第三十話 封印

 颯は燃え盛る劫火ごうかの中にいた。周囲は炎一色で、他のものは何も見えない。


「……ここは、どこだ」


 ふと十六夜を探す。自分がここにいるのだから、十六夜が近くにいるかも知れない。颯は十六夜を呼んだ。


「おい、十六夜。いないのか?」


 返事はない。炎が燃え盛る音が響くだけだ。


 自分はこんなところで何をしているのか。何か重要なことをしている途中だったはずだ。しかし、それが何だったか思い出せない。


「それにしても暑いな。ここは……」


 あまりの暑さに耐え兼ね、颯は出口を探して歩き始める。しかし進めど進めどそこには炎があるだけで、他の何も現れはしない。


 颯は立ち止まった。頬を汗が伝う。その汗を腕で拭い、今度は上を見上げた。そこに空はなく、広がっているのは一面の黒。距離感すら掴めない闇がそこには広がっている。


 これは出口は期待出来ない。颯がそう思った時、目の前に僅かな光が見えた気がした。


 颯は光に向かって走る。しかしどれだけ走ってもその光との距離は一向に縮まらず、手が届かない。


「くっそ……。何なんだ」


 何か大事なものが光の先にある。その感覚だけが込み上げて来てまない。颯は必死に、それが何であるのか考えた。


 だが思考にはもやがかかり、上手く考えがまとまらない。颯は頭をかいてから、その場に大の字に寝転んだ。


 相変わらず周囲では炎が燃えている。それは暑くはあったが、颯を燃やしてしまうことはないようだ。ならば、この炎は自分に由来するものなのではないか。靄がかった思考でも、そう結論付くまでそう時間はかからなかった。


「そもそも一体何が燃えてるんだ」


 改めて炎の方を見る。よくよく目を凝らしてみると、炎の下に何かが見て取れた。そこにあったのは無数の妖の死体。颯がこれまでに屠ってきた妖の数々だった。


「妖を焼く炎?」


 颯には心当たりがない。呪術の中には炎を操るものもあるが、颯はそれを習得していないのだ。ならば、この炎の正体は一体何なのか。


 その時、ここに来る直前の記憶が蘇る。


 真っ赤に染まった詩織の姿。その前に立ち、下卑た笑みを浮かべる妖。颯は全てを思い出した。


 この炎は怒りだ。自身の中に生じた激しい怒りが、炎という形でこの空間を形成している。妖が燃えているのは、妖に対する憎しみの象徴であろう。


 つまり、自分は今、のだ。


 それに気づいた颯だったが、生憎ここを出るすべが思い浮かばない。気になるのは遠くに見える謎の光だが、近づくことが出来ないのでは意味がなかった。


 颯は寝そべったまま、光に向かって手を伸ばす。するとほんの少し、光が強くなった気がした。




 巨竜となった颯の周囲に、黒い炎が立ち上る。それは柱のように何本も連なり、詩織の行く手を遮った。


「颯」


 詩織は右腕で顔を庇いながら、その炎の柱の間を進む。


 熱い。


 その炎は凄まじく、触れれば骨も残らないだろう。それでも詩織は歩みを止めなかった。颯が苦しんでいる。そう感じていたからだ。


「颯!」


 何度も呼びかける。それでも声は届かない。巨竜は詩織を自分に近づけまいと威嚇している。


 詩織が進もうとした先に、炎の柱が上がった。その勢いに一瞬怯むが、詩織はすぐに別の道を探し始める。


「諦めない、絶対!」


 助けられてばかりではいられない。今度こそ自分が颯を救うのだ。


 妖に付けられた傷が痛む。しかしそれがどうした。颯は自身が傷つくのもお構いなしに命がけで自分を救ってくれたのだ。だったら自分も命の一つもかけてみるのが道理であろう。


 何とか巨竜の前まで来る。近づいてみて改めて思ったが、その身体は相当巨体だった。こんなに巨大な生物はテレビでしか見たことがない。しかもテレビと違うのは、それがこの世のものではないということ。ドラゴン。物語の中にしか存在しないはずのそれが今、目の前に立っている。


