第十八話 決着
戦いの
子どもの頃から修行漬けだった。毎日毎日身体が泥のようになるまで鍛錬に明け暮れる日々。辛いと思う時もあった。もうやめてしまいたいと思う時もあった。それでも続けてこられたのは、妖から誰かを守りたいという意思があったからだ。妖の脅威から一人でも多くの人を救いたい。これは誰の言いつけでもなく、琴葉自身が胸に秘めた願いだった。
ある日、一番上の兄が死んだ。戦死だった。妖との戦闘で命を落としたのだ。退魔師である以上そういうこともあるだろう。しかし琴葉は悲しかった。大好きな兄を妖に殺されたのだ。
琴葉は兄を殺した妖を、今でも探し続けている。その妖だけは自分の手で仕留めたい。そう思っていた。もしかしたら他の退魔師やウォーデッドの手によって既に祓われているかも知れない。それでも琴葉は心のどこかで願っていたのだ。その妖が今日まで生き残っていることを。
それは思わぬ形で叶った。
颯の後方、二十メートルほどの位置。それはいつの間にかそこにいた。両の手が鋭い触手へと変化した妖。顔の中央には兄がつけたものと思われる刀傷がある。実際に目にするのは初めてだが間違いない。この妖だ。
颯への攻撃を止め、妖の方に狙いを定める。憑神状態とて無限に続けられる訳ではない。ならばここは妖を狙うべきだ。それ以外には考えられなかった。
妖に踊りかかる琴葉。最初の一撃から勝負を決めにかかった琴葉だったが、しかしその一撃は両の触手で防がれてしまう。硬い。その触手はまるで刃物のように鋭いが、同時にかなりの硬度を持っているようだ。それならば。
琴葉は憑神の素早さを行かし、妖を惑わせる作戦に出る。両の手が刃物であるなら、二刀流の颯と要領は同じだ。前後左右にとにかく動き回り、少しずつ削っていく。効率は悪いが、相手が攻を焦って大振りでもしようものならその隙に付け込めばいい。例え肉体が限界を超えようと、この妖だけはこの場で滅する。それだけは確定事項だ。
妖が吠える。それは苛立ちから来る威嚇のつもりなのだろうか。しかし琴葉にとってはどうでもいい。妖の呼吸が変わった。その事実だけあればいい。これは好機だ。琴葉は素早く納刀し、全力の居合いを放つ。
「
斬撃に
まさに閃光と化した琴葉が妖に迫る。轟く一閃が妖の首をはねようとしたその時、琴葉の視界が揺らいだ。何かに足を掴まれ、空中に放り投げられたのだ。
見ると足には妖の触手が絡み付いている。妖が動いた気配はなかった。にもかかわらず、自分の足は妖に絡め取られている。一体何が起きているのか。憑神を使った自分の動きに付いて来られる者はいない。その自負があっただけに、琴葉は混乱した。
次いで強烈なGが琴葉を襲う。足に絡みついた触手が、琴葉を地面に叩きつけようと振り下ろされたのだ。そのあまりの速さに、琴葉は成す術なく地面に激突した。背中から受けた衝撃で、肺の中の空気が無理やり押し出される。脳が揺すられ、一瞬意識が飛んだ。
妖の攻撃はそれだけでは終わらない。もう一度琴葉を持ち上げると、再び地面に叩きつける。その衝撃で今度は地面が陥没した。
もちろん、それだけのダメージを受けて無事なはずはない。琴葉の憑神が解ける。琴葉と共にダメージを受けたのか、瑠璃は力なくその場に倒れた。
「……瑠璃」
琴葉の口から掠れた声が漏れる。いくら颯の相手をしていたとは言え、体力には余力があった。確実に仕留められる自信もあった。しかし現実はどうだ。今こうして自分達は地に伏せている。
慢心。それは常に心の中に潜んでいる魔物だ。自分は強いと思っていた。実際に颯を圧倒することは出来ていたので、それなりに力はあったのだろう。だがこの妖はその上を行っていた。全力の雷電が通じなかったのだ。それは認めるしかない。
何とか立ち上がるが、その脳裏には敗北の二文字が浮かぶ。目の前には妖の刃物のように鋭い触手。もう回避も間に合わない。
琴葉は死を覚悟した。しかし。
「嫌……」
ポロリと本音が漏れる。
皆伝には程遠いし、何より人生の楽しみと言うものを全く経験していない。悔いが残らない訳がなかった。
退魔の道を極め、人の世を影ながら支えて行く。退魔師としての誇りある未来。まだ見ぬ男性に恋をし、結ばれ、子を育てる。少女の誰もが夢見たであろう未来。そのどちらも達成することが出来ずに果てるというのは、例え彼女でなくとも、絶望的な結末であろう。
終焉の瞬間。堅く閉じた瞼から、大粒の涙がこぼれる。が、予想される衝撃は一向に訪れない。恐る恐る目を開けると、闇より深い黒が視界を覆い尽くした。
「――っ!?」
彼女の目の前に立ちふさがる颯。その腹部には、琴葉に終焉をもたらすはずの触手が突き刺さっている。
「どうして……」
状況を把握した琴葉は更に混乱した。何故彼は自らを傷つけてまで、これまで命を狙ってきた自分を助けるのか。しかし定まらない思考のままでは答えなど出るはずもない。
「お前が助けを必要としたからだ」
琴葉の無事を確認すると、颯は手にした刀で触手を切り落とした。
同日。少し前。
詩織は休日を友人と過ごすべく駅に向かっていた。午前中をのんびり過ごしていた所にその友人から連絡があったのだ。
「早苗ったら急に呼び出すんだもんな~」
この日は特に予定がある訳でもなかったので、友人の誘いに乗ることにした詩織。待ち合わせの駅に向かうために公園を横切った時だった。違和感に気が付く。
