第五十一話 必死の防衛戦
研究室で夜を明かした神楽は、朝になって異変に気付いた。大量の妖の気配が迫っている。これほどの数、今までどこに姿を隠していたのだろうか。
「って、そんなこと考えてる場合じゃないわね。十六夜!」
神楽の呼びかけると、十六夜がすぐに現れる。
「同じ現象が世界各地で起こっているようだ。詳細は不明だが、隠世の門を目指していると思われる」
「隠世の門!? ってことは、いよいよ那岐が動き始めたって訳ね」
「そう思っていいだろう」
となると、那岐は颯の下に向かうはずだ。自分も向かうべきだろうか。そう考えて、神楽は首を横に振った。
自分の役割は世界を――人々の生活を守ることだ。この大掛かりな妖の侵攻は、多くの被害をもたらすであろう。それを少しでも食い止める。それこそが、今自分がやるべきことだ。
「那岐のことは颯に任せて、私達は妖の侵攻を阻止しましょう」
「……いいのか?」
「いいも何も。私の役割は初めから決まってるでしょ?」
正直に言えば颯のことは心配だ。彼はきっとどんな無茶でもするだろう。もしかしたら命を落とすこともあるかも知れない。だとしても。
「あいつならきっと大丈夫よ。何せ、あの不結が選んだ子なんだから」
神楽は刀を手にし、研究室のドアを開け放った。場合によっては、自分もこの場所に来るのは最後になるということもあるだろう。人の記憶をごまかして何年もい続けたこの研究室ともお別れになるかも知れない。それでも、神楽は歩みを進める。それが自分の使命なのだから。
最初の戦闘から、一体どれだけの時間が経っただろう。討伐した妖は既に二十を超えている。それでも、妖の数は一向に減る様子がない。
琴葉は軽く息をついた。体力にはまだ余裕がある。しかし相手はこの数だ。流石に物量で攻められたら、いかに自分でも防ぎきることは難しいだろう。
「瑠璃! そちらは平気ですか!?」
別の妖と戦っている瑠璃に声をかけた。彼女がそう簡単に負けるとは思ってはいないが、近くには強力な妖の気配もある。用心するに越したことはない。
「大丈夫にゃ。琴葉こそ、少し息が上がってるんじゃにゃいか?」
「何。ようやく身体が温まってきたところですよ。まだまだ行けます!」
そう言って、目の前の一体を斬って捨てる。見ると、瑠璃の方も妖を倒したところだった。
その時、下卑た声が辺りに響く。妖の波を
「退魔師~。女~。美味そうだ~」
妖はべろりと舌なめずりをする。その様子は、例え琴葉でなくとも嫌悪感を覚えるには充分だっただろう。
琴葉は水無月を構え直した。しゃべることの出来る妖。それはそれだけ強力な妖と言うことだ。
一方、妖は値踏みでもするように琴葉をじろじろと眺めては、下品な笑みを浮かべている。これはさっさと斬ってしまった方が精神衛生上いいだろう。
琴葉は妖に向かって水弧を放つ。妖はそれをあっさりと
「さっさと喰うか~。一発ヤるか~。どっちがいいかな~」
その言葉はすぐ後ろから聞こえた。咄嗟に振り返り水無月を振るう。しかし、そこに妖はいない。琴葉の斬撃は
「残念でした~。僕はそう簡単には斬れないよ~?」
声はやはり後ろから聞こえた。琴葉は妖から距離を取ろうと、前に踏み出しながら振り返る。が、またしてもそこに妖はいない。
琴葉は確信する。相手は
「瑠璃!」
透かさず琴葉は瑠璃を呼んだ。相手が
「はいにゃ!」
瑠璃から答えが返って来ると同時に憑神を発動させた。
目を閉じ、鋭くなった感覚で、周囲を探る。相手の声に惑わされてはいけない。下卑た魂のその在り
「そこです!」
閃光一閃。一見何もいない場所を琴葉は絶ち斬る。しかし、変化はすぐに訪れた。何もない中空に一筋の赤い線が走る。そこから溢れるように赤い液体がこぼれ出した。
「手応え、あり」
何かがずるりと崩れ落ちる。するとスッと姿が見えるようになった。斬り落とされたのは妖の上半身。上半身は重力に引かれ、赤い水溜りへと落ちた。
それで終わってくれたらどんなによかったことか。何と、その妖の死骸に、無数の妖が喰らいついたのだ。妖達はガツガツと死骸を平らげていく。おぞましい光景だった。
琴葉の頬を汗が伝う。妖は同じ妖を喰うことでも成長するのだ。これが何を意味しているのかと言えば、つまり。
「喰う、喰う」
「退魔師……、女……」
今まさに、無数の
「下手に殺すと数が増える……ですか。これは参りましたね」
思わず天を仰ぐ。そこに澄み渡った空はなく、暗雲が立ち込めている。
「ええ、ええ。やってやりましょうとも! 例えこの身が尽き果てようとも、妖は残らず狩って見せます!」
琴葉は気合を入れ直し、妖目がけて突進した。
神楽の斬撃が妖を消し飛ばす。低級の妖に全力を出すのは現状ではあまり得策とはいえない。しかし死体を残せば他の妖がそれを喰って成長してしまう。そうさせないためには死体を残さないように消滅させるしか手がなかった。
「ええと? これで何体目だっけ?」
百を越えた辺りから数の感覚が曖昧になってきている。今までこれほどの数を一度に相手取ったことはない。流石の神楽も、これにはだいぶ参っていた。
雨が降り始める。最初はぽつぽつと、しかしすぐに本降りになって、地面を濡らした。
雨はあまり好きではない。気持ちが憂鬱になるから。何故そうなるのかはわからない。もしかしたら生前のことと何か関係があるのか。考えたところで答えは出ないが、神楽は雨が降る度に考えてしまうのだ。生前の自分というものを。
「ああ、もう。くだらない!」
また一体、妖を仕留める。過去に興味を持ったところで意味はない。そのはずなのに、師匠である沙耶は言った。颯が過去を取り戻すことがウォーデッドの凝り固まった思想を取り払うかも知れないと。それは自分にも当てはなるのだろうか。
既にウォーデッドであった頃の記憶を完全に取り戻した颯。そんな彼を見ても、自分はそれを危険な存在だとは思わなかった。ウォーデッドであり人間。人間でありウォーデッド。そんなものは今まで存在しなかった。自分でもどうすればいいのかわからない。
ウォーデッドとしての使命に順ずるならば、颯は討伐しなければならない存在だ。でも自分はそうするべきではないと考えている。心のどこかで、颯は特別な存在だと認識しているのか。ならば特別な存在とは何だ。彼が自分に何をもたらすというのか。人としての感情か、ウォーデッドとしての未来か。どれだけ考えても思考がまとまらない。
そうこうしている間にも一体、もう一体と妖を仕留めていく。しかし気持ちは晴れない。こんな調子では、体力よりも先に精神が参ってしまう。
何かわかりやすいきっかけでもあれば、自分が今抱いている感情にも名前がつくかも知れないが、今はそんなことを言っている場合でもない。今は一体でも多く妖を斬らねばならないのだ。
「だ~っ! 何体いるのよ、もう!」
斬っても斬っても次が現れる妖。終わりは見えない。それでも神楽は戦い続ける。自分がウォーデッドである意味を見出すために。
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