第七章 目覚めの朝
第三十七話 二度目の出会い
颯が目を覚ましたという報告を受けた一同は、彼のいる御坂総合病院に足を運んだ。メンバーは詩織、縁、翔、琴葉、瑠璃の五人である。
「颯、本当に大丈夫なの? 怪我とかない?」
詩織が問う。あまりの突然の回復に医師達も困惑しているようで、しきりに首を捻っていた。丸一年以上寝たきりだった人間が、目覚めてすぐに自由に歩き回って見せたのだ。無理もあるまい。
「何言ってんだ? 病院で寝てたのに怪我なんてする訳ないだろ?」
対する颯は詩織が何を心配しているのかがわからない。颯の中では、あくまで一年間眠り続けていたことになっているからだ。
「それにしても驚いたぜ。知らない間に一年も経ってたんだからな」
その場にいる全員が顔を伏せた。彼等は颯がウォーデッドだったことを知っている。颯がその頃の記憶を持っていないということに、少なからず動揺していた。
「本当に覚えていないのかよ。俺達のことだって助けてくれたろ?」
「ごめんな、翔。本当にわからないんだ」
このやり取りも何度目になるだろう。何度言われても、わからないものはわからない。
「と言うことは、私のことは覚えていないのですね」
「あんたは?」
「久坂琴葉です。あなたには命を助けていただきました」
そう言った琴葉は少し寂しげな表情だった。腰まで届く黒髪がさらりと流れる。颯は申し訳ない気分になっている様子だ。
「そうだったのか……。でもすまない。本当にあんたが誰なのかわからないんだ」
そう言って颯が頭を下げる。それを見て、瑠璃が口を開いた。
「うちのことも覚えてないのかにゃ?」
「……お前、人間じゃないな」
「うちは妖怪――猫又にゃ」
幽霊なら日常的に見えていた颯。しかし妖怪と遭遇したのはこれが初めてだ。颯は興味深そうに瑠璃を観察した。
肩まで伸びた茶髪はおかっぱで、やや長めの前髪から金色の瞳が覗いている。元気がないからかやや垂れている耳はまさに猫のそれだ。腰にはゆらゆらと揺れる二本の尻尾。猫は百年生きると尻尾が増えるという話を聞いたことがあるが、実際にはどうなのだろう。
その時、病室に呪印が展開され、新たに三人の人影が現れる。神楽、十六夜、雫の三人だ。
「神楽さん!?」
詩織が声を上げた。その姿が酷くボロボロだったからだ。
実際、神楽はボロボロだった。最後に受けた
「どうしたんですか!?」
「ちょっとドジっちゃってね。この
神楽は颯に目を向ける。
「なるほど。あの子が言ってたのはこういうことなのね」
見たところ、変異の兆候は見られない。どうやら不結の十六夜が消滅したことでウォーデッド化が解けたようだ。
「颯、大丈夫?」
雫が颯の傍まで駆け寄った。しかし、当の颯は厳しい目を彼女に向ける。
「お前、何なんだ」
妖である雫のことを警戒しているようだ。
「あなた、もしかして記憶がないの?」
一般の人間からすれば妖は恐怖の対象である。霊感が強かったという颯には相当おぞましいものに見えたのだろう。
「聞いた話だから正直半信半疑だけどな。どうやらそうらしい」
「……そう」
雫は仕方なく、颯から距離を取る。その姿は見るからに悲しそうであった。
「颯、雫、嫌い? 雫、悲しい……」
神楽はそんな雫を哀れに思ったが、今はそれどころではない。自分達は那岐に負けたのだ。
颯はきょろきょろと周囲を見渡す。何かが足りない気がした。
「何を探している?」
ピンク髪の十六夜が問う。
「誰って、そんなの、俺の――」
颯は言葉に詰まった。簡単に思い浮かぶ筈の名が、言葉にならない。
「俺の……?」
まるで胸の奥に、どこか空虚な空間が存在してるようだ。何か大切なことを忘れている。そんな気がした。
そんな時、ピンク髪の十六夜が再び口を開く。
「神楽。上からの伝令だ」
「籐ヶ見颯を第一級討伐対象とする」
場が静まり返る。
「どういうこと?」
