第五十話 那岐の行方

 颯は自室で目を覚ました。先日の睦月との戦闘で受けた傷は、どういう訳だかもうほとんど治っている。確かに内臓を損傷したと思ったのだが、病院に行くまでもなかった。ウォーデッドであった頃ならこういうこともあるかも知れない。しかし今の自分の身体はウォーデッドの頃と同じように回復している。何か関係があるとすれば、それは先日発現した鬼の妖性だろう。


 鬼。人に似た姿を持つ、人ではないもの。物語の中で語られる鬼は、首を落とされても首だけで動き回ったという逸話もある。まさか自分もそんな特性を有しているのだろうか。正直考えたくもないが、今の自分がただの人間でないことは確かなようだ。


 ふと、異変に気付く。何やら周囲に妖の気配を感じるのだ。


「何だ。この数……」


 一つや二つではない。膨大な量の気配が移動して来るのがわかった。幸いまだ家の近くではないが、このままでは周辺の人々に被害が出る。


 慌ててベッドから飛び出す颯。ドアを開けて廊下に出ると、ちょうど琴葉と瑠璃がやって来たところだった。


「颯さん! これは!?」

「ああ。何だかわからないが、とにかくやばそうだ」


 三人でリビングに向かう。するとテレビの前の縁が慌てた様子で話しかけてきた。


「お兄ちゃん、見て。あれ!」


 テレビには無数の妖が街中を移動してる光景が映し出されている。どうやらSNSから流れた情報らしいが、詳しい情報を今調べている途中だとのこと。こういう時のマスコミの仕事ぶりは大したものだと思うが、今はそんなことをしている場合ではない。一刻も早く避難するべきだ。尤も、妖の目的がわからない以上、どこに逃げれば安全なのかもわからない訳だが。


「縁、お前は家から出るな。父さんと母さんにも、そう伝えてくれ」

「お兄ちゃんは?」

「俺にはやることがある」


 そう言って、リビングを後にしようとした颯の手を縁が掴む。


「それってお兄ちゃんがやらなきゃいけないこと? ウォーデッドの人達に任せればいいんじゃない?」


 縁の言う通り、この事態にウォーデッドが動かない訳はない。恐らく十傑も動くだろう。しかし、今の颯にはウォーデッドであった頃の記憶がある。この状況で自分が動かないと言う選択肢は、端から存在していなかった。


「縁、前に言ったよな。俺の分まで生きろって」

「それはお兄ちゃんがウォーデッドだった時の話でしょ? 今のお兄ちゃんはウォーデッドじゃないじゃない!」

「それでもだ。俺が何のためにこうして生き返ったのか。どうしてこんな力を持っているのか。全部この時のためだったんだよ、きっと」


 今にも泣きそうな縁の頭に手を乗せる。相変わらず心配性だ。


 遅れてリビングにやって来た両親に縁のことを任せ、颯は琴葉、瑠璃と共に家を飛び出す。繁華街の方に向けて走り出そうとしたところで、後ろから声がかかった。


「颯!」


 声の主は考えるまでもない。どうやらもう一人説得しなければ、先には進めないようだ。


「どうしても行くの?」


 それは質問と言うより確認だった。少し拍子抜けしたが、流石は幼馴染と言ったところか。颯はその場で振り返る。そこに立っていたのは他でもない、詩織だった。


「ああ」


 詩織は悲痛な面持ちだ。もちろんそうさせているのは自分である。


「私がいかないでって言っても?」

「ああ」


 再び頷く。すると、詩織は涙を流した。それまで耐えていたものが決壊したのだろう。大粒の涙がいく筋も頬を伝う。


「俺は役目を果たす。ウォーデッドでなくなっても、それは変わらない」

「どうしてあなたなの?」

「さぁ、どうしてだろうな」


 そんなことは既にわかっていた。十六夜が選んでくれたからだ。詩織を守る機会を自分に与えてくれた。本当に、感謝してもし切れない。


「颯、私は……」


 詩織は一瞬言い淀んだが、それでも振り絞るように先をつづった。


「私はあなたが好き。自分でもどうしようもないくらい、あなたが好きなの。だから行かないで。今このままあなたを行かせたら、あなたはきっと帰って来ない。また私の手の届かないところに行っちゃう」


