第五話 妖との遭遇

 詩織と縁、翔の三人は呪印の女についての情報を集める。


 まずは現れる場所だが、どうやらこの大学のキャンパスに限られているらしい。聞き込みを続ける中で噂の話題は常にこの大学が舞台であることが発覚した。


 次に現れるタイミング。これは噂によって様々で、怪談によくあるような夜に限った話ではないようだ。日中であったり、早朝であったり、はたまた夜遅くであったり。実際に見つけようと思ったら一日中キャンパスをうろつく必要がある。


 そして容姿。これはどの噂にも共通していることがあった。白いワンピースに白い靴、そして全身に奇妙な紋様があることだ。一目見ればすぐにわかる容姿であるのは、探す側としては実にありがたい。


 最後に彼女と遭遇した際に起こる事象だが、どうやら呪印の女に遭遇すると、直後に不幸なことが起こるという。先ほどの全身の紋様と合わせ、これが呪印の女と呼ばれる理由であるとのことだ。


 実際に目撃したという人物には終ぞ遭遇出来なかったが、噂をまとめると大体こんな感じであった。


「これだけ噂があるのに実際に目撃した人間がいないってのは妙だよな。やっぱり眉唾なんじゃね?」


 翔が大きく息をつく。


「でもつるぎさんは呪印の女を調べろって言ってたもん。きっと颯と何か関係あるはず」


 詩織の目は真剣だ。翔にもその気持ちはわかる。しかし如何いかんせん情報が曖昧だ。呪印の女と颯との因果関係も明らかではない


「けどよ、いつどこに現れるかわからないやつを探すってのは骨が折れるぜ?」


 詩織達とて大学に遊びに来ている訳ではないのだ。講義があるし、バイトだってある。一日中大学に張り付いている訳にも行かない。


「場所がこの大学の中ってだけで、それ以上細かい情報はなかったもんね」


 縁も小さくため息をついている。そもそも本当にそんなものがいるなら、自分でも気配くらいは感じそうだと縁は付け加えた。


 途方に暮れる三人。有名な都市伝説とは言え、実際に捜すとなるとここまで上手く行かないものかと落胆せずにはいられない。と、その時、奇妙な風が三人の間を吹きぬけた。


 生ぬるいような、冷たいような。ねっとりとまとわり付くような異様な空気。ふと詩織が視線を上げると、その先にひとりの少女が立っているのが見えた。


 白いワンピースに白い靴。前髪が長く表情まではわからないが、全身には奇妙な紋様があるのはすぐに見て取れる。


 いた。


 詩織は直感的にそう判断する。


「ねえ、あれ……」


 詩織は二人に呼びかけながら右手で少女の方を指差した。


「え?」

「何だ、ありゃ!?」


 縁と翔もその姿に動揺する。


「何でこんなのがいるのに、みんな気付かないの?」


 周囲の人達は皆、その場を素通りしていく。まるで目の前の異変を認識出来ていないかのようだ。


「心配ない。人避けの結界だ。じきにこの周囲から人間はいなくなる」


 何もない空間に円形の呪印が浮かび、そこから二つの人影が現れた。颯と、彼の十六夜である。


「呪印の女……か。噂話もたまには役に立つな」

「颯!?」


 颯の姿に詩織が声を上げた。しかし颯の方は詩織を一瞥するとすぐに呪印の女の方に向き直ってしまう。


「誰だか知らないが、死にたくなかったら離れていた方がいいぞ」

「えっ……」


 詩織は鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。自分のよく知る颯が、自分を知らないというのだ。


「……颯。解放許可」


 十六夜が颯に指示を出す。


「御意!」


 颯は左の刀を手に取り、顔の前に掲げた。鞘の付け根には、懐中時計のような装飾が施されている。


かい!」


 颯が叫ぶのと同時に懐中時計のような装飾は中央から割れ、瞼が開くように中から禍々しい瞳が現れた。それを皮切りに颯の身体は黒い焔に包まれ、徐々にその姿を変化させていく。黒焔が散った時、中から現れたのは、漆黒の鎧をまとったウォーデッドの姿であった。


「颯……」


 その姿を見て詩織は驚愕する。目の前で颯が謎の存在に変身したのだ。




 驚きのあまり呆けている詩織には目もくれず、颯は呪印の女に斬りかかった。しかしその刃は寸でのところであらぬ方向にずれてしまう。足元のブロックが崩れ、颯が体勢を崩したのだ。


