第四十二話 白面鬼神
睦月が構える。颯は呼応するように構えたが、睦月には全く隙がない。相手はウォーデッド。自分よりも遥かに身体能力の高い相手だ。歴戦の退魔師である琴葉ならともかく、今の颯では正直手に余る。
瞬間。睦月の姿が消えた。攻撃が来る。そう確信した颯は咄嗟に身を捻りながら前転した。
左上腕に痛みが走る。見ると服の袖が裂け、周囲に血の
「今のを
再び構え直す睦月。鎧の覆われているので表情は窺えないが、それでも次は仕留めるという気迫が感じられる。
颯は先ほどの呪符を再び眼前に掲げた。どうせ使うつもりでいたのだ。今更躊躇う理由はない。今度は一気に呪符を振り下ろす。白い面が現れると共に颯の意識は白く染まり、何も感じなくなった。
睦月は白い仮面をつけた颯の前に立つ。この仮面をつけてから、颯の気配が変わった。妖とは違うが、どこかそれを髣髴とさせる雰囲気を感じる。これは一筋縄ではいかない。睦月の直感がそう告げていた。だが。
「いかに変化しようとも斬ることに変わりはない」
睦月は一気に踏み込み、颯の胴を薙ぐ。しかし、颯の動きは常軌を逸していた。まるで獣のような動きでそれを
次の瞬間。颯の両刀が睦月の頭上に振り下ろされる。睦月は何とかそれを防ぐが、力が尋常ではない。このままでは押し負ける。そう判断した睦月は、刀を傾け衝撃を受け流した。
霊力の込められた一撃は、ただの刀の一振りに納まらない。受け流された颯の斬撃は、そのまま地面を大きく抉る。
睦月はすぐさま体勢を立て直し、颯に斬撃を浴びせる。体勢を崩したままの颯は、それでも睦月の刀を受け止めて見せた。
刀同士がぶつかり合い火花を散らす。両者はその勢いのまま、激しい近接戦を開始した。何度も刀がぶつかり合い、その度に激しい火花が
琴葉はやや離れたところから、そんな二人を見ている。否。見ていることしか出来なかったというべきか。それだけ両者の攻防は激しいものだった。割って入る隙などあろうはずもない。下手に手を出せばこちらが斬られる。そういう雰囲気だ。
颯は白面鬼神を使った。先ほどの妖との戦闘でも使おうとしていたが、琴葉の本心としては、白面鬼神は使って欲しくはない。颯がどうしても切り札が欲しいというので伝授してしまったものの、あれは邪法の類である。琴葉自身は一度も使ったことがなかった。
白面鬼神は強力だが、理性を失うという代償がある。今の颯は獣と同じ。闘争本能のまま力を振るっているに過ぎない。仮に目の前のウォーデッドを退けたとして、そこで止まる保障はないのである。ことによると、理性を失ったままの颯が人を傷つけることもあるかも知れない。それだけのリスクを背負って尚、颯は白面鬼神を使うことを選んだ。そうしなければ殺される。それがわかったからこその判断なのであろう。
琴葉は祈った。颯が無事に帰ってくることを。そして一方で、もしもの時は自分が命を賭けて颯を止めるという覚悟を決める。
「颯さん。信じていますよ」
琴葉の呟きは二人の剣撃の音にかき消され、颯に届くことはなかったのだった。
颯の意識は白い世界の中にいた。上下、前後、左右。どこを取っても真っ白な世界。地面はなく、空中に浮いているような感覚だ。
「ここは……」
辺りを見渡す。しかし風景は変わらない。一面の白が続くだけだ。
以前にも似たような感覚に捕らわれたことがあるような気がする。あれはいつのことだったか。思い出そうとしても、記憶に
「とにかく、ここから出ないと」
今はウォーデッドとの戦闘の途中のはずだ。いつまでもこんな白い世界に捕らわれている訳には行かない。
颯はその場でもがくが、自分の位置を示す指標がないので動けているかがわからなかった。
「くっそ。どうすりゃいい」
颯は必死に以前の記憶を探る。そこに、この場を脱するためのヒントがあるような気がしたのだ。
誰かの声が聞こえる。
「何だ?」
