第四十五話 時雨と睦月

 会合の後、時雨は睦月の下を訪れる。颯に負けて以降塞ぎ込んでいる弟子を叱咤しに来たのだ。


 場所は現世にあるとある山中の洞窟。睦月が気に入って拠点としている場所だ。


「いつまでそうしているつもりだ」


 睦月は答えない。失われたままの右腕をぼんやり眺めているだけだ。


 本来であれば、霊核が無事なら回復するはずの負傷。しかしどういう訳か、颯に斬り落とされた右腕は修復する様子がない。いつもなら現れるはずの淡い光が、今回に限っては一向に現れなかった。


 利き腕の損傷。それはウォーデッドにとって致命的である。刀をまともに振るえなくなるばかりか、刀を手にした状態での呪印の展開にも支障をきたすからだ。


 それでも、ウォーデッドとしての使命が失われる訳ではない。妖が現れれば立ち向かう必要があるし、そうでなくても今は非常事態だ。こんなところで油を売っていていい訳がない。


「睦月。お前はこんなところで立ち止まるような男か?」


 その様子に見かねた睦月の十六夜が、二人の間に割って入る。


「時雨。その辺りにしてくれないか。睦月は深く傷付いている。身も心もな」

「……だからどうした。傷付いたからと言っても、そこで使命を投げ出していい理由にはならん」


 時雨は睦月の胸倉を掴み上げた。


「睦月。俺はお前をそんな風に育てた覚えはないぞ」


 時雨の鋭い眼光が睦月を見据える。すると、ようやっと睦月が口を開いた。


「ですが師匠。俺は敗れました。あの妙な力の前に」


 颯の使った謎の力。その報告は十六夜から受けている。聞けば聞くほど謎が深まるが、今重要なのはそこではない。


「負けがどうした。俺だって妖に何度も負けている。その度に必死に逃げ延びて、生き抜いたから今の俺がいるんだ。お前はどうだ。負けたとしても、死んではいないだろう?」

「しかし」

「しかしも案山子かかしもねえ。お前は生き残った。それで充分なんじゃないのか? 俺はお前に教えたよな? 必ず生き残れと。そうすればチャンスは巡ってくると」

「利き腕を失っても……ですか?」

「そうだ」


 時雨はあえて断言する。実際問題、どうにかなると言う補償はない。それでも、生き残ったことが重要なのだと言い切った。


「また鍛えてやる。今度は左手一本でも戦えるようにな」

「師匠……」


 睦月の目から涙がこぼれる。これまで泣いたことのない睦月の、初めての涙だった。


「十傑会合でも颯の件はひとまず保留ってことになった。他のやつに先を越されることはないだろう」

「放っておくんですか!? あの力を!?」

「心配するな。何かあれば俺がすぐに動く。他の十傑の奴等にも口は出させんさ」


 時雨の言葉に、睦月は口をつぐむ。


「まずは左手でまともに刀を振れるように訓練だ。後のことはそれから考えよう」

「……はい。わかりました」


 睦月の胸倉から手を離し、その場に下ろす。とりあえずある程度の気力は出てきたようだ。これならば戦線に復帰するのもそう遠くないだろう。


「いいか、十六夜」

「いいだろう。睦月、抜刀許可」

「御意」


 その後無言で刀を降り始めた睦月を尻目に、時雨は颯に思いを馳せる。


 颯が使ったと言う正体不明の力。それは彼自身のものか、それとも今は亡き不結の十六夜の忘れ形見か。どちらであったにせよ、気がかりであることに変わりはない。


「少し調べておくか」


 時雨は転移の呪術を発動させる。どうやら睦月は集中に入ったようでこちらには気付いていない。昔から集中すると周りのことが見えなくなるのは睦月の長所であり、同時に短所だった。しかし今はそれでいい。それで心の傷を少しでも埋められるのであればそれに越したことはない。ウォーデッドにとって最も危険なのは心が折れることだ。戦う意思を失ったウォーデッドは役に立たないものとして、他のウォーデッドの手によって排斥はいせきされる。弟子である睦月にはそうなって欲しくない。それが時雨の本音である。


 であればこそ、弟子をそこまで追い詰めた颯を、時雨が許すはずはなかった。十傑会合では様子見として扱われることとなったが、接触してはならないという決まりがある訳ではない。沙耶はああ言っていたものの、時雨としては元より颯は危険因子として早急に処理するべきだと考えていたのだ。なので、これはいい機会である。颯を自身の目で見極めるためだと言えば、方便としても立つだろう。


