第四十話 初陣

 朝。


 颯は琴葉、瑠璃と共に神社へと向かっていた。瑠璃が妖の気配を察知したのである。


「霊力の感じからしてそんなに強い妖じゃないにゃ」


 聞くところによると、最近満ヶ崎に現れる妖の数が増えているという。それが何を意味しているのかはわからないが、不安の芽は早めに摘んでおくのに越したことはない。


 霊力操作で足回りを強化し、素早く移動する颯と琴葉。その速度は陸上短距離の世界記録をゆうに超えている。もし霊力操作を行える人間が競技に参加したのなら、世界記録は半分ほどの時間に短縮されるだろうが、もちろんそんなことをする退魔師は存在しない。能力は人を助けることのみに使用するというのが退魔師界隈での鉄則。人々の注目を集めるために使用するなど言語道断である。


 神社に到着すると、颯は素早く霊力探知を行う。ソナーのように自らの霊力を放ち、自分以外の霊力の位置を測るのだ。


 霊力感知に、明らかに人間のものではない霊力が引っかかる。対象は前方五十メートルほど。どうやら石段を登った先にいるようだ。


 飛ぶように石段を駆け上がると、そこには妖がおり、狭間を展開して人を襲っているところだった。襲われているのは、服装からして神社の関係者だろうか。妖を前にして腰を抜かしている様子である。


 颯は懐から呪符を一枚取り出し放った。すると挟間に穴が開き、内と外が繋がる。颯はその穴を通って、両者の間に割って入った。


「何だお前は?」


 どうやらしゃべるだけの知能は持っているらしい。


「籐ヶ見颯。退魔師だ」


 颯は刀を引き抜き、構える。劣化してしまったウォーデッド時代の刀ではない。琴葉が新たに用意してくれた二本の霊刀だ。ウォーデッドの刀とまでは行かなくとも、それなりに霊格の高い代物だと言う。その隙に琴葉が被害者の男性を連れて距離を取った。


「颯さん。相手は低級ですが、油断なさらないように!」

「おう!」


 妖はせっかくの食事を邪魔されてご立腹の様子だ。すぐに目標を颯へと切り替える。


「邪魔するってんなら容赦はしねえ。お前も俺の餌になりやがれ!」


 妖は颯に掴みかかった。しかしそう易々と捕まってやる颯ではない。瞬時に妖の動きを見切り、直前でかわす。同時に右の刀を振り上げて相手の左腕を斬り落とした。


「ぐわぁあああ!」


 痛みに喘ぐ妖。傷口からは真っ赤な血が噴き出す。それが本当の血液でないことは琴葉から聞いていた。それに、元は人間の魂であったとは言え、今は人を襲う化け物に過ぎない。情けをかけるべき相手ではないのだ。


 颯は妖の懐に飛び込み、向かって右から胴を斬り上げる。吹き出た鮮血が颯の全身を汚すが、そこで颯は止まらない。感触からして、まだ霊核には届いていないと判断したのだ。すぐさまもう一方の刀で袈裟斬りを放った。再び鮮血の雨が颯に降りかかる。


「ぐぅう! おのれ退魔師! 許さんぞ!」


 流石は妖と言うべきか。これだけ斬ってもまだ余力が残っているようだ。妖は颯に向かって爪を振り下ろす。


「遅い!」


 颯はその場で回転するように刃を振るった。霊力を乗せた斬撃は妖の腕を吹き飛ばすのに充分な威力を発揮する。両腕を失った妖は、その痛みに悶えた。


「お、俺の腕が……」


 どうやらすぐに回復する素振りはない。琴葉の見立て通り、それほど強い妖ではなかったのだろう。


「今、楽にしてやる」


 妖の霊核を見極め、颯はそれに向かって刀を振るった。刀は正確に妖の霊核を斬り裂き、妖はそのまま解けるように霧散する。それと同時に狭間は閉じ、元の色鮮やかな世界が戻った。


