第三十二話 天魔級討伐指令

 その日、狭間――門前町は朝から騒がしかった。


 早朝。屋敷の外から響くヒトの声で颯は目を覚ました。


「何事だ?」


 素早く立ち上がると、ふすまを開けて十六夜が現れる。 


「颯、仕事だ」

「それはこの騒ぎと何か関係があるのか?」

「もちろんだ」


 十六夜は時間がないと、すぐさま説明を始めた。


「現れたのは天魔級、白斗はくと。どうやら奴の目的はこの門前町のようだ」

「門前町を? 一体何のために?」

「それはわからん。今はまだ防壁で侵入は防いでいるが、それもいつまで持つか……」


 ここ門前町は隠世の門がある。世界の成り立ちにとって重要な拠点であるのは確かだ。しかし、妖がそこを狙う理由がわからない。


「現在位置は?」

「満ヶ崎だ」

「またか。最近多過ぎじゃないか?」


 ここの所、満ヶ崎にばかり強力な妖が現れる。何者かの意思が介在しているのだろうか。だとすれば、怪しいのは。


「那岐……か」


 ウォーデッド那岐。妖と通じているという彼ならば、満ヶ崎に妖を集めることも可能だろう。しかし、そうすることで彼に何のメリットがあるのか。


 以前倒した両腕が刃のようになっている妖が、計画がどうのと言っていた。恐らくそれが関係しているのだろうが、それ以上を推察するには情報が圧倒的に足りない。


「とにかく、今は妖だ。颯、行くぞ」

「御意」


 颯は素早く転移の呪印を発動させる。颯が十六夜と共に呪印を潜ろうとしたその時、雫から声がかかった。


「颯、また仕事?」

「ああ。今回も大物だ。お前は」

「雫、ついて行く」

「は?」


 予想外の回答に、颯は素っ頓狂な声を出してしまう。


「雫、颯、心配。だからついて行く」


 雫は「ふんす」と鼻を鳴らした。


 確かに前回の戦いでは雫にも心配をかけてしまったとは思っている。しかし、今度の相手は天魔級。振り撒く穢れはかなりのものだろう。それに雫が影響されないとも限らない。出来れば連れて行きたくはなかった。


「雫、お前は――」

「ついて行く!」


 どうやら決意は固いようである。颯は困り果て、十六夜に助けを求めた。


「……もしかしたら、そいつの運気操作が役に立つかも知れん」


 意外にも十六夜は雫を連れて行くことに賛成のようだ。そして、十六夜がそういうのであれば仕方がない。颯は雫を連れて行くことに決めた。


「ヤバイと思ったら、すぐに逃げるんだぞ」

「わかった」


 三人で呪印を潜る。まず向かったのは神楽のもとだ。相手は天魔級。先の紅夜叉よりも格上の相手である。これはもう一人でどうこう出来る相手ではない。


 いつものように研究室に転移すると、待ってましたとばかりに神楽が息をついた。


「来たわね。状況説明は必要?」

「いいや。それよりもこっちの戦力は?」

「今のところ、私とあんただけよ。師匠にも十六夜を通じて声かけたんだけど返事がなくてね」


 天魔級と渡り合えるウォーデッドは然程多くないのだろう。確かに死にに行くのは自分だって御免である。しかし、その妖が満ヶ崎にいるというのであれば、颯は行かない訳にはいかない。何せ、詩織や家族の住んでいる町だ。放っては置けない。


「それよりもその妖。連れて行く訳?」

「ああ、そのつもりだ」

「……まぁ、いいけどね」


 雫にちらりと視線を向けた神楽だったが、すぐに前に向き直った。


「三人で止められると思うか?」

「さあ。それはやってみないと何とも言えないわね~」


 神楽の方も戦力不足なのはわかっているだろうが、敢えて軽口を叩いている。


「なら、俺達三人で止められれば勲章ものだな」

「勲章って。誰がくれるのよ」

「そりゃ祖霊様だろうよ」


 颯も神楽の軽口に付き合う。こういう軽口は緊張を適度に和らげてくれるものだ。これから死地に向かうに当たってはちょうどよい。


「よし! 行きましょうか!」


 先陣を切ったのは神楽と彼女の十六夜だった。すぐさま颯達もそれに続く。相手は天魔級――白斗。今、満ヶ崎史上最大の戦闘が始まろうとしていた。




 白斗と名付けられた妖は考える。自分と破神級の違いは何かと。


 今まで数多くの人間やウォーデッドを喰ってきた。今なら十傑とでも充分戦えると思っている。それなのに今だに破神級と呼ばれない理由は何か。それは行いだ。祖霊にとってもっと都合の悪いことをすれば、自分も破神級と呼んで貰えるかも知れない。白斗はそう考えた。


