第三十九話 退魔師として

 病院を退院してから数日。颯は琴葉の指南の下、退魔師としての修行をしていた。現状、これが最も有効な自衛手段である。問題であった霊力の過剰流出もこの数日でだいぶ抑えられるようになった。


「流石は元ウォーデッドですね。飲み込みが早い」


 琴葉が言うには、颯の成長速度は尋常ではないらしい。霊力の操作は通常、幼少期から修練を続けてやっと習得出来るものとのこと。それを僅か数日で使いこなせるようになるというのは、やはり通常では考えられないという。ウォーデッドであった頃の記憶が、潜在意識の中に残っている証拠なのであろう。


 今は霊力をコントロールして任意の場所に集中させる訓練の最中だ。これが出来ると、身体能力の向上が可能になるという。ウォーデッドには及ばないまでも、それに近い能力を引き出すことが可能なのだとか。


 と、言葉で言うのは簡単だが、これが存外難しい。単純に霊力の放出を押えるのとは訳が違う。霊力を抑えるのは水道の蛇口を開閉するイメージで何とかなったが、任意の場所に霊力を集めるというのはイメージが浮かばない。目的の部位に意識を集中してみているが、一向に霊力は流れて行ってくれなかった。


「……なあ、何かコツみたいなのってないのか?」


 思い切って尋ねてみる。


「コツ……ですか。そうですね~」


 曰く。霊力は体内を巡るエネルギーの一種である。霊力の総量には個人差があるが、霊力が高い人間というのはその分霊力を扱うのが難しくなるのだとか。水量が増えると河川が溢れるように、霊力も体外へと放出される。大量の水の流れをコントロールするのが難しいように、霊力の流れもまた扱うのが難しい。それ故に退魔師は長い時間をかけて修練を重ねてきたのだという。


「流れを意識してみてください。体内の霊力の流れを感じて、それをコントロールするんです。先日病院で妖と戦った時には無意識ながら出来ていたはずですし」

「そうは言うけどさ。急に流れって言われてもよくわからないよ」

「こうするんです」


 そう言って、琴葉が颯の手に触れる。少しドキッとしたが、すぐに感覚は変わった。手の先に何かが流れてくるのを感じる。


「どうですか?」

「ああ、手の先に何かが集まっているのがわかる」

「それがわかるなら才能はあります。後はこの感覚を忘れず、自分で出来るようになることですね」


 よく見ると琴葉の顔は少し赤くなっていた。本人も恥ずかしいのだろう。先日愛の告白を受けたばかりである。結局言い出す機会を逃してしまい返事を先延ばしにしているが、自分には詩織という心に決めた女性がいるのだ。故に、彼女の気持ちに答えることは出来ない。


「それが出来るようになるまで実戦訓練はお預けか~」


 実戦よりも基礎訓練。これが琴葉の方針だった。どんなに高い霊力を持っていても、自由に扱えなければ意味がない。颯のように土壇場で力を発揮する者もいるが、それでは安全性に欠ける。ならばとことん基礎訓練を行った方が無難であろうとのことだった。


「はい。では今度は自分でやってみてください」


 琴葉が颯から手を離す。すると、霊力はすぐに霧散してしまった。


「よし、やってみるか」


 先ほどのように右手に霊力を集めようとイメージしてみる。が、一向に霊力は集まってこない、やはりまだ琴葉のサポートなしでは、局部的な霊力のコントロールは難しいようだ。


 それを見ていた琴葉は「ふう」と息をつく。


「少し休憩にしましょう。焦っても仕方がありません」

「……そうだな」


 少し納得が行かない颯だったが、集中力が切れてきたのも事実。ここは大人しく従っておくのがいいだろう。午後は基礎体力訓練だ。それまでに英気を養っておくとしよう。




 更に数日が過ぎた。颯は既に霊力のコントロールをほぼ完璧にマスターしている。この事実は琴葉を驚愕させるには充分だった。いくら元がウォーデッドとは言え、ここまで凄まじい速度で成長するとは思っていなかったのだ。


