第六話 悪食の妖

「余計なのが混じったようだが、まぁいいか」


 妖が言葉を発する。詩織達はより狼狽したが、颯達は全く動じない。


「……なるほど。喋るだけじゃなく、策を講じるほどの知恵を付けたか。結界ごと我々を狭間に取り込むとは、大したものだ」

「妖力の強さからして二、三人ってところか?」


 普通妖が喰うのは人間だが、稀に他の妖やウォーデッドを取り込むことがある。そうした妖は取り込んだものの性質を発現し、より強力な妖へと変化するのだ。ウォーデッドを取り込んだ場合、こうした知恵を付ける場合もある。こういった妖のことをウォーデッドの間では悪食あくじきと呼んでいた。


「喰った奴なんて一々覚えてねぇ~が、心配するこたぁねぇ~」

 

 悪食の妖が肥大化した右腕を颯に向かって振り上げる。


「お前らもすぐに俺の餌になるんだからなぁ~!」

 

 振り下ろされた腕を十六夜を抱えながら躱す颯。そのまま地面に打ち付けられた妖の腕は、地面に敷き詰められたタイルを粉砕し、大きなくぼみを作る。大した豪腕だが当たらなければどうということはない。


「颯、開放許可」

「御意」


 颯は再び刀を眼前に掲げる。


「解!」


 ウォーデッドの姿へと転身した颯は、悪食の妖へと斬りかかった。右手の刀を斜め右上に切り上げ、妖の右腕を切り落とす。噴出す血しぶき。鮮血が颯の黒い鎧を赤く染める。しかし降りかかる血をものともせず、颯は左の刀を振り下ろして、妖の左腕を叩き斬った。


 大量の血が辺りに散乱する。巨大な人外に一面の赤。その様子は宛ら地獄絵図だ。


 悪食の妖が苦悶の声を上げながら後退する。颯がこれまでのウォーデッドとは違うことに気付いたようだ。


「おのれ、ウォーデッド!」


 次の瞬間、斬られたはずの妖の腕が再生する。それだけではない。背中から六本もの触手が生えてきた。触手の先端は鋭いかぎ爪のようになっており、粘着質な液体が滴っている。


「……流石はウォーデッドを喰っただけのことはあるな」


 颯は触手の間合いを見極めるべく、少し距離を取って両刀を構えた。


「死ね~!」


 六本の触手が同時に颯へと伸びる。どうやら触手は伸縮自在のようだ。どこまで伸びるのかまではわからないが、数メートル離れた颯には余裕で届く。


 次々と迫り来る触手を両手の刀で弾き返す颯。本当は斬り落としてしまいたいところだが、この触手が存外器用に動くようで、なかなか斬り落とすに至らない。かぎ爪が自分に当たらないよう弾き返すので精一杯だった。確率操作までおこなってやっと、と言ったところである。


 こんなことならさっさと首を落とすべきだったかと思う颯だが、今更そんなことを考えても仕方がない。颯は触手との格闘に専念する。





 離れた場所でその様子を見てた詩織達は、状況を飲み込めずにいた。


「何なの、いったい……」


 詩織が呟く。


 突然呪印の女に出くわしたかと思えば、今度は巨大な化物だ。何故自分達がこのような場にいるのか全くわからない。


「しおねえ、あれやばいやつだよ。逃げた方がいいって」

「そうだな。霊感ゼロの俺から見ても、あの化物がやばいってのはわかる」


 二人に言われて、改めて化物の方に視線を向ける。


 常人の倍はありそうな体躯たいくに、巨大な両腕。それに六本の触手。一応両の足で立っている辺りが、およそ残っている人間らしさと言える。この化物が一体何なのか理解は出来ないが、それが自分達にとって危険な存在であることは明白だった。今すぐに逃げ出したい気持ちはある。それでも、ある事情から、詩織はその場から動けずにいた。颯の存在である。


 先ほど呪印の少女に見せた彼の優しい顔。すぐに頭を撫でる癖等は、自分の知る颯と何ら変わりない。何故その彼を置いて逃げることが出来よう。いくら鎧姿に変わり、戦闘技術を身につけている様子とは言え、彼は颯なのだ。


