第二十四話 再び戦場へ

 数日後。


 傷の癒えた颯は朝早くから身体を動かして自身の調子を確かめていた。


「よし。これなら充分に戦える」


 琴葉との戦いでついた傷はもちろん、妖に貫かれた腹部の傷もすっかり消えている。この辺りはやはり通常の人間とは違う、ウォーデッドならではの身体的特徴だ。


「調子はよさそうだな」


 いつの間にかやって来ていた十六夜の視線に答えるように、颯はグッと拳をを握って見せる。


「ああ。いつでも行けるぜ」

「そうか」


 十六夜は心なしか嬉しそうな表情を見せた。彼女の表情の読み方が、この数日でだいぶわかった気がする。


「すぐにでも――と言いたいところだが、この家の人間にはだいぶ世話になってしまった。礼くらいは言っておかないとならないだろう」

「そうだな」


 颯はともかく、見ず知らずな十六夜や琴葉の面倒まで見させてしまった。それに関しては本当に申し訳なく思っている。しかしこの家に滞在していたことは悪いことばかりではなかった。颯の両親は始終嬉しそうにしていたし、縁も家にいる人間の数が増えたからか楽しそうにしていたのだ。


 とは言え、颯はやはりウォーデッドなのである。いつまでもこの暖かな場所にいる訳には行かない。ニュースでも見た通り、何者かが原因で謎の集団失踪が起こっている。十中八九妖の仕業だろうが、これは現地に行って確かめる必要があるだろう。