妙に
ふと颯のことを思い出す。人避けの結界。その言葉が頭に浮かんだ。
「まさか……」
辺りを見渡す。見える範囲に自分以外の人はいない。蝉の鳴き声だけが妙に耳に付く。しばらくすると蝉の鳴き声に混じって別の音が聞こえることに気が付いた。金属同士がぶつかるような音。
不意に嫌な予感に襲われた詩織は、そのまま公園の中に足を踏み入れた。
音のする方へと足を進める。どうやら音は広場の方から聞こえてくるようだ。垣根を回り込み広場まで来ると颯の姿が目に入る。
「颯!?」
そこにいたのは例の鎧姿の颯だった。この姿の颯がいるということは誰かと戦っているということだ。
よく見ると何かがものすごい速さで颯の周りを回っているのがわかる。わかると言っても、土埃の立ち方で何かがいるということが辛うじてわかる程度だ。颯が何と戦っているのかまではわからない。
咄嗟に駆け寄ろうとした所で腕を掴まれる。振り返ると、そこにいたのは十六夜とかいう女の子だった。
「どうしてお前がここにいる」
「どうしてって、変な音が聞こえたから」
「そんなことを聞いているのではない。何故お前が
「人避けの結界ってやつ? そんなの知らないよ」
もちろん詩織は結界内に入れた事情を知らない。それが妖のせいだということを知る者は、この場には一人もいなかった。
琴葉が妖に向かっていった後、颯はその場からしばらく動けなかった。それだけ琴葉の攻撃が苛烈だったのだ。ダメージはもちろん、体力も限界に近い。その場に膝を着き、体力の回復を待ちながら颯は思考を始めた。
何故、詩織が結界内に入ってこれたのか。神楽ならばそれも可能だろうが、神楽はこの場にいない。つまり別の要因で詩織はここまでやってきたことになる。颯は妖に目を向けた。
両手が鋭い刃物のような触手になっている以外は人間の形を保っている妖。変異している部位こそ少ないが、それが逆に気になった。ただの触手ではなく、刃物のようになっている。つまり相手は武器という概念を持っているということだ。
「悪食か」
どの程度の力を持った悪食なのか。想像もつかない。妙な気配だ。十六夜が接近に気付かなかったというのも気になる。
と、ここで颯は気が付いた。
この妖はウォーデッドの弱点である十六夜を狙わなかった。つまり自分を倒すことが目的ではない。最初から喰うことが目的なのだ。
それがわかれば詩織がこの場にいることも辻褄が合う。要するに、自分に対しての人質なのだ。この妖は何らかの手段を用いて事前にこちらの情報を探り、その上で今日この場所を狩りの場と定めた。十六夜と詩織。その両方をいつでも殺すことが出来るというのを颯に見せ付けたかったのだ。
今は琴葉が奮戦しているが、この流れからすると結果はよくない方に転ぶだろう。この妖は
琴葉が技を放とうとしていた。雷撃を纏うそれは閃光となって妖へと伸びる。が、それでは駄目だ。足元に伸びている触手に気付いていない。見えていないのだろうか。そのまま懐に飛び込んだ琴葉は、案の定触手に絡め取られてしまった。
認識阻害。確かそういった能力を持ったウォーデッドがいると聞いたことがある。その能力は対象者の認識を意図的に妨害、あるいは誤認させることが出来るという。もしこの妖がそれと同じような能力を持っているとしたら、自分と十六夜が妖の接近に気付かなかったのも説明が付く。
颯は必死になって立ち上がった。このままでは琴葉が殺されてしまう。介入するべきか一瞬迷った。相手は自分の命を狙う退魔師だ。直接殺さないまでも助けてやる義理はない。しかし。
「嫌……」
その言葉がはっきりと耳に届く。その瞬間。颯は走り出していた。
妖の触手が腹部を貫く。強烈な痛み。何とか急所は避けられたがダメージは消して少なくない。
「どうして……」
背中側から声が聞こえる。どうやら琴葉は無事のようだ。
「お前が助けを必要としたからだ」
颯は触手を斬り落とす。身体の一部を失った妖は、悶えながら後退した。その隙に刺さったままの触手を引き抜く。
「ぐっ」
下手に引き抜くと出血が悪化するのはわかっていた。しかし何せ正体不明の妖の触手である。刺さったままで無事でいられる保証はない。ならば引き抜いてしまった方がマシというものだ。
「(その傷。やれるか、颯)」
十六夜から念話が届く。
「(ああ。この程度ならな)」
颯は刀を構えた。妖がこちらを威嚇している。今のところ言葉を話す様子はない。話せないのか、話さないだけなのか判断が付かなかった。
「まぁ、どっちにせよ斬るだけだ」
しかし妖は何を思ったのか突然向きを変え、飛び去ってしまう。
「あっ、こら待て!」
後を追うために踏み出そうとしたが、腹部の痛みがそれを遮った。認識阻害の能力なのかはわからないが、すぐに妖の気配を見失ってしまう。
「……逃げられたか」
後に残すには厄介なタイプだが、既に見失ってしまった上にこのダメージだ。今は深追いするべきではないだろう。琴葉の方に向き直り、問いかけた。
「続き、やるか?」
その問いに琴葉は短く「いいえ」と答える。これにより今回の対退魔師戦は一時幕を下ろすこととなったのだった。
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