第九話 妖が生まれる時
彼女はいつも一人だった。
まず生まれてすぐに母親が死んだ。元々体の弱かった母親は出産に耐え切れなかったという。男手一つで彼女を育てようとした父親は仕事でいつも家を空けがちで、家に帰っても暗い部屋が待っているだけ。それでも彼女は平気だった。
一人きりの夜をいくつ過ごしただろう。今度は父親が死んだ。激務による過労が原因だったらしい。それでも彼女は涙一つ流さなかった。一人きりなのはいつものこと。今に始まった話じゃない。
彼女は施設に引き取られることとなったが、そこでも彼女は一人だった。他にも子どもはたくさんいたが、彼女は誰とも関わろうとはしなかったのだ。一人が落ち着く。他の人間なんて必要ない。当時の彼女はそう考えていた。
中学でも高校でも、出来るだけ人と関わらないよう、目立たないように行動する。それでも集団に属していないというだけでいじめの的になったりもした。しかし彼女はそれでもよかった。他者に興味がないということは優劣にも興味がないと言うこと。自分がいくら貶められたところで、彼女の心は痛まない。やがて彼女のあまりの無反応に興味を失ったのか、いじめはひとりでに収束していった。
やがて大人になった彼女は不慮の事故で命を落とすこととなる。そこから先の記憶は曖昧だ。気付いたら見知った自分の家の中にいた。彼女は自分が死んでしまったことをすぐに理解したが、むしろその状況は彼女にとっては都合のよいものだったのかも知れない。何せ誰にも邪魔されることなくずっと一人でいられる。その程度の認識だった。
しかしそれを邪何する者が現れた。彼女のいなくなったその部屋に新しい住人が引っ越してきたのだ。これには彼女も激怒した。自分だけの空間だったはずのその部屋に、見ず知らずの誰かがいついてしまったからだ。
部屋の新しい住人も女性であったが、その女性には霊感と呼ばれるものが一切なく、彼女の存在に気付くことはなかった。だからこそ彼女は許せなかった。自分の存在に気付けば女性はすぐにこの部屋からいなくなる。そう思っていたのに、彼女が何をしても女性はその部屋に住み続けた。
徐々に意識が混濁する日が増え、彼女は自身の衝動を抑えられなくなる。
魂というのは実に無防備だ。肉体をいう守りがない分、
そしてある日、彼女は女性を殺して喰った。もう彼女の魂は人のものではない。妖。そう呼ばれるものであった。
たがが外れた彼女は、積極的に人を襲うようになっていく。人を喰った分だけ強くなる自分の酔いしれる日々。この世全ての人間を喰らい尽くせば、自分は再び一人になれる。それが彼女の目的となった。
人間を襲うようになってからしばらくして、黒い鎧に身を包んだ何者かに出会う。刀を振るうそれは、彼女にとって脅威であった。彼女はその黒い鎧を纏った何者かも殺して喰うことにする。それだけの力が、今の自分にはあるとわかっていたのだ。
黒い鎧は固かったが、それを食った後、力が漲るのを感じた。これはいいと味を占めた彼女は黒い鎧を積極的に襲うようになる。黒い鎧達はそれぞれ奇怪な術を使うので苦戦したが、それでも一人、また一人と喰っていくことで強大な力を得ることに成功したのだ。
そんな彼女を黒い鎧達は『紅夜叉』と呼ぶようになる。名前があるというのはいいことだ。生前の名前などとうに忘れてしまった彼女は、その名前を大層気に入った。
彼女はそれからも人間を喰い続け、黒い鎧――ウォーデッドとの戦いの回数も増えていく。だが、彼女はその状況を幸福だとさえ思った。人間を襲えばその人間は自分を怖れ逃げ惑うし、自分の命を奪おうとウォーデッド達がこぞって押しかけて来る。ずっと一人だった自分が、こうも誰かと関わって、それに高揚感を覚えるのだ。こんなに面白おかしいことはない。
しかし、それでも彼女は満たされなかった。もっと、もっと人間を喰いたい。ウォーデッドと血湧き肉踊る戦いを繰り広げたい。果てのない欲望が彼女を突き動かす。
今までに何人の人間を喰って来ただろう。もちろん覚えてなどいない。
今まで何人のウォーデッドに命を狙われてきただろう。これも持ちろん覚えていない。
それでよかった。彼女の行く末には未来だけがあればいい。これからもずっと人間を喰らい、ウォーデッドを退け続けるのだ。それで彼女の理想の世界は完成する。誰にも邪魔されない一人きりの時間。それが手に入るのだ。
が、ここでふと考えた。
全ての人間を喰ってしまったら、もう人間は喰えないし、全てのウォーデッドを狩ってしまったら、もう闘争の日々は訪れない。これは自分にとって理想と言えるのか。
わからない。わからない。わからない。自分とは何だ。自分はどうしたかったのか。わからない。
彼女の咆哮が周囲に響き渡った。いや、咆哮と言うより金切り声に近いかも知れない。その声に驚いたカラスが一斉にその場を飛び立つ。しかしそのカラス達もすぐに動きを止めた。少し経って、石化したカラスが地面に落ちてくる。彼女が手に入れた能力。石化。これは彼女の声を媒体に発生する呪術であった。
この石化の呪術があったからこそ、幾度となく来襲したウォーデッド達を返り討ちに出来たのだ。
彼女は石化し落としたカラスを喰った。最早カラス程度では腹は満たされないが、それでも何かを喰っている間はあれこれと考えずに済む。彼女は必死になってカラスに喰らい付いた。
一通りカラスを喰い終えた後、彼女は再び思案する。
もっと人間を喰おう。もっと人間を喰えば新たなウォーデッドがやって来る。そのウォーデッドを喰えば更なる力が手に入るだろう。先のことはそれから考えるのでも遅くはない。
いつの頃からか赤く変色した腕を眺める。かぎ爪のように変化した爪は長く鋭い。この爪で人間の腹を切り裂く瞬間は気分が高まる。どろりと流れ出す温かい血。はらわたを引きずり出すと人間は面白いくらいに泣き
思い出したら人間を喰いたくなってきた。彼女は森の中へと消えていく。においからして次の町まではそう遠くないはずだ。次の町では何人食おう。ウォーデッドは現れるだろうか。楽しみで仕方がない。
彼女は笑う。それは人間が出すような声ではない。彼女は身も心もすっかり妖と化していた。
紅夜叉のように個体名が付けられる妖は少ない。それだけ強力で危険な妖ということだ。
紅夜叉のような
そんな紅夜叉が次に目指していたのが満ヶ崎であった。現在満ヶ崎にいるウォーデッドは二人。颯と神楽だ。
この二人はまだその事実を知らない。比較的に平和であった満ヶ崎を未曾有の危機が襲うのは、まだ少し先の話である。
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