「すごいですね。颯さん」

「いや、琴葉の教え方がよかったんだよ」


 颯は謙遜しているが、これはことによると、現状でも並の退魔師を凌ぐのではなかろうか。戦闘訓練はまだおこなっていないので、実力のほどは定かではない。しかし日頃の動きを見る限り、各所作しょさはどこか洗練されている風に見える。これもウォーデッドであった頃の記憶が作用しているのだろうか。


「ウォーデッドであった頃の記憶は、本当にないんですよね?」

「ああ、綺麗さっぱりな」


 だとしたら、やはり無意識領域下の記憶なのだろう。そして今、その無意識領域下にあった彼の記憶が発現しつつある。恐らくこのまま修行を続ければ、いずれ彼はウォーデッドであったことを思い出すかも知れない。そうなった時、彼はどういう存在になるのだろう。琴葉は心配であった。


 人間の肉体はウォーデッドほど強靭ではない。元より強靭に作られているウォーデッドに対し、退魔師は霊力操作で一時的に身体能力を向上させているに過ぎない。人間である今の颯がウォーデッドとしての記憶を取り戻した時、再びウォーデッドとしての役割を果たそうとするのではないか。妖を倒すという点では退魔師とそう変わらないが、彼はウォーデッドからも命を狙われる存在となった。その道は決して平坦なものではないだろう。


 未だ実家とは連絡を絶っている琴葉だが、父は颯の存在をよしとはしないはずだ。もし今実家に戻れば、確実に颯の討伐指示が来る。だからこそ、傷の癒えた今でも籐ヶ見家の厄介になっていた。籐ヶ見家の人間はそんな自分を暖かく向かい入れてくれる。最早一宿一飯の恩どころの騒ぎではない。籐ヶ見家の人達のためならば命を懸けよう。そう思う琴葉であった。




 ようやく霊力のコントロールが出来るようになったところで、颯は琴葉の使う法術を覚えることにする。妖はもちろんのこと、いつウォーデッドが自分を襲ってこないとも限らない。戦力は少しでも上げておきたいところだ。そう琴葉に頼み込むと、彼女は少し迷ってから、首を縦に振ってくれた。


 法術とは術式を用いて様々な事象を発現させる技のことである。ある程度の霊力操作と術式を覚えさえすれば、誰にでも使えるものらしい。しかし術式はやたらと細かい紋様や文字で構成されており、覚えるのは一苦労だ。ウォーデッドの呪術に似ているらしいが、もちろん今の颯にはウォーデッドであった頃の術は使えない。ならば法術を覚える以外に身を守るすべはないのだ。


 颯は毎日時間をかけて術式を紙に描いた。最初の内は術式を描いた札を使って術を発動させるのがいいと聞いたからだ。慣れてくれば術式をイメージするだけで術を展開できるようになるというから、これは後々の課題だろう。


 琴葉は意外なほど素直に術式を教えてくれるが、これも本来であればいけないことなのだろう。彼女は退魔師の家系。法術だって家の重要の秘密のはずだ。それをこうもあっさりと教えてくれるのは、それだけこちらの身を案じてくれているということなのだろう。相手の好意に甘えていると思われても仕方がないが、今はそうしなければ自分の身も満足に守れないのだ。


 詩織が天命から外れてしまっっているというのは、数日前に神楽から聞いていた。他者の天命に反しない範囲で様々な不幸が彼女を襲うというが、実際に詩織は今日までに様々な事態に巻き込まれている。いつまた彼女を襲う者が現れるかわからない以上、助ける準備はしておくべきであろう。


 颯は気を新たにし、術式の模写に挑んだ。全ては自分と自分の周囲の人間を守るためである。立ち止まってなどいられない。目指すべき未来ははっきりと見えているのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る