第五章 心通う時

第二十五話 沙耶

 神楽は一人、師である沙耶のもとを訪れていた。目的は彼女の真意を探ることである。


「師匠。言われた通り颯に那岐のことは伝えてきたけれど、どうして颯にまで言う必要があったの? 不結に伝えれば充分のはずなのに」

「不結は何を考えているのか見当もつかんからの。自ら従えているウォーデッドにも話さぬかも知れぬ」


 そう言って沙耶は杯に口をつけた。朝っぱらから酒など嗜んでいる訳だが、それが彼女なりの死後を楽しむちょっぴりのコツなのだ。


「正直、今の颯には荷が勝ち過ぎてると思う。いくら紅夜叉を倒したと言っても、彼はまだウォーデッドになって一年なんだよ?」

「ほう。随分入れ込んでおるようではないか。よもや惚れたか?」

「……師匠。真面目に聞いてますか?」


 流石の神楽も、沙耶の前では形無しである。


 沙耶は見た目は十六夜よりも幼いくらいだが、ウォーデッドの中でも五本指に入る古株だ。時代がかったしゃべり方もその証明である。ウォーデッドの中でも珍しい白い鎧の持ち主で、現十傑第二位の実力者でもあった。


「あの坊やは強い。いずれは十席に名を連ねよう」

「それは未来の話です。今すぐにという訳には」

「儂は期待しておるのじゃ。坊やが今の凝り固まったつるぎの思想を取り払ってくれることにな」

「凝り固まった思想?」


 神楽には何のことだかわからない。


「のう、神楽よ。劔とはどのような存在だ」

「天命に背いた罪人にして、隠世の番人。過去を捨て、人知れずこの世のバランスを保つ存在です」


 神楽は思ったことを口にする。しかしそれは沙耶にとって満足な答えではなかったようだ。


「それだよ」


 沙耶は「ふぅ」とため息をつく。それを見て神楽は眉間に皺を寄せた。


「私の言ったこと。何か間違っていましたか?」

「間違ってはおらん。現状、劔とはそのような存在だからの。しかし」


 沙耶は一度区切り、酒を呷ってから続きをつづる。


「今の坊やは過去の記憶を取り戻しつつある。これが劔にとってどういうことかわかるか?」

「……役目に支障をきたす?」

「逆だ」


 沙耶は杯を置き、前のめりになった。


「過去を取り戻すことで、奴は己の力を発現させた。守るべき者をはっきりと自覚したことで、紅夜叉めを屠って見せたのだ」

「それは……」


 神楽はその先を綴ることができない。実際にその通りだったからだ。あの場に詩織がいなければ、颯はきっと負けていただろう。詩織を守ろうとしたからこそ、彼は土壇場で力を発揮し、紅夜叉を倒すことが出来たのだ。


「儂はの、神楽。過去を取り戻すことが悪いことだとは思っておらぬ。むしろそれは強みとなろう。無論、反対する者も現れるのはわかっておる。人間との関わりはこの世の調和を乱しかねないからの」


 妖という脅威の存在を人間は知らない。もし知ってしまえば、連鎖的に隠世の存在も明るみに出るだろう。それは人間の倫理観を壊しかねない。何せ、人の生き死にが初めから定められているのだ。天命の短い者の中には何とか生きようと足掻く者が現れるかも知れない。逆に天命の長い者の中にはどうせ死なないのだからと無茶をする者が現れるかも知れない。それが天命を歪めるという結果に繋がる可能性があるということを知らずに。


「十傑の中には坊やを危険視する者もおる。そやつらの中から坊やを討とうとする者も現れるかも知れん」

「そんな!? 颯は何も悪いことしてないよ!」


 神楽は思わず声を荒げる。


「ええい、大きな声を出すな。あくまで可能性の話だ」


 あまりの声の大きさに、沙耶は咄嗟に耳を塞いだ。


「……師匠は颯のこと。どうするつもりなんですか」

「安心せい。儂は坊やの味方だ。言っただろう。儂は今の劔の凝り固まった思想を取り払って欲しいと」


 沙耶は神楽の肩に手を乗せる。


「それまでは神楽。お前が坊やを見守ってやれ」

「見守るって……。師匠が颯にいろいろ教えてあげればいいじゃないですか」

「何を言っておる。儂は古参だ。出来ることにも限りがある。これからのことは、お前達若い世代が担っていくんだよ」


 沙耶の手が、今度は神楽の頭に乗った。頭を撫でられるのなどいつ以来か。少なくとも、ウォーデッドになってからは一度もない。尤も、自分の過去のことなど覚えてはいないので、子ども時代にも撫でられていたかは不明なのだが。


