第八話 これはあくまで始まり

 急激に変わった場の雰囲気について行けていない詩織だったが、意を決して神楽に質問を投げかける。


「銀髪のが言ってました。ウォーデッドは現世と隠世を守るのが仕事だって。けど、それって颯がやらなきゃいけないんですか?」

「厳密に言えば彼である必要はないよ。けど、彼がそれを選んだんだ。自らの意思でね」


 その返答は、詩織達にとっては辛いものだ。しかし、そこで引き下がる訳には行かない。詩織達にとっては何年も連れ添った友人なのだ。縁に至っては実の妹である。そう簡単に納得出来ることではない。


 そんな詩織達の様子を見て、神楽は少し考えてから口を開いた。


「ウォーデッドになった者は生前の記憶を失う。私を含め、全てのウォーデッドは自身の過去を知らない。けど、唯一の例外が彼なんじゃないかな」

「……どういうことですか?」

「本当に全ての記憶を失っているのなら、あなた達を避ける理由がないでしょ?」

「あ……」


 詩織は思わず声を漏らす。颯に拒絶された時はショックが先に立って気が付かなかったが、言われてみれば彼の行動には妙な点があった。


「コーヒー……」


 そう。彼のコーヒーの飲み方は詩織達の知るそれと完全に一致していたのだ。急ぐ時はミルク入り、落ち着きたい時はブラック。颯は元々コーヒーはブラック派だった。生前――正確には彼は死んではいないが――の記憶が全て失われるというのなら、この行動は不可解だ。


「ウォーデッドである以上戦闘は避けられない。彼があなた達を避けるのは、あなた達を危険から遠ざけるためなんじゃないかしら。もちろん彼はそのことを自覚していないんでしょうけど――」


 あくまで神楽の推論に過ぎないが、それでも今の詩織達にとっては救いのある解釈であった。


「それに彼、左目が潰れてたでしょ?」

「それは一年前の事故が原因で――」

「肉体と魂は別物だ。一度切り離されてしまえば、互いに影響することはない」


 十六夜が会話に割って入る。これには神楽も驚いたようで目を丸くした。


「あのは何らかの形で、本体であると繋がっている。彼がお前達に反応するのは、肉体に残っている記憶が絡んでいるのだろう」


 十六夜が一通り言い終えると、神楽は再び十六夜に抱きつき、頬ずりを始める。


「……何をしている」

「何って、親愛の情を示してるのよ」


 十六夜は神楽を引き剥がそうと押し返そうとしているが、どうやらウォーデッドである神楽の方が力が強いようだ。結局引き剥がすことは叶わず、十六夜はまたも諦める破目になった。


「……そもそも、何であいつはそのウォーデッドなんてのになっちまったんだ?」


 翔が疑問を口にする。


「ウォーデッドとは天命に背いた者に与えられる罰だ」

「罰?」

「そうだ。彼等はその身が続く限り、妖と戦い続ける。私達十六夜と共にな」

「颯は、いったい何をしたの?」


 恐る恐る問いかける詩織。答えたのは十六夜ではなく、神楽であった。


「……あなたを助けたのよ。それが、彼の犯した罪」


 思いがけぬ一言に、場の空気が凍る。三人とも神楽の言葉を正しく認識するのに、かなりの時間を要した。


「……しおねえを助けたって、それの何処が罪なんですか!?」

「そうだぜ。人助けが罪って。しかも、あいつは死にかけたんだぞ!」

 

 思わず声を荒げる縁と翔。しかし詩織はその先までの想像をしてしまい、言葉に詰まっている。


「人の生き死にには法則がある。そこに一切の例外はない。故に死ぬべき人間が死なず、生きるべき人間が死んでしまう事態を引き起こすことは、天命に背くという紛れもない罪だ」

「それって!?」

 「そう。籐ヶ見颯は、自らを守る運気の全てを捧げることで、お前を生かし。結果として、己自身を死の淵へ追い遣ってしまった。それが彼の犯した罪だ」

「……そんな、私」

 

 詩織はショックのあまり俯いてしまった。強く握られた拳が、その心情を物語っている。

 

「颯を元に戻すことは出来ないのか!?」

「そうだよ。身体は生きてるんだから、魂さえ戻ればお兄ちゃんは!」

「それは無理だ」

「どうして!?」

「ウォーデッドとして契約している以上、あれはではない。その存在は限りなくに近いものだ」


 ウォーデッドの秘める妖性とは、すなわち妖と同等のそれだ。妖を殺すことが出来るのは、やはり妖なのである。


「妖が人に取り憑くと、穢れた霊力の影響で肉体が変異して、その人自体が妖になっちゃうのよ。尤も、妖が取り憑けるのは、魂の入っていない空っぽの肉体だけなんだけど、ね。昔はそういったことがよくあったから、死んだ人間はちゃんと供養して、火葬するようになったのよ?」


 神楽の説明によれば、いわゆるゾンビ等、死者が動くといった類の話は、ここから来ているのだとか。

 

「今現在、籐ヶ見颯の肉体が無事なのは、彼自身の運気によって守られているからだ。そこにウォーデッドである奴の魂を戻したら」

「間違いなく、変異を起こすでしょうね?」


 せっかく光明が見えてきたと思ったのに振り出しに戻ってしまった。これには詩織と縁もがっかりと肩を落とす。


「ウォーデッドって途中でやめられたりは出来ないのかよ」


 翔はそれでも諦められないとばかりに言葉を発した。


「一度交わされた契約は、どちらかが死ぬまで有効だ。そして、ウォーデッドか十六夜。その片方が倒れた場合、もう片方も同じ運命を辿ることになる」


 十六夜の話はシンプルだ。つまり、颯が死ねば十六夜が、そして十六夜が死ねば颯が共に命を落とす。この場合の死とは魂の消滅。つまり颯か十六夜、どちらかがやられてしまった時点で全てが終わるのである。


「……八方塞って感じだな」


 翔は肩を落とした。今のところ、颯を元に戻す手段がない。颯はこのままウォーデッドとして戦い続けるだろうし、自分達はそれを知りつつ手出しすることが出来ないのだ。これ以上悔しいことはない。


「まぁ、そういう時はコーヒーでも飲んで落ち着きましょう?」


 神楽は翔にコーヒーを差し出す。翔は少し時間を置いてからそのコーヒーを受け取り、口をつけた。


「苦いな……」


 ブラックのままのコーヒーはほろ苦く、しかしどこか優しい味がする。強張った表情を緩めた翔を見て、詩織と縁もコーヒーを啜った。


 焦ったところでどうなるというものではない。一年間も意識不明であった颯の魂が、別の場所にあったことがわかった。それだけでも行幸というものだ。今の颯が肉体と繋がっているというのであれば、もしかしたら記憶が戻ることもあるかも知れない。多少の危険が伴うとしても、それで颯を諦めるという選択肢はないのだ。


 三人はコーヒーを飲み干すと勢いよく立ち上がる。


「劔さん、私達諦めません。颯を元に戻す方法があるって信じてます」


 神楽が少し困ったような笑みを浮かべたが、詩織達の意見は変わらない。


「まぁ、あなた達のことは気に留めておくわ。今後また妖に襲われないとも限らないし。それと、私のことは神楽でいいわよ。劔は本当の苗字って訳じゃないしね」


 神楽の言葉に詩織は笑顔を浮かべる。


「はい。神楽さん。よろしくお願いします」


 こうして詩織達はウォーデッドの世界へと踏み込んだ。行く先は深い闇に閉ざされているが、今この瞬間は暖かく優しい空間に包まれていた。

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