 巨竜の瞳が詩織を捕らえた。詩織はその場で両手を広げて見せる。


「颯! 私よ! わかる!?」


 巨竜に向かって話しかける詩織。しかし巨竜は威嚇の声を上げたままだ。


 次の瞬間。巨竜の触手が詩織に伸びる。詩織は咄嗟の判断でそれをかわした。それまで詩織が立っていた場所に、触手の先の刃が深々と刺さっている。後一瞬判断が遅れれば、詩織は巨竜の刃に一突きにされていただろう。


 詩織の頬を汗が伝う。炎の暑さのせいではない。死と隣り合わせの緊張のせいだ。


「颯、落ち着いて! 妖はもういない! 私は無事よ! もう戦わなくていいの!」


 詩織は必死に声を張り上げた。少しでも颯に届くようにと。だが現実は非情である。巨竜のもう一方の触手が、詩織に迫った。


 痛みに耐えながら、詩織はもう一度触手を躱す。しかし着地の際に足がもつれ、その場に転んでしまった。傷からの出血が止まらない。そのせいで貧血気味になりつつあったのだ。


 何とか力を振り絞り、立ち上がろうとする詩織。右足と左肩もそうだが、何より腹部の傷が痛む。もしかしたら内臓が傷ついているかも知れない。脂汗が額に浮かぶ。何とか立ち上がることが出来たが、次に触手による攻撃が来たら、たぶんかわせないだろう。


 詩織は精一杯の笑顔を作ると、もう一度巨竜に語りかけた。


「いつまで、怖い顔してるのさ?」


 そんな詩織に反応したのか、巨竜は地面に手を着き、顔を詩織に近づける。威嚇は依然続いているが、詩織に興味を持ったのは間違いないようであった。


「私はもう大丈夫だからさ。笑ってよ」


 詩織は目前に迫った巨竜の頭をそっと抱き込んだ。


「私はあなたの笑った顔が……。大好きなんだから」


 その瞬間。光が巨竜を包む。視界が白く塗りつぶされるような強い光。それは次第に収束して行き、人の形となる。光が消えた時、そこに残ったのは人の姿に戻った颯であった。


「颯!」


 詩織は思わず颯に抱きつく。一瞬面食らったような顔をした颯だったが、すぐに詩織をしっかりと抱きとめた。




 詩織を抱きとめながら、颯は思案する。あの炎の牢獄のような場所から自分を救い出してくれたのはきっと彼女だろう。あの空間で見た光は、彼女だった。方法はわからないが、暴走状態にあった自分を静めてくれたのだ。こんなにありがたいことはない。


「サンキュウ、詩織。助かった」

「助かったのはこっちだよ。ほんと、颯は無茶ばっかりするんだから」

「無茶はお互い様だろ? こんなに怪我して」


 詩織の痛々しい傷に目を向ける。これはすぐに病院に連れて行った方がいいだろう。


「こんなのへっちゃらだよ。颯が元に戻ってくれたのが嬉しいから」

「そんな訳ない。こんなに怪我してるんだ。すぐに病院に連れて行ってやるから」


 そう言って詩織をかかえる颯。いわゆるお姫様抱っこというやつである。詩織はその腕の中で、ボッと顔を赤くした。


「ははは、颯!?」

「いいから、大人しくしてろ」


 慌てる詩織を他所に、颯は十六夜と雫に目を向ける。


「二人ともすまなかった」

「いいや。元に戻れて何よりだ」

「うう!」


 十六夜と雫は笑顔でそれに答えたが、颯は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。詩織を巻き込み、傷つけ、あまつさえ暴走までしてしまったのだ。ウォーデッドとしてこれ以上情けないことはない。


「颯、あまり気にするな。暴走とは言っても誰も死者は出していないんだ」

「だが――」

「くどい」


 十六夜はぴしゃりと言い切る。


「失敗をしたと思うなら次に生かせ。この程度でお前の役目に変わりはない」

「……御意」


 颯は十六夜に頭を下げた。


 とにかく、今は詩織を病院に連れて行くのが先である。颯は呪印を展開し、病院へと向かった。


 傷が深かったため詩織は緊急手術となったが、命に別状はないとのこと。それを聞いた颯は安堵のため息をつき、静かに目を閉じるのだった。

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