第四十六話 堕落

 新しく生えた右腕を眺める。多少いびつだが文句はつけまい。何せ、もう戻らぬと思っていた腕がこうして生えたのだ。


 睦月は右手の拳を握る。那岐のおかげで十六夜の許可なく開放可能になる自立開放を得た。これでいつでも颯と戦える。睦月は喜びに打ち震えた。


 あれから睦月は那岐の傘下に入っている。那岐の目的も聞かされた。その思想は壮大で睦月には理解出来なかったが、相手は右腕を取り戻してくれた恩人だ。その恩に報いるためにも、那岐の傘下に入ることに異存はない。むしろ今までは目的らしい目的もなかったので、睦月にとっては現状の方が充実していると言えた。


 ウォーデッドでありながら祖霊の意思に反する。そのことに抵抗がない訳ではない。しかし、自由を得るというのは存外心地よいものだ。誰に縛られるでもなく、好きな時に好きなことが出来る。これはウォーデッドになってから経験したことがない。生前の自分のことなど覚えてはいないし興味もないが、それでも自由を手にしたことで生きているという実感が湧いたのは事実。睦月の生活は、徐々にこれまでのストイックなものとはかけ離れていった。


 これまでは暇さえあれば刀を振って己の精神を鍛えてきたが、今はもうそんなことを気にする必要はない。力が足りないのなら足せばいい。妖を喰らうことを覚えた睦月は鍛錬することを止め、妖を喰らうことに精を出し始める。


 これも那岐の計画の内だったが、今の睦月にそれを看破するだけのまともな精神は残されていない。力に溺れ、悪食と化した睦月は、着実に那岐の手駒として成長しつつあった。


 今や睦月を縛るものは何もない。十六夜という枷から解き放たれたウォーデッドは最早妖と変わらないのだ。例え本人にその自覚がなかろうと。


 妖を喰うのに飽きた睦月は、いよいよ満ヶ崎を目指す。目的はもちろん颯との再戦。今の睦月は以前とは違う。多くの妖を取り込み、妖性を強化した悪食のウォーデッドだ。その強さは少なくとも天魔級に匹敵する。それだけの力があれば、颯の持つ妙な力にもおくれを取らないだろう。そう睦月は踏んでいた。




 奇妙な霊力が満ヶ崎を満たす。妖のものともウォーデッドのものともつかない妙な気配。それを感じ取った颯、神楽、十六夜、雫、琴葉、瑠璃の六人は、その中心へと足を運んだ。行き着いたのは以前、颯と琴葉が決闘を繰り広げた公園であった。


「一体何なのよ、この妙な霊力は」

「わからない。だが、安全なものじゃないのは確かだ」


 広場の中心に青年が一人立っている。その右腕は明らかに人間のものではなかった。


「妖!?」

「いや。どうやら違うみたいだぞ?」


 青年の左手には黒い刀が握られている。そのデザインは神楽のものとそっくりだった。


「ようやく来たな、颯」


 聞いたことのある声。颯は記憶を手繰り寄せる。そう。あれは確か、数日前に神社で。


 青年が刀を眼前に掲げる。そしてあの言葉を口にした。


「解!」


 瞬間。黒い炎が青年の足元から噴き出す。その炎の勢いは凄まじく、颯達は思わず顔を手で覆い、仰け反った。


 黒い炎は青年の身体へと収束していき、やがて黒い鎧となる。炎が完全に消えた時そこに残っていたのは、獅子を模した黒い鎧と異形の右腕を持つウォーデッドだった。




 神楽は思わず声を上げる。


「十六夜の許可なしで転身した!?」


 彼女が驚くのも無理はない。本来ウォーデッドとは十六夜の許可なく能力を開放することは出来ないはずである。自立開放という固有能力を持つ彼女の師――沙耶であれば話は別だが、他のウォーデッドにそれが可能であるはずがない。


