颯の一撃だってまぐれ当たりに過ぎない。本気で自分が身を隠そうとすれば、絶対に見つかるはずはないのだ。


 今度は別の方向から離脱を試みる。が、やはり颯の触手に先回りされてしまった。これはもう偶然ではない。颯は何らかの方法で自分の位置を正確に捉えている。


 ならばどうする。狭霧は混乱の中、必死に思考を巡らせた。


「そうだ! 十六夜!」


 十六夜を殺せばウォーデッドは道連れだ。故に十六夜はそう簡単に姿を見せないものだが、幸い颯の十六夜はすぐそこにいる。こうなったら颯を喰うことは諦めて、十六夜を葬ってしまおう。


 狭霧は十六夜に向けて走り出す。が、十六夜への攻撃は叶わなかった。後一歩で間合いという所で、颯の触手に絡め取られてしまったのだ。


「ちくしょう! 放せ!」


 何とか触手から逃れようともがくが、颯の触手は硬く、自分の刃では斬ることができない。


 徐々に触手が締め上げられる。触手は肉に食い込み、骨を軋ませた。


「がっ!? ぐっ!?」


 このままでは上半身と下半身が分断されてしまう。流石にそうなっては、いくら悪食とは言え生きてはいられない。


 狭霧はもがいた。自分は今、生殺与奪の権を握られている。何故こうなった。何故自分が窮地に立たされている。そんなことはあってはならない。自分は強い。絶対に負けるはずがない。


 颯の顔めがけて触手を振るう。颯の触手は今、二本とも自分を捉えるのに使用されている。顔は無防備だ。確実に当たる。そう思った。


 しかしそれは叶わない。颯が無造作に振り上げた爪が狭霧の触手を切り裂いたのである。


 切断面から血が噴出した。強烈な痛みに狭霧は悶え苦しんだ。何故こんなに簡単に、颯の爪は自分の刃を断ち斬れるのか。全く意味がわからない。自分の刃はそう軟ではないはずだ。


 その間も狭霧の腕からは出血が続いてる。最早成すすべがない。狭霧は改めて颯の顔を見上げる。ドラゴンの表情を読んだことはないが、それでも彼が怒っていることは明白だ。


 口から漏れ出す蒸気。それに時折黒い火の粉が混じっている。


 颯が口を大きく開けた。喰われる。狭霧はそう確信した。


「こんなところで終わるのか……」


 狭霧が小さく呟く。


「せっかくここまで強くなったのに……」


 また奪われるのか。


 生前はずっと奪われてばかりだった。だから妖となってからは奪う側でいようと心に決めていたのに。


「こんなところで、俺は――」


 ばくりと颯の口が閉じられる。その瞬間狭霧の意識は消失した。




 颯が妖を喰う。その瞬間に詩織は目を覚ました。


「颯……?」


 詩織が呟く。目の前の巨竜はどことなくウォーデッドとしての颯の面影を残していた。これは颯だ。詩織にはすぐわかった。


 その間も巨竜となった颯はバリバリと妖を咀嚼している。颯の触手に絡め取られた妖は見るも無残な姿となっていた。


「颯~っ!」


 巨竜に向かって叫んだ。巨竜の首がこちらを向く。相変わらず口元からは白い蒸気と共に黒い火の粉がき出していた。


 巨竜が詩織を睨む。正確には表情は変わっていない。しかし、睨んでいるというのは感覚で伝わってきた。


 次の瞬間。巨竜の触手が詩織に向かって伸びた。寸でのところで雫が割って入ってことなきを得る。


「詩織……守る」


 現状に混乱している様子の雫だが、颯の言い付けは守っているようだ。


「颯、どうしたの!? 私だよ! わからないの!?」


 三度巨竜が吠える。その迫力は映画などで見る怪獣ものとは訳が違った。何せ本当に目の前にいるのである。それだけでがくがくと足が震えた。周囲の人間はとっくにその場から逃げ去り、残っているのは詩織と雫、それから十六夜だけだ。


「よせ。今の颯に自我はない。声をかけるな。無駄に刺激するだけだ」


 十六夜から制止の声がかかる。


「でも、颯が……」

「こうなってしまって以上、止めるすべはない。颯の気が収まるまで破壊は続くだろう」


 十六夜は拳を強く握った。


「私のせいだ。やはり颯とお前達を関わらせるべきではなかった」


 握られた拳から血が滲む。詩織は唇を噛み締めた。十六夜ですら今の颯を止められないのだ。ならばこうして指を咥えてみていることしか出来ないのだろうか。


 詩織は目を見開く。自分がこんなことでどうする。颯は自分のために怒っているのだ。ならばそれを静めるのは自分の役目ではないのか。


 一歩前へ出る。巨竜の唸り声に足がすくむが、それでも立ち止まる訳には行かない。


 雫の肩に手をかける。雫が心配そうに詩織を見上げたが、その瞳に決意の色を感じ取ったのか、そっと道を開けてくれた。


「颯、待ってて。今元の姿に戻してあげるからね」


 詩織はそう言って、巨竜の間合いへと踏み込んだ。

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