その中で、神楽だけは冷静だった。こうなることを予見していたからだ。
「彼が天命の離反者であることに変わりはない。加え。契約が切れたとは言え、一度ウォーデッドとなった者が肉体を得た。前例はないが、ことが起きてからでは手遅れになる可能性がある」
「……今回ばっかりは、あんたの命令でも聞く耳持たないからね?」
しばしの沈黙の後、神楽は静かに告げる。それは、彼女が見せた十六夜に対する初めての反抗であった。
「……伝令は確かに聞き受けた。しかし、現状において尤も憂慮すべき存在は那岐であると、私は考える。状況次第では、籐ヶ見颯が那岐に対する重要な戦力とも成り得るだろう。よって、この件は保留だ。しばらく様子を見る」
思いがけぬ十六夜の言葉に、神楽は一瞬驚きを示す。が、すぐに口元を緩め、無言で十六夜を抱き寄せた。それが彼女にとって初めて、使命ではなく、仲間を想う感情を優先した結果であったからだ。
「……何をする」
「いいじゃない。親愛の印ってやつよ」
神楽が十六夜にじゃれ付いている中、琴葉は颯に告げた。
「ならば、私も颯さんを守ります。例え全てを忘れてしまったとしても、あなたが私達の命を救ってくれたという事実に変わりはありません。それに……」
一端言葉を区切り、頬を染める琴葉。
「口に出すのは初めてですが、私はあなたをお慕いしているんです」
「はぁ!?」
「あなたが危険に晒されるというのなら、私は全力であなたを守ります。それが里の意思に反するとしても……」
それだけ強い意志と言うことだろう。颯は口をつぐんだ。
「だから、知らないなどと悲しいことは言わないでください。いくらその手のことに疎い私でも、流石に傷付きます」
それだけ言い残し、琴葉は病室を出て行ってしまう。振り返り際、頬を一筋の涙が伝うのが、颯にも見えた。
「あ~あ、泣ぁ~かした」
神楽が努めて明るく言う。それが自分に対する気遣いなのだと、颯はすぐに気が付いた。
「小学生みたいに言うな」
颯の言葉に一瞬笑みを浮かべる神楽だったが、すぐに眉を寄せる。
「……私のコーヒーの味も忘れちゃったの?」
「……ごめん」
颯はいたたまれなくなり、謝罪の言葉を述べた。
「まぁいいわよ。退院したらまた飲ませてあげる」
「その前にあんたは自分のことを何とかしろよ。傷だらけじゃないか」
「大丈夫よ。どういう訳だか霊核には届いてないから。寝てれば治るわ」
と、ここで神楽は手に持っていたものを颯に渡す。
「これは?」
「あんたの刀よ。どういう訳かあの場に残ってたから回収して来たの」
颯の手に渡る二振りの刀。一方の刀を鞘から少しだけ抜いてみると、刀身は石化でもしたかの様に異様な色をしていた。
「回収した時には既にその状態だったわ。たぶんウォーデッドとしての力が失われたからでしょうね」
一体どのように扱っていたのだろう。二つの刀は柄の先端から伸びた鎖で繋がっている。
「まぁ、そういうことだから。あんたはしっかり検査でも何でも受けて、さっさと退院しなさい」
そう言って、神楽は呪印を展開した。
「それまでは雫のことはこっちで預かってあげる」
「うう、颯……」
神楽と十六夜、雫は呪印の向こうに消える。
「預かってって、退院したらこっちに任せる気なのかよ」
正直、あの雫という少女のことは好きになれそうにない。ウォーデッドであった頃の自分の知り合いなのだろうが、今の自分にとっては化け物に等しい。手元に置いておくと言うのは躊躇われる。
「ま、まぁ、颯が元気なことはわかったし、とりあえずよかったじゃない」
詩織もいろいろと納得が行っていないのか歯切れが悪い。それでも、颯は笑うことしか出来なかった。
この時、この場にいた誰もが気づいていなかったのである。颯の身に重大な変化が起こっていたことに。
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