 時雨は呪印を潜り、満ヶ崎へと飛ぶ。これが弟子との最後の会話となるとも知らずに。




 無心になって刀を振っている最中に、それは現れた。白いコートに身を包んだ男の姿。実際に目にするのは初めてだが、それが那岐であることはすぐにわかった。


 ただ佇んでいるだけなのに伝わってくる圧倒的な存在感。相手が敵でなければ、その場で跪いていたかも知れない。


「那岐……。どうしてお前がここにいる」


 睦月は全力の闘気を那岐にぶつける。しかし、那岐はそ知らぬ顔でこう言った。


「俺の仲間になれ。ウォーデッド睦月」

「何?」

「お前は颯に敗れて悔しいのだろう? 奴への怒りで失った右腕が疼くはずだ」


 那岐の言うことは事実だ。実際、颯に負けたことを悔やんでいるし、右肩の付け根はズキズキと疼いている。


「だからどうした。お前の仲間にはならん!」


 それでも、睦月にはウォーデッドとしての矜持きょうじがある。今の那岐は悪だ。ついて行く道理はない。


「お前の右腕。俺が直してやってもいい」

「――っ!?」


 その言葉には睦月は反応せずにはいられなかった。どれだけ待っても治る気配のない傷跡。それをこの男は治して見せると言うのだ。


 睦月は首を横に振る。いけない。誘惑に乗るな。何を企んでいるかはわからないが、この男は言葉巧みに自分を仲間に引き入れようとしているだけだ。決して頷いてはならない。


「ついでに颯に勝てるだけの力を与えてやろう。こんなところで刀を振っているよりもずっと確実で、大きな力を」


 那岐は魅力的な言葉を重ねてくる。が、睦月はそれを跳ね除けた。


「何を馬鹿な! 修練に勝る力など――」

「妖性付加」

「何?」

「新たに妖性を加えることで、ウォーデッドは更なる力を得る。何も心配は要らない。効果は俺自身で実証済みだ。副作用もない」


 妖性の付加。そんなことが本当に可能なら、これ以上の強化はない。通常、ウォーデッドは自身の妖性をより多く引き出すかで能力が向上する。その妖性を後から加えると言うのだから、その効果は絶大だろう。間違いなくウォーデッドの歴史が変わる。


「聞く耳を持つな、睦月。相手は殲滅対象だ」


 十六夜の言葉がどこか遠く聞こえた。それほどに、今の睦月にとっては魅力的な提案だったのだ。


「睦月、しっかりしろ! その付加する妖性とは何のことだと思う!」


 睦月は考える。付加する妖性とはすなわち妖のことだろう。妖を取り込み自身を強化するなど、今まで考えたこともない。


 睦月の口元に笑みが浮かぶ。どうしてこんなに簡単なことに今まで気が付かなかったのか。妖性の強化。これこそ究極にして至高の存在へと至る最短の道ではないか。


「睦月!」


 最早十六夜の言葉は届かない。睦月は完全に那岐の言葉のとりことなっていた。


「歓迎しよう。我が同志よ」


 那岐が睦月に手を伸ばす。十六夜の呼びかけもむなしく、睦月はその手を取った。


「お前も眠れ。我が十六夜と共に」


 那岐の呪術が強制的に十六夜を眠りの淵へと落とす。眠りに落ちていく十六夜が最後に目にしたのは、声を上げて笑う睦月の姿だった。




 颯の家の前まで来て、時雨は思案する。このまま彼の家に踏み込んでしまっていいのだろうかと。


 この家にいるのは颯だけではない。彼の家族や、行動を共にしていると言う退魔師もいる。もしこのまま踏み込めば、颯と争うだけでは済まないだろう。無関係の者を巻き込むほど、時雨は落ちぶれてはいない。十傑の一人としての矜持もある。話をするなら颯と二人きりがいい。ならばどう誘い出すか。


 答えを出せずにいる時雨に、灰色の髪をした十六夜が話しかける。


「ここで手を止めるくらいならやめておけ。那岐の動向にも注意を払わなければならないのだからな」

「……だがな、十六夜。俺は」

「ウォーデッドに感情は不要だ。弟子をやられたからと言って一々腹を立てていては、十傑は勤まらんぞ」


 十六夜の言うことは尤もだ。確かに今の自分は少し感情的になっている。それに睦月のことを考えれば、右腕のかたきを師である自分が取ってしまうのはどうなのだろう。怒りの矛先を失った睦月がどうなるか、流石にそこまでは想像がつかない。


 時雨は戸にかけかけた手を下ろした。


「全く。まだまだ未熟だな。俺も」

「お前はまだウォーデッドになって百年と少しだろう。未熟なのは当然だ。先は長い。行くぞ」

「……御意」


 十六夜の促すまま、時雨はその場を後にする。時雨には知るよしもなかった。この間に睦月が堕落への一途を辿っているということなど。

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