「若い世代って。これでも私二十年ウォーデッドやってるんですけど?」

「二十年なぞ、儂からしたら可愛いもんだ。儂が何年劔をやっておると思う」


 その話を出されると弱い。年季が違い過ぎる。神楽は頭に載せられた手を跳ね除け、沙耶に問いかけた。


「私に、何が出来るでしょう?」

「……それを自分で考えるんだよ。儂が教えてしまったら意味がない」


 相変わらずずるい人だ。死後を楽しむちょっぴりのコツなんかはさらりと教えてくれるのに、肝心なことはいつも教えてくれない。


 とりあえず、と神楽は思考を巡らす。まずはにもかくにも颯の教育だ。彼は剣技には長けているが呪術に関してはほとんど知らない。自分が知る限りのそれを伝授してやるのがいいだろう。


 自分が沙耶に師事し始めた頃を思い出す。あの頃は毎日が本当にきつかった。来る日も来る日も鍛錬鍛錬。実戦など参加させてもらえず、まともに呪術の一つも教えてくれない。正直を上げてしまいそうな日もあったが、それも今となってはいい思い出である。


 颯は言われなくても日々の鍛錬を欠かさない。だから自分が教えるなら、精神面より技術的なことを教えよう。自分がそうして欲しかったということを、颯に伝えてやればいい。それで颯の生還率が上がるなら万々歳ばんばんざいである。


「どうやら決まったようだの」

「はい。師匠ありがとうございました」


 神楽は沙耶に頭を下げた。


「ところで師匠。一つ質問が」

「何だ」

「颯から聞きました。何でも気配を察知させない妖が出たとか」


 目視するまで存在を認識できなかった妖。不結の十六夜の霊力感知にも引っかからなかったというのは、やはり気になるところだ。


「それでなんですけど。霊力を完全に消せる妖なんて、存在するんでしょうか」

「ふむ。それなんだが、心当たりならある」

「――っ!? そうなんですか!?」


 思ってもない沙耶の言葉に、神楽は前のめりになる。


「少し前のことだが、認識阻害の能力を持った劔が失踪した。恐らく妖に喰われたのだろう。儂は那岐がその件に絡んでいると踏んでおる」

「那岐が!?」


 ここにも那岐が絡んでくるのか。神楽は戦慄した。


 十傑最強のウォーデッド。その手が早くも颯を捉え始めている。その事実は神楽を焦らせるには十分だった。


「師匠! こうしてはいられません! 颯の援護に行きましょう!」

「待て待て。そうくでない」


 言いつつ、杯に酒を注ぐ沙耶。


「妖の狙いは恐らく坊やだろう。これはいい機会かも知れぬ」

「何言ってるんですか!? 気配が消せるんですよ? 奇襲し放題なんですよ? このままじゃ颯がやられちゃいます!」


 わめき散らす神楽だが、沙耶はどこ吹く風だ。全く焦る様子がない。


「だから急くなと言うておる。あの坊やはそう簡単にはやられはせん。むしろ、妖があれこれ手を回してくれれば、坊やの能力も引き出せるというもの」

「あえて危険な目に遭わせようって言うんですか!?」

「そうだ」

「周りの人も巻き込まれるかもしれないのに!?」

「そうだ」

「師匠!」


 これには流石の神楽も腹を立てた。颯はともかく、彼の周囲の人間を危険に巻き込む等あってはならない。


「見損ないました! 私、師匠はそんなことしないって思ってたのに!」

「後進の育成のためなら心を鬼にする。昔から変えたつもりはないぞ?」


 神楽はすぐに転移の呪印を発動させる。


「私は行きます! 颯も、周りの人も助けて見せる!」


 神楽は呪印の向こうへと消えた。




「……やれやれ。短気なところは昔から変わってないな」


 残された沙耶は酒を喉の奥に流し込みつつ、今後の動向を考える。もちろん颯やその周囲の人間を見捨てた訳ではない。今は盤面の外から彼らを見守り、育てるのが最善の手である。


 沙耶は再び杯に酒を注ぎ、一気にあおる。その目には確かな決意が漲っていた。

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