何と言っているかまではわからない。だが確かに何か聞こえる。
ずきりと頭が痛んだ。大切な何かを忘れている。そんな感覚に
「何だってんだ、ちくしょう!」
痛む頭を堪えて、何とか記憶を探った。
声が聞こえる。
徐々に鮮明になっていく声。それは自分を呼ぶ誰かの声だった。
誰かが自分を呼んでいる。
「誰だ、俺を呼ぶのは」
記憶があやふやで誰の声なのかがわからない。しかし、その声は確かに自分を導こうとしている。その確信があった。
颯は声に向かって手を伸ばす。以前にも、こんなことがあった。その時は確か、声に導かれて外に出たはずだ。
だから颯は手を伸ばす。声のする方へ。すると、不意にある景色が脳裏に浮かんだ。
和風の建築物。その中にたたずむ銀髪の少女。その少女が誰であるのかはわからない。しかし、自分はその少女を知っている。そんな気がした。
記憶の中の少女がこちらに向かって手を伸ばす。颯はその手を取るように手を伸ばした。
刹那。颯の気配がまたしても変わる。睦月は思わず颯から距離を取った。
「何が起きた……」
颯の面の形が変わっている。ただ真っ白なだけのシンプルな仮面だったものが、今はまるでウォーデッドの顔のように変化していた。睦月は知らないが、それは颯がウォーデッドであった頃の姿に似ている。
まるでウォーデッドを相手にしているかのような気配。ウォーデッドでなくなったはずの颯が、まるでウォーデッドのような気配を纏っている。その事実は睦月を困惑させるには充分だった。
「一体何なんだ。貴様は!?」
首をだらりと垂れていた颯が顔を起こす。仮面に開いた穴からは、颯の両目がしっかりと睦月を捉えていた。
「何だろうな。自分でもよくわからなくなったよ」
獣のようであった先ほどまでとは違う。実際にこうして言葉を交わすこともできているのだ。何が起こったのかはわからないが、颯は理性を取り戻したようだ。
「引くなら今だぜ。やるってなら、悪いが手加減は出来ない」
その視線に、睦月は圧倒された。ウォーデッドである自分が誰かを怖れるなどあってはならない。それなのに、睦月の身体はまるで蛇ににらまれた蛙のようにピクリとも動いてはくれなかった。
「引けるものか! 俺は俺の役割を果たす! この命に代えてでも!」
動こうとしない身体に鞭打って、睦月は颯に踊りかかる。
「そうか。なら仕方ないな」
閃光一閃。颯の姿が消えたと思った瞬間には勝負は付いていた。颯の斬撃が睦月の右腕を斬り落としたのだ。
傷口から血が噴き出す。睦月は左手で傷を押えた。しかし指の隙間から血はどんどんと溢れてくる。
「おのれ、籐ヶ見颯!」
憎しみを込めて颯を睨みつける睦月。一方颯の方は、そんな睦月に対して哀れみに視線を向けた。
「もうやめようぜ。これ以上戦っても、あんたは俺に勝てない」
颯の言葉は真実だ。他の誰でもない睦月自身がそれを痛感している。利き腕を失った。その時点でウォーデッドとしては致命的である。その上先視も破られた。これ以上は戦いにすらならない。
「十六夜。いるんだろ。こいつを回収して去れ。そうすれば後は追わない」
するとどこからともなく青髪の十六夜が現れる。青髪の十六夜は睦月を庇うように颯の前に立った。
「見逃してくれるのか? またお前の命を狙うかも知れんぞ?」
「その時はまた返り討ちにするさ」
「……そうか」
青髪の十六夜は睦月の方に向き直る。
「ここは引くぞ。睦月」
「しかし!」
「これは命令だ」
「……御意」
青髪の十六夜が転移の呪印を展開した。そしてもう一度颯に視線を向ける。
「今回はお前の勝ちだ、籐ヶ見颯。だが忘れるな。お前は我々の敵だ」
「はいはい。肝に銘じておくよ」
睦月と青髪の十六夜が呪印の向こうに消えた。
これにて颯の退魔師としての初陣は終幕を迎えたのである。
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