第二十八話 砕けた鎧
確かに妖は目の前にいた。気配もそこにある。それなのに刀は当たらない。これは既に相手の能力に捕らわれていると判断した方がよさそうだ。
しかし目視も気配も当てに出来ないとなると、どう相手を探せばいいのかわからない。颯は一度妖から距離を取る。
「残念。俺はこっちだ」
すぐ後ろから声がした。咄嗟の判断で振り向き刀を交差させる。強い衝撃。どうやら妖からの攻撃のようだ。目には見えなかったが、防ぐことには成功した。
だが、今のは妖が声をかけてきたからわかったのであって、無言のまま攻撃されていれば確実にやられていた。これはまずい状況だ。このままでは一方的にやられかねない。
颯は精神を研ぎ澄ます。今こそ自分の固有能力である確立操作が役立つ時だ。これを使いこなすことが出来れば、例え見えていなくても妖を斬ることが出来るだろう。
再び刀を構える。すると目前に妖が姿を現した。今度は本体か。それともまたまやかしか。判断が付かない。自分は既に相手の術中に
颯は相手の立場になって考えた。自分なら認識阻害の能力を使ってどう戦うか。
まず間違いなく本体は見せない。見せる理由がないのだ。まやかしで相手を翻弄し、自分は影から攻撃を行う。だとすれば、今目の前にいるのはまやかしで、本体は別の、自分を攻撃しやすい位置にいるはずだ。そして――。
颯は詩織に向かって左の刀を投げた。すると颯と詩織のちょうど中間辺りの地点で刀が止まる。何かに刺さったのだ。
「くっ! 何故だ、何故俺の位置がわかった!?」
姿を現した妖が声を荒げる。颯はそれに答えず、刀を引き抜くと透かさず紫電で追い討ちをかけた。雷撃が直撃し、妖が動きを止める。
よくよく考えてみれば答えは容易であった。この妖は詩織を囮に使ったのだ。ならばその優位を捨てる道理はない。能力によって自分の虚像を作り上げ、本体は常に詩織を狙える位置にいる。わかってしまえば何てことはない。この妖は用心深いのではない。基本的に小心者なのだ。
動きを止めた妖に颯の刃が迫る。が、そこは悪食の妖だ。両手の刃で颯の刀を受け止めた。
「おのれウォーデッド。貴様まで俺を
「何のことかわからないが、それがお前の客観的な評価ってことだろ?」
あえて妖を挑発する。自分に注意が向いてくれる分には戦闘はやりやすい。詩織を狙うために
「き、貴様~!」
妖が吠える。思っていたより短気な奴のようだ。颯は力任せに刀を押す。すると、妖は対抗するように力を込めた。
「どうした、ご自慢の触手が泣いてるぜ?」
「うるせ~! 絶対に斬る! 絶対に喰う! もう計画なんてどうでもいい! あいつより強くなるんだ~!」
妖は力いっぱい押し込み、颯を遠くに突き飛ばすと、そのまま両手の刃を伸ばして追撃をかける。
「死ね~っ!」
だが、見たままの攻撃に当たってやる颯ではない。乱雑に振り回される触手の刃をひらりひらりと
益々妖が憤りを露わにした。ここまで冷静さを失えば、最早小細工は使ってこないだろう。相手は生前持っていなかった力を得て、図に乗っている。妖に見られる典型的なタイプだ。
小賢しい知恵さえ働かなければ、そこは等級の付いていない妖だ。強さ自体は紅夜叉と比べるまでもない。
颯は攻撃を
そこに土蜘蛛で作った無数の針を突き刺す。蜂の巣状に貫かれた妖から血の雨が降った。とどめとまでは行かないが、これでかなりのダメージを与えられたはずだ。
穴だらけになった氷の花を砕いて、中から妖が飛び出してくる。かなりの深手なのか肩で息をしていた。
妖が颯を睨む。その目には最早怒りしかない。周囲のことなどまったく目に入っていないだろう。
颯はとどめを刺すべく滅界の構えに入る。
颯の実家にいた時、琴葉からこの妖のことについては聞いていた。
「あの妖は兄の
「そうか、それで」
颯への攻撃をやめてまで妖に戦いを挑んだ理由。それが身内の仇というのであれば、納得は出来ずとも理解は出来る。
「まぁ、おかげで俺は死なずに済んだんだけどな」
「その節は本当にご迷惑をおかけしました」
しきりに頭を下げる琴葉を何とか
「それじゃあ、あの妖はお前が追うか?」
「いえ。あの妖は既に何人もの人間を襲っている様子。一刻も早く斬るべきです」
琴葉は颯の方が傷の治りが早いことはわかっているようだ。
「だからあの妖を見つけたら、斬ってください。私に構わず」
琴葉が改めて頭を下げる。
「わかった。もし俺の方が先に奴を見つけたら、その時は」
その言葉に、琴葉は笑顔で答えた。
「よろしくお願いしますね」
この時の琴葉の笑顔は華やかでとても印象に残っている。十六夜も見てくれは大層な美少女だが、琴葉のそれはそれとはまた違った趣があった。
妖の身体がゆらりと揺れる。それに合わせ、颯が滅界を放とうとした瞬間だった。
「な~んてな!」
妖はそれまで激昂していたことが嘘のようにニマリと笑みを浮かべる。その変化に颯が反応したのと同時に、妖の触手が詩織を貫いた。
ドクン。
詩織が刺された。それを認識するのに、少し時間を要する。
ドクン。
引き抜かれた刃に付いた赤。少し粘り気のあるそれは、間違いなく詩織の血液である。
「詩織!」
颯は咄嗟に詩織に駆け寄った。倒れる直前の詩織を何とか抱きとめる。衝撃で気を失ったのか、詩織の目は閉じられていた。
ドクン。
心臓が跳ねる。体中の血液がまるで沸騰しているかのごとく滾っていた。
「ちくしょう!」
感情がぶれる。焦点が定まらない。呼吸が浅く、速くなる。
「ちくしょう!」
先ほどから心臓の音がうるさい。まるで耳元に心臓があるかのようだ。
「ちくしょう!」
颯は拳を地面に打ち付けた。それでも腕の中の詩織はピクリとも動かない。
「うわぁあああああ!」
颯の中の何かが今にも溢れ出そうとしていた。
「感情を鎮めろ颯。それ以上は鎧が持たないぞ!」
十六夜の制止も最早颯には届かない。怒りを顕わにした颯は、その場に詩織を寝かせると、暴走に近い霊力を込めた刀を振り掲げ、妖へと突進する。
「これ以上、詩織を傷つけるな!」
その時。颯の鎧からどす黒い炎が溢れ出した。噴き出す炎は徐々にその勢いを増し、自身の鎧を焼いていく。
そして次の瞬間。内なる劫火が頂点に達し、爆ぜた。
「グゥオオオオァアアアアアアア!」
大気と共に大地をも震わせる咆哮。
爆焔の中から現れたのは、漆黒の焔を纏った巨竜。身体の各所に鎧の痕跡を残しているそれは、颯が
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