第二十七話 狙われた詩織

 いつものように大学に向かう詩織。颯からはしばらく出歩かない方がいいと言われていたが、あまり休んで単位を落とす訳にも行かない。ただでさえここのところは、颯のことで休みがちだったのだ。


 だが、その日はどこか様子がおかしかった。何がと言われると答えに困ってしまうが、それでもいつもと何かが違うのだ。人通りはいつもと同じ。例の人避けの結界とやらが張られている様子はない。ならば何が違うのか。


 詩織は改めて周囲の様子を窺う。風景に異常は見られない。とするなら目に見えるもの以外の違いということになる。ならば音はどうか。耳を澄ましてみる。聞こえてくるのはいつも通りの喧騒。これも異常がない。次はにおい。周囲には不審がられるだろうが鼻を引く引くさせてにおいを確かめる。だがこれといって妙なにおいはしない。味は確かめようがないので次は触感だ。風や太陽光の刺激以外の感触はあるか。これもなかった。


 五感を総動員しても、いつもとの違いがわからない。ということは五感以外。第六感と言われる領域の話になる。第六感については専門ではないのでよくわからないが、その分野に詳しい人物を詩織は知っていた。


 スマホを取り出し目的の人物に電話をかける。三コールほどで、その人物は電話に出た。


『どうしたの? しおねえ


 そう。目的の人物とは籐ヶ見縁である。颯の妹である彼女は、幼少の頃よりその手の話をよくしていた。いわゆるなのだ。


「うん。今大学にいるんだけど、何か様子がおかしくて」

『え!? しお姉大学行ってるの!?』


 電話の向こうの縁は大層驚いた様子であった。縁は颯の言いつけ通り、大学を休んでいたのだ。


『お兄ちゃんが、危ないからしばらく外出はするなって言ってたじゃん。ここのところ変な失踪事件も起こってるし。やばいって』

「それはわかってるんだけどさ~、やっぱり留年はしたくないもの」

『う~ん。それは私も同じだけどさ~』


 電話の向こうで、縁が困ったような声を出す。


『で? 何がどうおかしいの?』

「それがわかんないから電話してるんだよ~」

『そう言われても、私は現地にいる訳じゃないし……。あ、神楽さんのところに行けば何かわかるかも!』

「あ、そうだ。神楽さん!」


 神楽の存在を失念していた。彼女も颯と同じウォーデッドである。もしかしたら今の状況がどうなっているのかわかるかも知れない。


「ありがとう、縁ちゃん! 行ってみる!」


 電話を切り、理学部棟を目指して駆け出す。が、何かに躓き転んでしまった。


いった~い。何よ、もう」


 ふと自分の足を見る。すると右足には何か鋭利なもので斬られたかのような傷があり、そこから血があふれ出していた。


「え?」


 咄嗟のことに脳の処理が追いつかない。一体何が起きたのか。周囲を見渡しても、躓くようなものは何も落ちていない。それにただ何かに躓いただけなら、このような傷は出来ないはずだ。


 詩織が混乱していると、突如周囲から色が失われる。これは前にも経験したことがあった。狭間である。と言うことは。


「妖!?」


 傷口を押えながら周囲を警戒する。自分以外に人影はない。どうやら巻き込まれたのは自分だけのようだ。


「最初からこうしておけばよかったぜ」


 どこからとも鳴く声が聞こえる。確かにすぐ傍から聞こえるのに、全く位置が掴めない。


「どこ!? どこにいるの!?」


 傷が痛むが、そんなことを考えている場合ではない。妖はすぐ傍にいる。相手はいつでも自分を殺すことが出来るのだ。


 詩織の呼吸が浅く、速くなる。体中に酸素を行き渡らせ、次行動に移るための反射反応だ。


「そんなに慌てなくても、すぐに殺したりしねぇ~よ。お前はあいつを釣るための餌だからな」


 どれだけ周りを見渡しても、やはり妖の姿は見えない。一体どういうことなのか。


「だがまぁ、せっかくだ。もうちょい楽しんでもバチは当たらないよな」


 すぐ後ろで妖の声。すると左肩に痛みが生じる。目を向けると右足同様、鋭利な刃物で切られたような傷が出来ていた。


「あ……ぐっ!」


 せっかくのお気に入りの服にが裂け、血が滲む。それほど深い傷ではないが、ジクジクとした痛みは避けようがない。少しでも出血を抑えるべく、必死に手で傷を覆う。


 妖が笑った。その笑い声は実に楽しそうで、返って不快になる。この妖は自分を喰うことが目的なのではない。先ほど妖自身が言っていた。何者かを釣る餌だと。その何者かとは恐らく。


