第三章 退魔の刺客

第十三話 退魔師

 彼女――久坂くさか琴葉ことはは退魔師である。退魔師とは、人の身でありながら妖と戦うすべを持った戦闘集団だ。久坂家はその中でも歴史が古く、代々退魔業を営んでいる。中でも琴葉は優秀で、名前持ちネームドとの戦闘経験も持った世界でもトップクラスの退魔師であった。


 この日も依頼のあった妖の討伐に出向いていた琴葉。今回の相手は名前持ちネームドではないため、然程危険な仕事ではない。しかし琴葉は性格上、手を抜くということをしないため、決着はあっさりと付くだろう。


 彼女の愛刀である水無月は、特別な製法で作られた霊刀だ。それ自体が意思を持っており、持ち主を選ぶ。一族の中でも取り分け霊力の高い琴葉を持ち主に選んだのは、彼女が十歳の頃だった。


 おまけに心強い相棒もいる。妖とは起源の違うようの者――妖怪の瑠璃だ。見た目こそ幼女だが、これでも数百年の時を生きる猫又である。その知識量はかなりのもので、最初こそ反りが合わなかったが、今では立派な相棒だ。


 依頼のあった古い社へと近づくと、琴葉は思わず顔をしかめる。辺りは魔の者の臭気が充満していた。最早嗅ぎ慣れたにおいだが、こればかりはいつ嗅いでも嫌気が差す。


 琴葉が水無月に手をかけると、急に辺りが色を失った。何者かが狭間を開いたのである。


「姿を見せなさい、魔の者よ。そこにいるのはわかっています」


 琴葉の声に反応し、妖が姿を現す。どうやら言葉は理解出来るようだ。


 姿を現したのは琴葉の三倍はありそうな巨体の異形だった。手足は異様に長く、そして細い。およそ人間の原形をとどめていないが、それは言葉を発した。


「お前、妖を連れているな」

「妖じゃなくて妖怪です。あなた達と違って友好的な種族ですのでお気遣いなく」


 瑠璃を妖呼ばわりされたことに腹を立てたのか、琴葉は若干頬を膨らませている。


「まぁどっちにしても関係ねぇ~。大人しく俺の餌になりやがれ!」


 異形の妖が琴葉に踊りかかった。長い手足から繰り出される打撃は、細身の琴葉にとってはそれだけで脅威だ。一発でも貰えば致命傷は避けられない。しかし、そこは歴戦の退魔師である。全ての攻撃を紙一重でかわし、水無月の一閃で妖の腕を薙いだ。それは大量の出血を伴ったが、それも一瞬のこと。妖の腕はすぐに再生し、琴葉を掴む。


「ぐへへ。これで動けまい。それにしても綺麗な顔だな~。さぁ、どこから喰らってやるか」


 異形の妖は、彼女の豊満な身体を見て舌なめずりをする。その様子は下劣極まりない。まるで生前の人柄まで映しているように思えた。


「この程度で私に勝ったとお思いか?」


 琴音は懐から数枚の呪符を取り出しその場に放る。すると呪符は激しく燃え上がり、妖の腕を焼いた。ただの炎ではない。久坂流特製の浄化の炎。その前には流石の妖も怯んだ。


あっちい~。何だこりゃ消えやしない!?」


 妖は必死に鎮火しようと腕振り回しているが、一度点いた浄化の炎はそう簡単には消えない。


 その隙に妖の腕から逃れた琴葉は、水無月を手にし抜き放った。閃光が走り、周囲にあった木々をなぎ倒す。彼女の動きに伴ってなびいた長い黒髪が、はらりと元の位置に戻った。綺麗に整えられた艶やかな黒髪は、宝石すら連想されるほどに美しい。


「……何だ今のは。全然大したこと」


 反応は遅れてやってきた。妖の胴体に一筋の赤い線が走る。それは水無月による斬撃の跡。退魔師特有の法術と組み合わせることで、離れた場所にある対象を斬ることが可能なのだ。