「退魔師としての初戦はいかがでしたか?」

「うん。まあ、まぁまぁってとこだろ」


 病院で初めて襲われた時よりは的確に動けた気がする。退魔師としてはこれが初陣だった訳だが、この調子なら他の妖とも戦えそうだ。


「ありがとうございます。助かりました」


 男性が颯達に礼を述べる。


「いやいや。被害が出なくてよかったですよ。どこも怪我はありませんか?」

「ええ、おかげさまで。傷一つありません」


 男性が颯の手を取った。


「本当に、ありがとうございます」


 颯は違和感を覚える。この男性。妙に体温が低い。今は夏。例え冷え性持ちだったとしても、この炎天下の中、屋外にいたのならここまで低体温になることはないだろう。


 颯は再び霊力探知を行った。自分達以外に気配はない。目の前の男性も普通の人間に見える。しかし。


 琴葉の言葉を思い出す。妖の中には人間に擬態する者がいると。そういう手合いは狡猾で、時には同じ妖すら騙すという。


「おい、あんた。その人間の顔はどこで手に入れたんだ?」


 相手がただの人間ならば、この言葉には反応しないだろう。しかし、目の前の男性は僅かに眉を動かした。


 颯が刀を振るう。すると男性は驚くほど身軽な動作でそれをかわした。


「……何故わかった」


 舌打ちしつつ男性が問う。


「人間には体温ってものがあるんだよ。お前からはそれを感じない。見た目は上手く似せたようだが、そこまでは気が回らなかったのか?」


 颯の言葉に観念したのか、男性は大声で笑い始めた。


「何だよ。そんなことでばれちまうとはな。霊力だってきちんとごまかしたってのに」


 男性の霊力が、人間のそれから妖のそれに変わる。どうやらもうごまかすつもりはないようだ。


「瑠璃の目もごまかせたってのは大したもんだとは思うが、詰めが甘かったな」


 男性の姿が変わる。シルエットは人間に近いが、全体的に細長く、奇妙な形をしていた。


 颯と琴葉は一層警戒心を強くする。この妖は先ほど倒した妖とは格が違う。相手の霊力からそう判断したのだ。


「颯さん。私も一緒に戦います」

「ああ。そうしてくれると助かる」


 相手との距離は五メートルほど。霊力で強化した脚力なら一歩で届く範囲だ。あまり長い時間の戦闘になると不利だと踏んだ颯は速攻を仕掛ける。懐から炎舞の呪符を取り出し、刀に付与。そのまま踏み込んで妖の胴を薙ぎにかかる。


 だが、妖はその場で飛び上がり、颯の攻撃を回避した。宙返りの要領で再び颯から少し離れた位置に着地する。


「遅い遅い。そんな攻撃じゃ蝿が止まるぜ?」


 妖はチッチッと指を振った。しかし今、妖が相手にしているのは颯だけではない。流転るてんで妖の背後に回り込んだ琴葉が、斬撃を放つ。いつの間に使用したのか、琴葉は憑神状態になっていた。その琴葉の斬撃である。音を抜き去り、神速の刃が妖へと伸びた。だが。


「速さはいい。けど軽いな~」


 妖は指先で摘むように琴葉の刃を受け止めて見せる。これには流石の琴葉も動揺を隠せなかった。


「なっ!?」


 妖はそのまま琴葉を投げ飛ばす。しかしそこは一流の退魔師だ。琴葉は空中で態勢を立て直し、綺麗な着地を決めた。


「くっ!?」


 琴葉が再び構える。憑神の力を以ってしてもこの妖には刃が届かない。とするなら、どうするべきか。琴葉は颯に目配せをする。颯はそれを受け、構えを変えた。


 速さは琴葉の方が上だが、力では颯の方が勝っている。ならば琴葉が先陣を切り、相手を引き付け、その間に颯が攻撃するというのがセオリーだろう。


 颯は琴葉に呼吸を合わせる。琴葉が憑神を使った以上、自分も全力を尽くさねばならない。初陣で負けてしまっては、これまで指導してくれた琴葉に申し訳が立たないというもの。ならばこそ、自分に出来る最大限で、妖に一撃を加える必要がある。


 霊視をおこない、相手の霊核の場所を探った。見た限り、相手の霊核は人間で言う心臓付近にある。そこを的確に突くことが出来れば、この妖を倒すことが可能だ。


 琴葉の攻撃を待つ。チャンスは一度。これを逃せば、ジリ貧でこちらが負けるだろう。


「参ります!」


 琴葉が動く。妖が瞬時にそれに反応し、彼女の方に身体を向けた。今だ。


 その瞬間に合わせ、颯は相手の背に向けて大きく踏み込んだ。

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