第三十八話 妖の襲来

 颯が目を覚ましてから数日。あれこれと検査を行ったが、つぶれてしまった左目以外は健康そのものとの結果が出る。結局、何故眠り続けていた一年間で筋肉量が減少しなかったのかはわからず仕舞いだ。それでも、健康な人間を入院させておくほど病院も暇ではない。退院を翌日に控え、颯は退屈な時間を過ごしていた。


「病院ってのはどうしてこう娯楽に乏しいんだ」


 病院は娯楽施設ではないのだから当たり前であるが、こうもやることがないと身体が鈍って仕方がない。出来ることと言ったら廊下の散歩程度だが、それでもやらないよりはましだろう。


 颯が散歩に出ようとベッドを降りた時、それは起こった。


 突如色を失う世界。それが何であるのか、今の颯にはわからない。しかし、よくないことが起こっているというのは何となくだが理解出来た。


 キンと張り詰めたような静けさ。いつもの病院の静けさとも違う。


「何なんだ、これ!?」


 咄嗟に身構える颯。そして周囲を見渡す。自分以外に人の気配はない。代わりにあったのは、醜悪でおぞましい気配。


「霊力の高い人間。見~つけた」


 颯が声のした方に振り返ると、そこにいたのは化物であった。人の声を発しているが全く人の姿をしていない。何とも形容しがたい姿は、まさに化物と呼ぶのがふさわしいだろう。


 足が震える。こんな化物は見たことがない。どう対処すればいいのか全く想像できなかった。


「そんなに怯えなくてもいいぜ? どうせすぐ死ぬんだ」


 化物の腕らしきものが颯に向かって伸びる。颯は咄嗟にそれをかわした。掴まれたが最後、自分は死ぬだろうという核心があったからだ。


 しかし相手は人外の化物である。対抗する手段がない。颯は逃げようと化け物から距離を取るが、すぐに見えない壁に阻まれてしまった。


「何だこりゃ。壁!?」


 颯は見えない壁に手をつく。弾力はあるが通り抜けることは出来なそうだ。


 いよいよ壁際まで追い詰められてしまう。もう駄目か。そう思った時、視界の端にあるものが映った。神楽とか言う女性が残していった刀である。


「……やるしかないか」


 幸い化物は動きが遅かったため、割りと難なく刀に手を手にすることが出来た。必死の思いで、刀を鞘から抜き放つ。しかし、問題はここからだ。刀一本ですらまともに扱ったことがないのに、今、手にしているのは鎖で繋がれた二本の刀。二刀流などマンガやアニメでしか見たことがない。それも刀身が劣化した、武器と呼んでいいかもわからない状態だ。


 それでもないよりはマシかと出鱈目に構えて見せる。だが、その姿は存外様になっていた。


「何だ~? それは?」


 化物の方もこちらが武器を持っているとまでは予想していなかったようで、首をかしげている。


「まぁいいか。大人しく俺に食われろ~!」


 それでも、化物は怯むことなく颯を捕まえにかかった。颯は焦ったが、相手の腕らしきものの動きに合わせて何とか刀を振るう。すると、刃はすんなりと化物の腕らしきものを断ち斬った。


「うぎゃ~!? 俺の腕が~!?」


 化物は苦痛に喘いだ。それを好機と見た颯は、透かさず踏み込んで刀をもう一振りする。化物の顔を目がけた斬撃は、まるで豆腐でも切るかのように軽く、相手の顔面を引き裂いた。


 颯は困惑する。何故自分の身体が、こんなにもスムーズに動くのか。自分は化物相手どころか、人間相手のケンカだってそれほど経験していない。それなのに、自分の身体はまるで戦闘に慣れているかのような動きをする。全く意味がわからなかった。


 しかしながら、今はその方が都合がいい。今は命を狙われているのだ。相手は化物。手加減をしてやる理由もない。颯はとにかく相手をがむしゃらに斬ることにした。足は元からなかったので斬ることは出来ないが、代わりに何本もある腕を斬り落とし、胴体を薙いで行く。