 琴葉はこれで仕舞いとばかりに、水無月を納刀した。すると次の瞬間妖はバラバラに斬り裂かれ、その場に崩れ落ちる。


「……名前持ちネームドでもなければこんなものかにゃ」


 琴葉が連れていた、おかっぱ頭の猫又幼女――瑠璃が小さく息をつく。


「これ一体とは限りません。被害の状況から鑑みるに、敵は複数体である可能性が高い」

「相変わらず、琴葉は心配性だにゃ~。この辺りに妖のにおいはもうないにゃ。考え過ぎにゃよ」


 瑠璃は優秀だが楽観的過ぎるのが玉に瑕であった。勝って兜の緒を締めよ。勝った時こそ油断は大敵なのだ。


「私はもう少し周囲を探ります。嫌ならあなたはついてこなくても結構ですが?」

「も~そんなこと言うにゃよ。せっかくの相棒の申し出にゃ。とことん付き合うにゃ」

「……ありがとう、瑠璃」


 瑠璃色の瞳が琴葉を捉える。琴葉はそれに笑顔で答えた。妖の討伐は退魔師の使命。ウォーデッドなる者に任せていいはずがない。人の世は人が守るものだ。


 先日聞き及んだ、新たなウォーデッドのことを思案する。これまでにない二刀流のウォーデッド。高い能力を持ち、先日は覇王級の妖を一人で討伐せしめたとか。これはことによると新たなウォーデッド十傑候補かも知れない。


 琴葉はまだ見ぬそのウォーデッドに思いを馳せる。彼は最重要討伐対象だ。何せ彼の肉体はまだ生きていると言うではないか。そんなウォーデッドは前例がないが、それが本当なら危険この上ない。今すぐにでも現地に赴き、彼を討伐すべきである。


 私怨はないが、それが自分達退魔師の役割だ。ウォーデッドはその内に妖性を秘めている以上、決して人類とは相容れぬ存在。彼らが戦闘を起こせば少なからず周囲に被害が出るし、者によっては人間を囮に使う卑劣なウォーデッドも存在するとか。これを見過ごすことは琴葉には出来なかった。


 父親に事前に通達されていた通り、次の目的地は満ヶ崎。そこにいる二体のウォーデッドを葬ること。それが琴葉に与えられた任務であった。




 同日。


 颯は療養のため、狭間の町――門前町にある屋敷にいた。ここしばらくは妖の出現もなく平和な日々が続いている。それ自体は好ましいことのはずだが、颯はどこか嫌な気配を感じていた。


 しかし十六夜の霊力感知に何かが引っかかる訳でもない。十六夜の指示がなければ何も出来ないのがウォーデッドである。もどかしさを感じつつ今は傷の治療に専念することにした。


 とは言え、こう毎日寝たきりでは体が鈍ると言うもの。颯は十六夜のいぬ間にこっそりと屋敷を抜け出し、雫と共に外出することにした。


 中央通りを歩くことしばし。本日も例に漏れず、隠世の門へと続く道には長蛇の列が出来ており、今か今かと自分の順番を待っている人々の姿。よくもまあこれだけの人間が毎日死んでいるものだ。尤も自分が知らないだけで、同時に生まれる命も無数に存在している。この世界は祖霊の意思により適切にバランスが保たれ、生命は絶えず循環しているのだ。


 しかし、それらは自分には関係のないこと。人の理から外れたウォーデッドは輪廻の輪から外れる。死の後に待つのは転生ではなく永遠の無だと、以前十六夜が言っていた。世界を救うと言う大きな使命を背負わされているにしては、酷い待遇だ。もちろん、それが生前に犯した罪に対する罰だと言うことは理解している。それでも、あの小さな身体でがんばっている十六夜には、何か救いがあってもいいのではないか。


 颯の脳裏に見慣れた銀髪の少女が浮かぶ。いつも無表情で何を考えているかもわからないが、それでも彼女は世界を救うために日々尽力している。神楽に触発されたからではないが、たまには何か褒美みたいなものがあってもいいかも知れない。


「となればプレゼントか。とは言え、あいつの好みそうなものなんてわからないしな~」

「うう?」


 颯は空を見上げる。釣られて雫も空を見上げた。澄み渡った空に雲はなく、暖かな光が煌々と降り注いでいる。


 と、ここで町人の声が耳に入った。


「饅頭~。饅頭はいかがですか~」


 颯の脳裏にピンと来る。甘いものなら嫌いな女子は少ないだろう。あんな日本風の屋敷に住んでいるくらいだ。きっと和菓子派に違いない。


 この時、颯は完全に失念していた。十六夜が身につけている衣服が、完全に洋装だったことを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る