「雫、下がって! 妖気が濃い! このままだとあなたも汚染されるわ!」


 それでも、神楽は冷静に雫に指示を出す。本来であればこれは颯の役割だが、今の彼に雫の記憶がない以上、自分が代わりになってやるしかない。


「うう……わかった」


 雫も相手の異様さはわかったようで、素直に従ってくれる。


「これは……。ウォーデッドであることをやめたか。睦月」


 十六夜が睦月に問いかけた。


「ウォーデッドであることは変わりない。ただ、新たな力を得ただけだ」


 睦月は右腕を見えつけるように掲げながら答える。おぞましい形をした右腕は、恐らく妖のものであろう。つまり、妖を取り込んだのだ。その方法は考えたくもない。


「十六夜はどうしたの?」


 今度は神楽が問う。睦月は下卑た笑い声を上げてから答えた。


「今はカプセルの中で眠ってもらってるよ」

「カプセル?」

「那岐が開発した霊力を吸収する装置さ。おかげで十六夜の許可なしに力を振るえるようになった」


 那岐。その名を聞いて合点がいった。要するに睦月は那岐の軍門に下ったのだ。那岐がどういう技術でそれを可能にしたのかは定かではないが、その那岐本人が裏にいるというのなら睦月の変化にも納得が行く。


「俺の目当ては颯だけだ。今立ち去るなら、手は出さないでやる」

「冗談。私はウォーデッドよ。妖と同列になった奴を放っておく訳ないでしょ?」


 十六夜に目配せする。十六夜はすぐにこちらの意図を汲み取り、指示を出してくれた。


「神楽、開放許可」

「御意!」


 神楽もすぐに鎧をまとい、刀を抜く。相手の強さは不明だが、ここで引くわけには行かない。それに、今ここには颯と琴葉がいる。三人でかかれば、どうにかなるかも知れない。仮にそれが甘い考えだろうと、自分がウォーデッドである以上、引くと言う選択肢はないのだ。


 神楽は構えたまま、他の二人に視線で合図を送る。二人がそれに答えたのを確認して、神楽は先陣を切った。




 正面から向かった神楽を横目に見ながら、颯は睦月の左側に回りこむ。三方からの同時攻撃。それが神楽の意図である。右側には既に憑神を使った琴葉が回り込んで攻撃態勢に入っていた。流石に早い。やはり霊力操作だけではウォーデッドである神楽や、憑神を使った琴葉には遠く及ばないようだ。


 それでも、今は攻撃に集中するべきところである。相手は狙いは自分だと言っていた。恐らく彼の右腕を落としたことが直接的な原因なのだろう。ならばこそ、他の二人に任せ切りになってはいけない。これは自分の起こした問題なのだから。


 睦月が動く。狙いは颯。正面から向かってくる神楽や、右から迫ってくる琴葉には目もくれない。真っ直ぐに颯に向かって来る。そして、睦月は居合いの要領で刀を抜き放った。


 睦月の放った斬撃が弧を描く。颯はギリギリの所でそれを防いだ。刀が軋む音がする。次いで衝撃が颯を襲った。とてつもない剣圧。霊力を全開にしていなければ、刀ごと両断されていただろう。


 あまりの衝撃に颯の身体が浮く。颯はそれを利用して、睦月から距離を取った。その瞬間、睦月に向けて神楽、琴葉の攻撃が放たれる。しかし。


「言っただろう。俺の狙いは颯だけだと」


 睦月の姿が消える。相手を失った二人の刀は、あえなく空を斬った。


「だが邪魔をするというのなら……斬る」


 睦月が現れたのは神楽の後ろだ。完全に神楽にとっての死角。颯は大声でそれを知らせる。


「神楽、後ろだ!」


 神楽は素早く反応するが、明らかに睦月の方が速い。神楽が振り返るより速く、睦月の刀が神楽の胴を薙いだ。


「神楽!?」


 その場に崩れ落ちる神楽。しかしその姿はすぐに溶けて消える。


「空蝉か……」


 そう言って、睦月は左に向かって刀を差し出した。ちょうどそこに、神楽の刀が合わさる。


「……空蝉を使って仕留め損なうなんて、初めてだよ」

「そうか。それは残念だったな」


 神楽も睦月から距離を取った。やはり一筋縄ではいかないようだ。

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