 朝食の後。颯と十六夜は家を出る旨を伝えた。


「……そういう事情なら引き止める訳には行かないわね」

「そうだな。今の颯には今の颯のやることがある。正直つらい気持ちはあるが、こればっかりはな~」


 隆文と雅恵は概ねこちらの事情を尊重してくれる。しかし、縁は「反対だ」と声を上げた。


「どうしてよ。せっかく帰ってきたのに。この家を拠点に活動したっていいでしょ」

「気持ちはありがたいが、ウォーデッドがいつまでも人間の傍にいる訳には行かないんだ」


 本来であれば門前町の屋敷でよかったのだ。それをこうして颯の実家にしたのは、あくまで緊急的な措置に過ぎない。


「それに、これ以上この家にいてお前達に危害が及ぶことは避けたい」


 他者との繋がりは時として弱点になりる。だからこそウォーデッドは過去を捨てるのだ。生前の人間関係は、ウォーデッドにとって邪魔でしかない。


「この家は運気に守られてるんでしょ? だったら」

「この家を一歩でも出れば、無防備になる。それに、ずっと家に引きこもってる訳にも行かないだろ?」

「それは」


 縁は納得行かないとうなり声を上げた。


「俺には俺の、お前にはお前の役割がある。それを忘れるな」

「……私の役割って何さ」

「俺の分まで生きることだ」

「お兄ちゃんはまだ死んでない!」


 声を荒げる縁。颯はそんな彼女の肩をそっと叩いた。


「そうかも知れない。だが今の俺はウォーデッドなんだ。生き返ることは出来ないし、親孝行だって出来ない」

「お兄ちゃん……」

「俺の分まで生きろ。父さんと母さんに孝行してやれ」


 颯は敢えて隆文を父、雅恵を母と呼んだ。自分にその実感がなくても、事実は変わらない。であれば、二人を両親と呼ぶことも自然なことだと思えた。


「……わかった」


 縁はしぶしぶながら了承してくれる。颯は笑顔でそれに答えた。


「頼んだぞ」

「うん」


 今度は琴葉に向き直る颯。彼女の傷はまだ癒えていない。もうしばらくの療養が必要だろう。


「父さん、母さん。こいつのこと、もうちょっとだけ面倒見てやってくれ」


 颯は両親に向かって頭を下げた。


「ああ、任された」

「大丈夫よ、颯。琴葉ちゃんの怪我が治るまで、母さんしっかりお世話するから」


 琴葉は申し訳なさそうにしているが、ウォーデッドを倒すという任務に失敗している以上、下手に実家に戻ることが出来ないのだろう。


「本当に申し訳ない。こんなに世話になってしまって」

「琴葉は真面目過ぎるにゃ。せっかく颯のご両親がこう言ってるんにゃから、大人しくお世話になればいいにゃ」


 瑠璃はあっけらかんとしたもので、その場であくびをしている。流石は猫又だ。見た目は猫耳と尻尾をつけただけの幼女だが、行動が一々猫くさい。


 颯は呪印を展開し、その場にいる皆を見渡す。


「本当に世話になった。出来ることなら、もう二度と会わないで済むことを願っている」


 その言葉に雅恵は耐え切れずに涙をこぼした。


「元気でね、颯」

「ああ。母さんも元気で」


 それだけ言い残し、颯と十六夜は呪印をくぐる。呪印が消えると、後に残されたのは静寂のみ。一層泣き出す雅恵の肩を、隆文は優しく抱いたのだった。




 呪印を潜った先。そこはニュースに出ていた商店街だ。先日の集団失踪事件が妖のてによるものなら、何か痕跡が残っているはずである。


「お前の言う通り、やはりあるな。捕食の跡だ」


 一般人には何も見えないが、十六夜には妖の残した捕食の痕跡がはっきりと見て取れた。霊的な力に特化した人間ならば何かしら感じるところはあるだろうが、それはあくまで嫌な気配止まりだろう。妖という存在自体、一般人には認知されていないのだから。


「この間取り逃がした奴か?」

「そこまではわからん。が、そうだったとしたら、前回付けた傷は完治しているだろうな」


 それだけ多くの人間が喰われたということである。颯は拳を強く握った。


「気持ちはわかるが、そうりきむな。いざという時に反応が遅れるぞ」


 十六夜の言う通りだ。無駄な力は動きを鈍らせる。ただでさえ自分はウォーデッドとしての経験が短いのだ。こんなことではいけない。


 颯は拳を開き、大きく深呼吸をした。


「……大丈夫だ。いつでもやれる」

「そうだ。それでいい」


 十六夜は満足気に頷き、改めて周囲を見渡す。


「やはり近くに気配はない。本当にいないのか、はたまた気配を隠しているのか」


 十六夜の霊力関知にも引っかからないというのは性質たちが悪い。目視で確認する以外に相手を発見するすべがないのだ。


「相手の能力が認識阻害だった場合。俺に勝機はどの程度ある?」

「正直に聞きたいか?」

「ああ」

「よくて四割。悪ければ二割と言ったところだな」


 あまりの低い見込みに颯は眉を寄せる。


「四割か。野球のバッターなら大したもんだが」


 軽口を叩いている場合ではない。実際に出くわせば、自分は殺されるかも知れないのだ。


 颯は注意深く周囲の気配を探る。先日の事件のせいもあってか、人通りはまばらだ。犯人である妖はもう一度この場所に現れるだろうか。実際に認識を阻害できるなら可能性はある。何せ隠れる必要がない。人通りの多い所を見計らって狭間を展開すればそれで彼らの食事は誰にも邪魔されないのだ。


「やるつもりなのか、颯」

「他に選択肢があるか?」


 例え勝率が二割であっても、引くことは出来ない。この商店街は籐ヶ見家の人間や詩織も使っているのだ。


「……とあるウォーデッドの討伐指令が出ている」

「那岐って奴のことだろ? 神楽から聞いた」


 ウォーデッド那岐。妖と通じているという彼は、一体何を考えているのだろう。いくら考えた所で答えは出ない。第一居場所すらわかっていないのだ。仮に見つけたところで、一人で相手に出来るような相手とも思えない。


「十傑のトップなんだろ? 何だって裏切ったりしたんだ」

「それがわかれば苦労はしない。で、お前はどうする?」


 一瞬の間。颯は首を横に振った。


「今は那岐のことはいい。妖の方が優先だ」

「……そうか。好きにするといい」

「御意」


 十六夜がこうして判断を颯に任せるのは珍しい。いつもなら否応いやおうなく指示をしてくるのだ。他の十六夜のことは最初に与えられた情報でしか知らないが、このような十六夜の行動が周囲とは異なっているというのは何となくわかる。少し意外に思いながらも、それが十六夜の判断であるのなら従うまでだ。


 颯は呪印を使って雫を呼び出した。


「雫、仕事だ。詩織達を守れ」


 詩織は一度狙われている。またいつ何時襲われるかわからない。雫が護衛ならば、相手に勝てないまでも守りきることは出来るだろう。


「うう!」


 雫は小さくガッツポーズをして、姿を消した。雫も妖としての能力を随分制御できるようになってきている。影ながら人助けをするのには充分と言えるだろう。


 颯は十六夜と共に商店街の探索を続けた。しかし、ついにその日は妖の行方はわからず仕舞いだったのである。

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