 その言葉が颯の心に染み渡る。自分の好きな相手からの告白だ。胸に響かない訳がない。思わずこちらに向かって伸ばされたその手を取ってしまいそうになる。しかし――。


「ありがとう詩織。でも俺が行かないと、あいつはきっと怒るから」


 脳裏に浮かんだのは十六夜の顔。一緒にいたのは僅か一年だが、それでも彼女との関係は心地よかった。詩織が好きであることに変わりはない。だが、同時に十六夜も颯の心の多くを占めている。かけがえのない存在だ。


「今度またあいつに会う時に、堂々としていられる俺でいたいんだ。だから……」


 颯は振り返って前を向く。


「ごめん」


 それは決定的な別れの言葉。涙を飲んで、颯はその言葉を発した。


 泣き崩れる詩織。本当は駆け寄って抱きしめてやりたい。しかし今するべきは他にある。詩織が生きるこの町を、世界を救うのだ。


 颯は駆け出した。詩織をその場に残して。




 この騒動の中心に那岐がいる。それは間違いない。那岐は新しい世界を作ると言っていた。その新世界というのものがどういうものであるにせよ、今のこの世は終わりを迎える。そう思っていい。


「琴葉、ここは二手に分かれよう。俺は那岐を探すから、お前は妖の進行を抑えてくれ」

「いや、しかし――」

「頼む」


 妖の数は尋常ではない。いくら妖を倒したところで、元凶である那岐が健在であれば事態の収束は出来ないだろう。ならば自分は那岐を探すべきだ。相手もそれを望んでいるはずである。


「……わかりました。御武運を」


 琴葉は多くは聞かなかった。相手の好意に甘えるようで胸が痛むが、今の状況ではこうするより他ない。何せこれほど大規模な同時多発的妖の出現だ。手はいくらあっても困らないだろう。


「死ぬなよ、琴葉」

「それはこちらのセリフです。帰ったら詩織さんと決着をつけなければなりませんから」


 二人は頷きあい、分かれる。颯は右へ。琴葉と瑠璃は左へ。それぞれ駆けて行く。互いの姿が見えなくなった頃、颯は立ち止まり声を上げた。


「おい那岐。どうせ見てるんだろ。姿を見せろ!」


 一瞬の。そして風が吹き抜ける。すると、いつの間にか目の前に男が立っていた。白いコートに白銀の髪。以前会った時と何ら変わりない。相変わらずいけ好かない笑みを浮かべている。


「どうやら記憶を取り戻したようだな」

「おかげさまでな」


 言いつつ刀を抜く。一瞬たりとも気を抜いていい相手ではない。颯は白面憑神の構えに入る。


「そうくな。まだ宴は始まったばかりだ」

「宴だと? よく言う。あんたは宴会を楽しむような性格じゃないだろ?」


 那岐のことを詳しく知っている訳ではない。しかし、彼が進んで宴会に参加するようなタイプでないことはわかる。この男は、楽しいことは一人で、静かにおこなうような、そんな奴だ。そういう確信が、颯の中にはあった。


「理解してくれているようで嬉しいよ。その通り、宴はあくまで陽動だ。俺が隠世の門に達することが出来ればそれでいい」


 つまるところ、この男はさっさと目的を達すればいい場面で、わざわざこちらの様子を見にこの町へやって来たのだ。その余裕な態度が気に入らない。


「あんたでも十傑はやっぱり怖いんだな。でなきゃ正面から乗り込むだろ、あんたなら」

「そうだな。その通りだよ、颯。だからこそ味方はいくらいてもいい」


 大げさに両手を広げて、那岐は言う。


「もう一度言う。俺の下に来い、颯。お前の力を、全ての同胞を救うために使ってはくれないか?」

「生憎だが答えはノーだ、那岐。あんたの計画は必ず阻止する。この命に変えてもな!」


 颯は白面憑神を発動し、那岐に踊りかかった。今ここに、最終決戦の火蓋が切られたのである。

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