 颯は『呪印の女』という都市伝説の内容を思い起こす。呪印の女に出くわすと不幸が訪れるという話だ。恐らくこの妖は人の運気を吸い上げ、結果不幸にしてしまうという類のものなのだろう。


 何度刀を振っても、寸でのところで軌道が逸れてしまう。それは運気が吸収されてしまうことによって起こる不幸のせいであった。いくら颯の戦闘術が優れていても、当たらないのであれば役には立たない。それほどの不運に当てられながら颯が無傷で済んでいるのは、彼の固有能力である『確率操作』のおかげだ。


「…………」


 攻撃の手を緩めることなく、颯は思考を巡らせていた。


 この妖はこちらを攻撃してきていない。運気が吸収される事によって起こる『不意に物が飛んでくる』、『足場が崩れる』等といった不幸の事象はあっても、妖自身がこちらを傷つけようという意図が見られないのだ。


 少女の妖を前に颯は剣を引き、解放状態を解く。


「何故、剣を止めた?」


 十六夜の問いにも、颯は動じることなく答えた。


「俺達の使命は、殲滅せんめつだ。だが、こいつには悪意がない」

「実際に被害は出ているぞ?」

「こいつの念は孤独による不安と悲しみ。ただ誰かの傍にいたかっただけだ。これまでの事象は、こいつが無意識に運気を吸い出してしまうことで起こった極些細な不幸の結果でしかない。死者が出た訳でもないみたいだしな」

「今はそうでも、いずれ自ら人を襲うようになるかもしれないぞ?」

「……そうなってからでも対処は出来る」


 十六夜は諦めたように目を閉じる。彼がここまで我を通そうとしたのは初めてのことだ。


「……勝手にしろ」

「御意」


 颯は刀を鞘に納め、二本とも遠くへ放った。そして目の前の妖を向かい入れる様に両手を広げる。


「さあ、もう大丈夫だ。俺はお前を傷つけるようなことはしなし、させないことを誓おう」


 今尚威嚇を続ける少女の妖。いずれ固有能力である確率操作も及ばなくなり自らを陥れるであろう不幸の脅威にも、颯は一向に怯まない。それどころか口元には笑みさえ浮かべている。


「孤独が嫌なら俺が傍にいてやる。ちょうどこっちも永遠の命だしな」


 しばらくすると、少女の妖の様子が変わってきた。威嚇は弱くなり、目じりには大粒の涙が溢れる。


「……あ……ああ」

「ああ。お前の不安も悲しみも、俺が受け取ってやる。だから――」


 開いた腕の間にそっと納まった少女の妖を、颯は優しく抱きとめた。


「苦しむのは……もう終わりにしよう」


 瞬間。颯の足元に呪印が展開され、そこから溢れた光が少女の妖を包む。そして光が収まった時、少女の妖の瞳には、弱いながらも確かな輝きが戻っていた。


「名前……は、覚えてないか。そうだな……」


 颯は少女をざっと眺めてから、何か思いついたように頷いた。


「今からお前の名前はしずくだ。涙ばかりは悲し過ぎるけど、それがお前を成り立たせているものだからな」

「?」


 妖の少女改め雫は、理解出来ないとばかりに首を捻る。


妖魔調伏ようまちょうぶくか……。いつの間に覚えた?」

「知らん。気付いたら使ってた」


 妖魔調伏とは妖の残念を受け入れ、しもべへと変える高等呪術の一つだ。少なくとも、ウォーデッドになって一年しか経っていない颯が使えるような呪術ではない。それこそ歴戦の――百年以上ウォーデッドとして活動している者達の中でも、ごく一部の者しか使えない呪術である。


「……やはりお前は特別なのだな。それでこそ見込んだ甲斐があるというものだ」

「褒めても何もでないぞ」


 颯は雫の頭に手を乗せた。雫は頭を撫でられるのが気に入った様子で、自ら頭を颯の手に押し付けている。


 と、突然世界から色彩が消えた。それまであった喧騒も消え、不気味なほどの静寂に包まれる。周囲に人影はなく、今この場にいるのは颯、十六夜、雫、詩織、縁、翔の六人だけだ。


「……狭間か」

「どうやら本命の登場のようだな」


 この局地的な狭間は、霊的要因による磁場の乱れによって生じた妖達の餌場である。生身の人間では自力で出ることはもちろん、入ることもできない。神隠しと言われる事象は、ほぼこれによるものである。


 そして、この狭間を展開させた張本人。雫とは別の、より醜悪な妖が姿を現した。

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