第五十四話 颯、ここにあり

 転移の呪印の向こうから現れた颯達を見て、那岐が叫ぶ。


 こんなことはありえない。人から十六夜が生まれるなど。その十六夜が颯を契約者に選ぶなど。あってはならないのだ。


 十六夜の支配から逃れること。それこそが那岐の望む新たなウォーデッドのあり方だった。しかし目の前の颯はどうだ。異例の生まれ方とは言え、やはり十六夜に縛られているではないか。これは見過ごせない。


「颯、貴様!」


 自分に刀を向けてくる颯に怒りすら覚える。何故自分の理想が受け入れられないのか。こんなにも同胞のことを思っているのに。何故。


「那岐。あんたは何か勘違いをしているんじゃないか?」

「勘違い……だと?」

「あんたは同胞のためと思っているかも知れないが、それは本当にウォーデッド達が望んでいることなのか?」

「望む望まないの話ではない。ウォーデッドは自由であるべきだ。この世界のくだらない理屈によって罪人扱いされているのだからな!」

「……確かに、俺も罪人扱いされるのは本意じゃない」

「だろう? だったら」

「しかしだからと言って、あんたみたいに世界を混乱に貶めていい理由にはならないだろ?」

「これは世界を変えるのに必要な犠牲だ! 新たに生まれ変わった世界では魂は皆平等に管理される!」

「あんたの匙加減一つで変わる平等なんかに興味はないね」


 もう我慢の限界だ。この男は邪魔である。自分の理想を叶えるための障害でしかない。


 那岐は颯に斬りかかった。強烈な衝撃波を纏った斬撃。それは、これまでの颯であれば耐えられるはずのないものだった。




 那岐が突っ込んで来る。もう問答は終わりのようだ。ならばここで終わらせねばなるまい。彼の長い葛藤の日々を。


 颯も那岐のと距離を詰める。その速度は、那岐よりもずっと速かった。これまでの颯の動きではない。全く別の、異常なまでの力。ドラゴンと鬼。二つの妖性を持った颯は元より異質な存在であった。何故そうなったかは誰にもわからない。祖霊の意思か、はたまた颯の幸運がもたらした奇跡か。以前は魂と肉体。それぞれに一つずつ込められていた妖性が、今は一つとなっている。それにより颯の妖性は幻想種の更に上。未だかつてない神格種の領域へと踏み込んでいた。