 どのくらいそれを続けただろうか。斬っても斬っても腕は再生し、こちらを掴もうとしてくる。


「どこか弱点みたいなところはないのか!?」


 颯は目を凝らした。すると、化物の体内に怪しく光る核のようなものがあるのがわかる。


「そこか!」


 確証はない。しかし、颯にはそれに縋るしかなかった。颯は低い構えから一気に踏み込み、化物の腕をかわしつつ、その核らしきものへと突きを放つ。


 刀の切っ先が化物の身体へと深く食い込み、核と思われる部位を貫いた。一瞬化物の動きが止まる。そして次の瞬間。化物は断末魔を残して霧散し、周囲の空間に色が戻る。


「やった……のか?」


 乱れた呼吸を整えつつ、周囲を見渡した。キンと張り詰めたような無音はなくなり、いつもの静けさを取り戻している。


 颯が「ふう」と息をついた瞬間。何もない空間に呪印が現れた。


「颯、無事!?」


 現れたのは神楽とか言う女性だ。


「あれ? 妖は?」


 きょろきょろと辺りを見渡し、首をかしげている神楽。そんな彼女に、颯は両手の刀を見せながら言った。


「ああ、いや。こいつで斬ったら倒せた」

「……ああ、そう」


 その場にへたり込む神楽。相当心配してくれていたようだ。そんな神楽に声をかけようとした時、病室のドアを開けて何者かが駆け込んできた。


「颯さん! 無事ですか!?」


 姿を現したのは琴葉だ。全力で走ってきたのか、肩で息をしている。


「……ああ、とりあえず無事だよ。ありがとう」

「そうですか。よかったです」


 琴葉は「ほっ」と息をついた。


「しかし、よく自分で何とか出来たわね?」

「それに関しては俺もびっくりだよ」


 どういう訳かすんなりと身体が動いたことを説明する。すると、琴葉は顎に手を当てながら言った。


「もしかしたら、ウォーデッドであった頃の記憶が身体の方に残っているのかも知れません」

「どういうことだ?」


 自分がウォーデッドであったということを、颯は覚えていない。にもかかわらず、化物と戦った際、身体は適切に動いていた。これはどういうことなのだろうか。


「あなたがウォーデッドであった時、その魂は身体とのパスを失っていませんでした。そのことはウォーデッドであった時に左目が潰れていたことからもわかります」

「つまり、俺がウォーデッドであった時にしたことが無意識の内に身体の方に影響していたってことか?」

「そうです」


 確かにそれならば、一年間寝たきりの状態から急に歩けたことにも説明が付くのかも知れない。


「以前お邪魔した時には霊力の弁が閉じていたのでしょうが、見たところ、かなりの霊力量です。これはもしかしたら、一流の退魔師に匹敵するかも知れません」


 急に一流の退魔師とか言われても実感が湧かないが、今後自分の身を守るのには役に立ちそうだ。


「今はそのせいで妖から狙われやすくなっちゃってるけどね」


 化物――妖から身を守りやすくなっているというのに、そのせいで妖から狙われやすくなっているというのでは本末転倒である。颯はどうするべきか二人に相談した。少なくとも、二人は妖について自分よりは知っている。その二人の協力があれば、自分で自分の身を守ることも可能だろう。


「まずは霊力操作を覚えましょう。そうすれば妖に発見されるリスクは減るでしょうし、いざ妖と対峙した時にも役立ちます」

「その辺は退魔師のあなたに任せた方がよさそうね。霊力操作の方法なんて、ウォーデッドであれば出来て当たり前の技能だし。教えられないもの」


 神楽は降参とばかりに両手を上げた。


「そうですか。そういうことなら、颯さんの訓練は私が請け負いましょう」


 琴葉はじっと颯を見据える。その視線に気圧され、思わず颯は頭を下げた。


「よろしく頼む」

「はい。任されました」


 琴葉はにっこりと微笑んだ。


「私はまだ先日の傷が癒えてないし、大したことは出来ないけど。とりあえず颯の周囲には気を配っておくことにするわ。もちろん詩織ちゃん達の方もね」

「ああ、そうしてくれると助かる」


 話に聞いた限り、ウォーデッドに守ってもらえるというならこれ以上頼もしいことはない。とは言え、せめて自分の身は時分で守りたいものだ。しばらくは琴葉の言う通りに訓練する日々になるだろう。


 颯は明日の退院に向け、意識を改めた。ウォーデッドでなくなったとしても、自分の戦いは続くのだ。自分が何故ウォーデッドでなくなったかはわからないが、そのうち神楽に聞いてみるものいいかも知れない。


 そう。この時の颯は知らなかったのだ。自分には那岐という強大な敵がいるということを。

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