 そんな詩織の横に、十六夜が立つ。


「無駄だ。この狭間から抜け出すことは出来ない」

「狭間?」

「空間の歪みだ。人間には空間を渡るすべがない。お前達に出来るのは、あの妖を颯が討つまでそこで大人しくしていることだ」


 十六夜に目を向ける詩織。どう見ても十代半ばの少女に見える。しかしその抑揚のない口調はどこか大人びて聞こえ、その口から紡がれる言葉は真実味を帯びていた。


「あなたは一体誰? 颯とはどういう関係?」


 詩織は思い切って質問してみることにした。


「私は十六夜。ウォーデッドと共に現世うつしよ隠世かくりよの秩序を守るのが仕事だ。そして颯は私と契約したウォーデッド。言わば運命共同体だ」


 思ったよりすんなり答えてくれる。


「ウォーデッド……」


 漆黒の鎧姿の颯に目を向けた。その背中から感じる気配は、詩織の知らないものだ。明らかに普通の人間のものではない。


「颯はどうしてそのウォーデッドとやらになってる訳? 彼はまだ生きてる人間なのよ?」


 詩織の言葉に十六夜は口をつぐむ。流石にそこまではそう易々と語ってくれないようだ。


「死にたくなければもっと離れていろ。あの妖、どこか余力を感じる」


 余力。その言葉に詩織は動揺を隠せなかった。どう見ても颯の方は目一杯戦っている様子である。このままでは颯が負けることもあり得るということか。


「颯……」


 詩織は胸の前で手を握って願った。どうか、颯が無事であるようにと。




 触手を使った攻防を颯と繰り広げていた悪食の妖だが、突然下卑た笑みを浮かべた。


「は~。大体わかったぞ、お前の強さ」


 対する颯はそんな言葉に耳を貸そうとはしない。ひたすらに刀を振り続ける。


「だんまりか~? まぁいいさ、こっちはいい加減腹減ってるんだ。ここらで決めさせてもらうぜ~」


 すると妖の背中から更に二本の触手が生えてきた。その触手が颯の脇をすり抜け、詩織達に向かう。これがこの妖の策であった。


「くっ!?」


 ここで颯が彼らを助けようと振り向けば、妖は颯を一突きに出来る。しかし、ウォーデッドとしては被害を増やすことはできないため、彼らを救うことが定石。この妖は人間達がウォーデッドの弱点たり得ることを理解していたのだ。


 しかし、妖のもくろみは外れた。妖は失念していたのだ。その場に居たのが、人間だけではなかったことに。


「雫。みんなを守れ!!」


 触手は詩織達の直前で唐突に進行方向を変える。その様子はまるで、見えない何かに押し撥ねられたようだった。


「……ま……も……る」


 妖である雫の、他者の運気を吸い取る能力。その対象は妖とて例外ではない。運気を吸われた触手は狙いを外してしまったのだ。

 

 「何だ~。てめぇ~。邪魔するってならお前から喰ってやる!」

 

  二本の触手が雫に伸びる。しかし雫にはあたらない。まるでそうなることがあらかじめ決まっているようなタイミングで触手の先端は雫から逸れていく。


 これには悪食の妖も驚いたようで、怪訝な表情を浮かべた。


「能力持ちか。厄介だな~」


 すると突然、空中に呪印が浮かび、新たに二つの人影が狭間に侵入してくる。


「な!?」


 突如、狭間に侵入してきた女性。手にした黒い刀が、彼女の正体を物語っている。


つるぎさん!?」

「やっほ~♪」


 驚きの声を上げる詩織に、ひらひらと右手を振ってみせる女性。それは詩織達に颯の情報をもたらした『劔神楽』その人であった。


「ここに入って来られるということは……てめぇ、ウォーデッドか!?」

「ご明察。賢い人って素敵だけど、あんたはタイプじゃないわね」


 神楽の十六夜が神楽に対して指示を出す。

 

「……神楽。解放許可」

「御意!」


 神楽は自らの刀を顔の前に掲げた。


「解!」


 颯の時と同様。鞘の装飾がパックリと開き、中から禍々しい瞳が現れる。神楽の身体は足元から黒い炎に包まれ、それが晴れた時、そこには全身を黒い鎧に身を包んだ神楽の姿があった。颯とはまた違うモチーフと思われる漆黒の鎧。どうやら神楽のものは鳥がモチーフとなっているらしい。


「ウォーデッド神楽、ただいま参上~ってね」


 見た目同様、ノリは颯とは全く異なっているようだ。ポーズも歌舞伎がかっているというか、どこが仰々しい。


「ウォーデッドが二人だと!? 聞いてないぞ!」


 悪食の妖が動揺する。自らが展開した狭間に侵入出来る点からも、新たに現れた方のウォーデッドが、かなりの実力者であることがわかったからだ。


「――颯。奴に反撃の隙を与えるな。一気にケリをつけろ」

「御意」


 颯は新たな呪印を展開し、構えを変えた。


「ちょっと、せっかくこれから二人で戦おうってのに、いきなり滅殺な訳!?」


 神楽は慌てて詩織達のフォローに入る。これも十六夜の計算の内であることを、颯は承知していた。


 滅殺というのは、ウォーデッドが持つ妖を滅する為の必殺技だ。妖力を全解放して放つため、当然周囲へ被害が出ることもある。神楽がそれを防いでくれるのであれば、力を解放することを躊躇ためらう理由はない。


 颯は神楽の方を気にすることなく、技を発動させた。両手の刀を繰り返し振るい悪食の妖の周囲の空間を切断、拘束。納刀と同時に妖の周囲の空間は崩壊。それに巻き込まれた妖は、完全にこの世から姿を消した。


 狭間を作り出した張本人がいなくなったことで、周囲は元の空間に戻る。そこはいつも通りの大学のキャンパスであった。しかし戦いで付いた地面の破壊跡はそのままである。


「颯!?」


 詩織が叫ぶが、颯は一向に動じない。


「ここのところ、俺のことを嗅ぎ回っていたようだが。俺のことを知っているのか?」

「何言ってるのさ。知ってるも何も、私達幼馴染じゃない!」

 

 颯は右目を閉じて彼女の言葉を反芻する。


「……事情はわかった。だが生憎、俺は過去に興味がない。お前が誰であるかは、俺にとってはどうでもいいことだ」


 開放状態を解いた颯は、十六夜に近づいて行った。


「あいつが例の目標で間違いないか?」

「そう思っていいだろう。ご苦労だった」

「……俺はやるべきことをやっただけだ」


 十六夜が颯の右肩に飛び乗る。


「もう俺には関わるな。それがお前達のためだ」


 そう詩織達に言い残し、颯と彼の十六夜は遥か上空へと消えて行った。

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