 右の刀で那岐の一撃を受け止めて見せる。軽い。こんなものに今までの自分は苦戦していたのか。刀をずらし、衝撃を受け流す。そして左の刀を逆袈裟に斬り下ろした。


 那岐の鎧に傷がつく。彼にとって実に数百年ぶりとなるダメージ。それをもたらしたのは、まだ生まれたばかりのウォーデッドだった。


 傷口から血が噴き出す。これは那岐にとっても信じられないことだったのだろう。鎧の上からでも動揺が見て取れる。


「――っ!? 颯ぇ~っ!」


 那岐が更に速度を上げ、踊りかかって来た。だが、今の颯にとっては遅過ぎる。幾体もの妖を取り込み強化したはずの那岐の妖性は、それでも颯の妖性に劣っていたのだ。


「霊威開放」


 颯が呟くと、霊力の光が颯の身体を包み、徐々に形を成していった。半透明な無数の刃となった霊力が円環状に浮かぶ。


「行け」


 颯の一声で円環状に並んでいた刃は拡散し、一挙に那岐へと押し寄せた。無数の刃が那岐の身体を削っていく。


「ば、馬鹿な!?」


 全身を斬り刻まれた那岐がその場に膝を着いた。


「こんなことが、こんなことがあっていい訳がない! 俺の理想がこんな所でついえるなど!」


 刀を杖代わりに立ち上がる那岐。先ほどとは逆の構図だ。


「もういいだろ、那岐。あんたの負けだ」


 刀を下ろし、諭すように言う颯。


「いいものか! 俺の長年の苦しみを知らぬお前に、負ける訳には」

「あんたはもう充分働いたよ。あんたの願いは、別の形で俺が叶える。だから後は俺等に任せて先に逝け」

「まだだ。今勝てぬのならまたいずれ、いずれ!」

「いずれはない。ここで終わりだ」


 颯の両刀が黒い炎に包まれる。新しく生まれ変わった颯の滅殺――極威きょくい滅界めっかい。その二つの炎の刃が振り上げられた。


 放たれた斬撃は巨大な炎の柱となって立ち上る。そして次の瞬間。空間が凍りついたように固まり、ひび割れ、そして崩れ去った。


 後に残ったのは静寂。そこにいたはずの那岐は空間と共に崩れ去り、姿を消してる。颯は刀を鞘に納め、その場に力なく尻をついていた詩織に声をかけた。


「詩織」

「颯……」


 詩織の目から大粒の涙がこぼれる。仕方ないだろう。目の前で大切な幼馴染が死に、再びウォーデッドとなったのだから。


「俺の身体からだのこと、お前に任せる。今度はしっかりと供養してやってくれ」

「……颯は、これからどうするの?」

「俺にはまだやらなきゃならないことがたくさんある。今は世界中で妖達が大行進中だ。それを収めないと」

「それが終わったら、帰ってくる?」


 颯は答えに詰まる。全ての記憶を持っているとは言え、自分はウォーデッドで、詩織は人間。通常なら距離を保つことが大切なのである。


 しばらく考えてから、颯は言った。


「約束は出来ない。でも、そうだな。もし世界が平和になって少し暇が出来たら、帰って来ることもあるかもな」


 十六夜がいつものように肩に乗る。そろそろ行かなければ。世界は未だ混乱の最中さなかにある。この満ヶ崎だけでもかなりの数の妖が残っているのだ。満ヶ崎が終わったらそれ以外の地域。そして世界へと足を伸ばす必要があるだろう。一体どのくらいの時間がかかるのか見当もつかない。


「じゃあ、元気で」


 そう言って、颯は地面を蹴った。すぐに詩織の姿は小さくなり、やがて見えなくなる。詩織が完全に見えなくなった頃、十六夜が話しかけてきた。


「よかったのか、あれで」

「ああ」


 颯は間髪入れずにそう答える。悔いがないと言えば嘘になるが、この道を選んだのは自分自身だ。


「それに、俺には十六夜。お前がいる」

「そんなことを言っても褒美は出ないぞ?」

「褒美なんていらない。俺はお前がいればそれで充分だ」

「……そうか」


 十六夜が今どんな顔をしているかはわからないが、身体に少し力が入ったのは感じられた。照れているのだろうか。そんなことを考えていたら、頭をポンと小突かれる。


「何を考えている」

「別に何も?」

「いいや。その顔は何かよからぬことを考えている顔だ」

「顔って……。今は鎧纏ってるから見えないだろ」

「新しい私は鎧の上からでもわかるんだ」

「何だよ、その滅茶苦茶な理論」


 どうやら以前の十六夜よりも感情が豊かなようだ。これが転生に伴う変化なのか、人間から生まれたが故の性質なのかはわからない。しかし、この十六夜とならいつまででも楽しくやって行ける。そんな気がした。


「十六夜」

「……何だ」

「これからもよろしくな」

「……ああ。これからはずっと一緒だ。お前が果てるまで、永遠にな」


 二人は笑い合う。これまでとは少し違う、ウォーデッドと十六夜の関係。それが新しい世界の始まりなのだということは、この時の二人には知るよしもなかった。


「颯、見つけたぞ。妖だ」

「ああ、せいぜい大暴れしてやるよ。この際だからメディアにもバンバン出ようぜ」


 十六夜を下ろし、妖と対峙する。その颯の瞳は、明るい未来を目指す確かな決意を宿していたのだった。

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