 祖霊への侵攻はまだ早いと那岐は言っていたが、自分はそうは思わない。既に破神級は十数体いるし、天魔級にいたってはその倍以上いる。いくらウォーデッド十傑とは言え、一人欠いた状態でこの数を相手にすることは出来ないだろう。


 それに今回の侵攻には一つ目的がある。それは那岐が気にかけているという二刀流のウォーデッドだ。


 先日狭霧がそのウォーデッドに敗れたらしい。姑息な奴らしく、いいところまでは追い詰めたそうだが、最後の最後でしくじったようだ。しかし、相手を暴走させたという話は実に興味深い。あのウォーデッドが理性を失い暴れまわったというのだから、こんなに面白い話はないだろう。


 出来れば自分もそれを見てみたい。白斗はそのためにわざわざ満ヶ崎までやって来て、わかりやすい挑発をして見せたのだ。


 狭間の町の障壁など打ち破るのは容易たやすいが、こうも脆いとやり応えがない。障壁に干渉を始めて三十分。そろそろウォーデッド達が現れる頃だろう。二刀流のウォーデッドとやらがどれほどのものか、見極めてやろうではないか。つまらない相手なら、殺して喰ってしまえばいい。


 白斗は不気味な笑みを浮かべる。今彼が居るのは駅前の繁華街。食事にはこと欠かないし、いざとなれば人質にも使える。人間というのは実に矮小な存在だ。


 白斗は自身が人間であった頃を思い起こす。そう、あの頃。自分は刑事であった。仕事熱心で、家庭のことよりも仕事を優先することもしばしばだったが、それでも何やかんやで万事上手く行っていたと思っている。妻は家を空けがちな自分を心配してくれるし、息子も自分をかっこいいと褒めてくれた。仕事では大きなミスをすることもなかったし、人間関係は概ね良好だ。これ以上ないというくらい幸せな毎日。それが唐突に終わりを告げたのは、ある冬のことだった。かつて自分が逮捕した殺人犯が刑期を負えて出所し、自分の前に現れたのである。


 その男は手にナイフを持っていた。男はナイフで自分を一突きにし、その場を去って行く。自分は倒れたまま立ち上がることが出来ず、そのまま失血死した。そこにあまり感情は湧かない。ただただ空しかった。


 法律はあくまで人間が作った制度だ。その制度をもってしても人間を御することは出来ない。はみ出し者はいつだって現れる。そのはみ出し者を捕まえるのが自分の役割だと思っていたし、それで正しいのだと思っていた。だが蓋を開けてみればどうだ。正しいことをしても真っ当な生き方が出来る訳ではない。現にこうして自分は一度は捕まえた殺人犯に殺されている。この世のあり方は間違っているのだと思うようになるのに、そう時間はかからなかった。


 それからはひたすらにつらい現実を突きつけられる日々だ。日々どこかで事件が起きている。自分は何もすることが出来ず、ただ見ているだけだ。そうしているうちに自分の中に変化を感じた。何か強い衝動に突き動かされる。殺せ。殺せと自分の中の何かが訴えかけてきた。


 そんなある日のことだ。自分を殺したあの男に出会ったのは。


 強い衝動に駆られ、無我夢中で男を殺した。どうやってやったのかは覚えていない。そもそも死んだはずの自分に何かが出来るとは思っていなかったのだ。


 いつの間にか傍に白いコートを着た男が立っていた。男は那岐と名乗り、自分の正当性を説いてくる。そうだ。自分は正しいことをした。殺人犯を一人、この世から葬り去ったのである。


 自分は那岐という男について行くことにした。そうすればこの世の不条理を正すことが出来ると信じて。後に自分が白斗と呼ばれる化け物になるということを知らずに。

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