第三話 隠世の使者
颯がウォーデッドとなってから一年の歳月が過ぎた。あの不結が契約した相手ということで隠世の門がある狭間の町――門前町でも割と名前が知られている。
当の不結の十六夜は、今となっては颯にべったりだ。無表情なのは相変わらずだが、両者の間に築かれた信頼関係は他のウォーデッド達を凌ぐほどのものであった。
「本当にこの辺りなのか?」
かつて颯が通っていた大学の屋上。防犯、防災上の理由から常に鍵がかかっており、入ることの出来ないはずの場所からキャンパスを見下ろす二つの影。颯と彼の十六夜である。
ウォーデッドの正装とも言える黒のロングコートが、風に吹かれてはためいた。颯のそれは袖がなく、両上腕に巻かれた黒いベルトが覗いている。
「捕食の痕跡はある。が、上手く気配を眩ませているようだ」
彼らは、とある妖を追ってこの場所を訪れていた。その妖は歴戦のウォーデッドでも苦戦するほどの相手らしい。何故らしいなのかと言えば、彼の十六夜が他の十六夜と同期せず、口頭により伝わった情報でしかないからだ。
「……もう少しまともな情報はないのかよ」
「それをこれから調べる」
「どうやって?」
「情報が欲しければ、『聞き込み』か『インターネット』と相場が決まっている」
「……とことん俗世に毒されてるな」
颯はやれやれと首を横に振った。
他の十六夜と同期しない彼女は、情報の共有を行わない分明確な個が存在する。全て自分で知り得た情報であるため、その意味も大きい。それが彼女の自我を形成し、『
「……降りるぞ」
言うなり十六夜は颯の右肩に飛び乗り、腰掛ける。もはや定位置と言っていいだろう。
「御意」
納得がいかない颯であったが、ウォーデッドにとって十六夜の意思は絶対である。そうしろと言われれば逆らうことは出来ない。聞き込みもインターネットもその例外ではないのだ。
学生に紛れながら情報を探ること数時間。
昼近くになると徐々に出歩く
「菅野の呪い、呪印の女、ノーヘッドダンサー、その他諸々……。
ウォーデッドに疲れというものは存在しないが、颯は疲れたようなため息をつく。記憶を失ったとは言え、感性はそのままである。疲労はなくとも、気疲れくらいは存在するようだ。
「まだそっちも反応なしか?」
「ああ。少なくとも、今現在この大学の敷地内に妖気は感じられない」
「取るに足らない小物か。それともとんでもない大物か……か。いずれにせよ、お前の霊力感知に引っ掛らないってのは気になるな」
「捕食の痕跡はいくつかあったが、対象はどれも動物ばかりだ。人を襲わないのは、ことを荒立てて我々に察知されるのを防ぐ為だろう」
「……随分と知恵をつけたもんだ」
当然のように話を進める二人。これだけの衆人環視の中であれば、誰かしらが聞いていそうなものだが、周囲の学生達が彼らの会話を気にする様子は全くない。呪術によって、二人の存在が意識に入らない状態になっているのだ。どれだけ大声を出しても、物理的に干渉しようとも、この呪術が発動している限り、人々が彼らの存在を意識することはない。
「……?」
突如感じた人ならざる気配に、颯は視線を流した。
「どうした?」
「
彼等の言う『はぐれ』とは、強い念を持たず土地に縛られていない死者の魂――いわゆる浮遊霊と呼ばれるものだ。
二十代前半と言ったところだろうか。まだ若い男の霊であった。
「天命は
「……この若さで天命を全うとは、本人からすればやるせないだろうな」
「天命は人それぞれだ。お前のようなイレギュラーも、そう簡単には発生しない」
颯は自らの刀を召喚した。新たな妖を生み出さぬようこういったはぐれを門前町に送るのも、彼等の役目の一つなのだ。
「……颯。抜刀許可」
「御意」
漆黒の刃が閃き、幾重にも重なった無数の軌跡が空間を穿つ。千枚通しでこじ開けたかのような小さな穴。それが今回、颯が作り出した狭間――門前町に通ずる道であった。