「あんたの狙いは颯なの!?」


 どこにいるかわからない妖に問う。


「ああ、そうだ。颯。あの二刀流のウォーデッドだよ」


 妖は素直に答えてくれた。なるほど。颯を狙うために、自分はわざわざ生かされているのか。そう思うと、詩織は情けなくなった。それでも自らを奮い立たせるためにあえて強がる。


「そんなこと言って。実際に颯が来たら、あんたなんか一発でやっつけちゃうんだから」

「そいつぁ~どうかな。何のためにお前を生かしているんだと思う?」


 そんなことはわかっていた。今の自分は颯のお荷物だ。いっそ死んでしまえば、颯の足を引っ張らなくて済むだろうか。


「おっと自殺なんて野暮な真似はしないでくれよ? 楽しみが減っちまう」 


 この妖はつくづく嫌な性格をしている。言葉の端々から、それが滲み出ていた。


 詩織は目をつぶって祈る。颯が来ればきっと何とかしてくれるはず。この嫌な妖を以前のように斬って捨ててくれる。そう信じた。


「さ~てもういっちょ行くか~?」


 妖が触手を振りかぶる。無常にも振り下ろされる刃のような触手。それが詩織に当たりそうになった途端、なぜか軌道がれてしまう。


「ああん? 何だ~?」


 詩織の前に立ちはだかっていたのは雫だった。雫は妖を威嚇するように唸り声を上げている。


「雫ちゃん!?」


 その声に気が付き、詩織は顔を上げた。


「妖か。何故その人間を守る」

「雫……詩織達……守る。颯……言った」


 なおも威嚇を続ける雫。妖は腹立たしそうに声を荒げた。


「ならお前も死ねや!」


 妖が二人に向けて触手を伸ばしたその時、巨大な土の壁がせり上がり、それを防いだ。


 次の瞬間、空中に呪印が展開され、颯と十六夜が現れる。


「颯!」


 待ち望んだ救援が来た。詩織は痛みに耐えながら、その名を叫んだ。




 狭間が展開されていることは、すぐに気が付いた。颯は咄嗟に転移の呪印を開く。狭間が展開されているということは、今まさに誰かが襲われているということだ。


「十六夜。開放の許可を」

「いいだろう。颯、開放許可」

「御意」


 鎧を纏い呪印をくぐる。するとそこにいたのは、詩織と雫だった。


 ドクン。


 颯の中で何かが膨らむ。


「颯、大丈夫か?」


 十六夜が問いかけてきた。その言葉に颯は冷静さを取り戻す。


「ああ、大丈夫だ」


 詩織は怪我をしているようだ。すぐにでもこの場から連れ出して、適切な処置を行うべきだろう。その前に、詩織に傷をつけた妖を成敗しなくてはならない。


「雫。よくやった。後は任せろ」

「うう!」


 颯は周囲の気配を窺う。確かに気配はある。が、肝心の妖がどこにいるのかがわからない。颯が現れた瞬間、妖は能力で姿を眩ませていたのである。


「隠れてないで出てきたらどうだ」

「隠れてなんかいない。ずっと目の前にいるぜ?」


 颯は咄嗟に飛び退く。すると先ほどまで颯が立っていた位置を、妖の刃が通り過ぎた。


「おっと~外しちまったか。お前、案外いい勘してるな」


 妖が笑う。その顔には見覚えがあった。先日取り逃がしたあの妖だ。


「そう言うお前は、しばらく見ないうちに随分おしゃべりになったじゃないか。前回会った時は全くしゃべらなかっただろう?」


 恐らくこの妖は元々知性を備えていた。それは前回の行動を見ていればわかる。ならば何故、このタイミングで仕掛けてきたのか。考えるまでもない。今なら勝てると、そう思っているのだ。


「喰われる相手のことを少しは知っておいた方がいいじゃないかと思ってな」

「気遣い感謝する。だが、お前に負けるつもりは毛頭ない」


 颯は刀を構える。認識阻害の能力を持っている以上、長期戦になれば確実にこちらが不利だ。故に狙うのは速攻。一撃で仕留めるのが正解である。


「颯、参る!」


 颯が踏み込む。目視の範囲内にトラップはない。颯はそのまま刀を振り切る。が、手応えがない。斬り裂いたはずの妖は、認識阻害によって生み出された幻であった。颯は既に相手の術中に落ちていたのである。

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