「次に生まれてくる時は、もう少し長生きできるといいな」
男の霊は何も言わず、その穴に吸い込まれていく。突然過ぎる死に、彼はただ迷っていただけだ。行くべき先が分かれば迷うこともない。
「送りも板に付いてきたな」
「おかげさまでな」
颯は刀を鞘に納めると、先だって歩き始めようとした。行く先が見えない現状では、十六夜が先行する必要もない。
「……颯?」
「お兄ちゃん!?」
足を踏み出そうとした彼の視界に入った二人の女性。一方は高柳詩織、もう一方は
ウォーデッドは半人半妖。つまり半分は人なのである。故に一般人でも見えるのはもちろん、カメラにも映る。それが今回は偶々、生前の知り合いであった。しかし、当の颯にその記憶はない。
呪術が効かなかったことに疑問を感じつつも、颯は二人に向かって左手を突き出した。すると空中に呪印が浮かび、それを合図にしたかのように、世界全体が止まる。飛ぶ鳥を始め、噴き出す噴水さえも微動だにしない。
「…………」
そのまま歩き去ろうとして、不意に覚えた違和感。颯は足を止め、二人に目をやった。
「……どうした?」
「……いや」
それを不審に思った十六夜に呼びかけられるが、その時には違和感は既になく、原因らしいものも見当たらない。
「行くぞ」
「御意」
静止した時の中。颯は十六夜を右肩に乗せると、そのままどこへともなく跳び去った。
詩織と縁は目を疑った。直前まで目の前あった颯の姿が唐突に消えたのだ。二人の目には、そう映っていた。
「……二人とも、どうしたんだ? 幽霊でも見たような顔して」
そこに現れた一人の青年。彼の名は
「今。そこに颯が……」
半ば呆然としたまま、詩織はそれまで颯の姿があった場所を指差す。しかし、当然そこに颯の姿はない。
「おいおい、詩織。あいつが寝たきりなのは、昨日病院で見ただろうが。仮に今日になって目を覚ましてたとしても、一年間寝たきりだったんだぜ? 自由に歩き回れると思うか?」
対する翔には、彼女の言葉が真実であるということが伝わらない。科学的、医学的見地から見れば、
「いや、いたんだけど……消えちゃった」
「……消えたって。そうなのか、縁?」
「一瞬だったし、改めて確認されると……」
縁は首を捻った。元々、兄に及ばずながら鋭い霊感を持つ彼女の言葉は、下手な自称霊能者よりも信憑性がある。しかしながら、今回は本人も自信なさ気であった。
「ただ、隣に銀髪の女の子が居た」
「女?」
「十五、六歳くらいかな。変わった格好してたから、こっちは間違いない」
「そんな娘いた?」
「あれ? おかしいな。私にもはっきり見えてたから、てっきり実体だと思ったんだけど……」
「……おいおい」
どうやら詩織には、その銀髪の少女とやらは見えなかったようである。
「偶然傍を通りかかったって可能性は?」
「それはないと思う。明らかに並んで立ってた。友達や恋人って雰囲気じゃなかったけど……。いずれにしても相当近しい間柄って感じ」
翔は腕組みをして考え込んだが、しばらくするとフッと表情を緩めた。
「まぁ、女の正体はともかく。颯がここに居たってのが本当なら、さっさと見つけ出して身体に戻ってもらわないと、な」
翔のいつも通りのポジティブ思考に、二人はあっけに捕らわれたが、すぐに釣られるように笑顔になる。
「……だね。しっかし、お兄ちゃん。完全に幽体離脱しちゃってたんだ。起きない訳だよ」
「全く、何してるんだか」
一年もの間、寝たきりの颯の姿を見てきた三人からすれば、ようやく見えてきた光明である。三人は協力して颯の足取りを追うことにした。
それが虎穴に入ると同義であるということも知らずに。
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