第三十五話 敗北

 神楽は全力で刀を振り切る。手加減が出来る相手ではないし、何より那岐は討伐対象だ。生かしておく義理はない。


 放たれた一撃は間違いなく必殺の一撃だった。右肩から左腰にかけての袈裟切り。それで片は付く。はずだった。だが。


 不意に神楽の視界が黒く染まる。次いで狭い場所に閉じ込められたかのように身体が動かなくなった。それが相手の攻撃だと気付くのにそう時間はかからない。


 呪術――黒弔くろのとむらい。黒い呪力の棺の中に敵を閉じ込め、内側に発生させた無数のとげで相手を串刺しにする高等呪術である。ほんの一部のウォーデッドしか使えない高等呪術を、那岐は呪印なしで発生させたのだ。


 これが呪印破棄か。そう思った次の瞬間には、神楽の身体は無数の棘で串刺しにされていた。




 那岐の背後に黒い棺が現れる。それは神楽を一瞬にして取り込み、攻撃を無力化していた。


 黒弔。聞いたことはある。実際に見るのは初めてだが、これほどの呪術ですら呪印破棄出来るのか。


 とにかく、この一撃で神楽は戦線を離脱するだろう。もしかしたら死んでしまったかも知れない。


 颯は歯を噛み締めた。那岐は強い。はっきり言って強過ぎる。これが最強のウォーデッドと言うものか。全くと言っていいほど歯が立たない。


 ちらりと十六夜の方に視線を向ける。そこには二人の十六夜と雫が立っていた。ピンク髪の十六夜がまだいるということは、神楽は生きているということだ。とするなら、神楽を連れて一度撤退するか。相手が素直に逃がしてくれるとは考えにくいが、これ以上戦闘を続けるのは不可能だ。何とかしてこの場を切り抜けたい。


 その時、不意に刀を押し込む感触が軽くなる。那岐がその場から消えたのだ。黒弔から解き放たれた神楽がこちらに倒れ込んで来る。颯は咄嗟にそれを受け止めた。


 那岐はどこへ。颯は周囲に視線を走らせる。すると那岐がいたのは十六夜達の背後だった。




 不結の十六夜も消えた那岐の行方を探る。あれほどの霊力だ。必ず自分の霊力感知に引っかかるはずである。


「十六夜! 後ろだ!」


 咄嗟の声に反応し、十六夜達は振り向く。目視するまでその存在に気が付かなかった。一体何故。考えることはあるが今は身の安全が重要である。距離を取ろうと身体を動かそうとするが後一歩遅かった。足が動かない。氷の花が足元を覆っている。


「……不結の十六夜。少しは期待していたんだが」


 那岐の目の感情はない。ただただ空虚な瞳が自分達を見下ろしている。


「颯の成長のためには、やはりお前の存在が邪魔だな」


 次の瞬間。那岐の刀が不結の十六夜の胸部を貫いていた。。




 その瞬間を目撃した颯は声を張り上げる。


「十六夜~!」


 神楽をその場に寝かせ、颯が十六夜の元に駆け寄った。刀で氷の花を蹴散らし、倒れそうになっている十六夜を抱きとめる。


 勝敗は決したと確信しているのか、那岐はそれ以上手を出してこない。それを確認してから、颯は転身を解く。


「十六夜!」


 颯の腕の中に納まった十六夜は、颯の頬に手を当てた。


「颯、すまない。不覚を取った」

「謝るな! 今止血を」

「無駄だ。霊核を貫かれた。もう長くはない」

「そんな……」


 見ると十六夜の身体は光の粒子となって消えつつあった。颯は慌てて十六夜の傷口を押える。


「くそ! 止まれ!」


 それでも出血も、粒子化も止まらない。このままでは十六夜が死んでしまう。そうなれば自分もお仕舞いだ。十六夜とウォーデッドは一蓮托生。ウォーデッドが死ねば十六夜も、十六夜が死ねばウォーデッドも命を落とす。これは変えることの出来ない運命さだめである。


「颯、せっかくの最後だ。お前の顔をもっとしっかり見せてくれ」

「何言ってるんだ! 最後なんて、そんなこと」


 頬を涙が伝う。自分はこんなことで泣くような性格ではないと思っていた。しかし実際には涙が止まらない。


「泣くな、颯。大丈夫だ」


 十六夜は颯の涙を指で拭う。


「何が大丈夫なもんか! お前がいなくなったら俺は――」

「大丈夫。大丈夫なんだ」


 十六夜は目を閉じた。その顔はとても穏やかで、とてもこれから死ぬ者とは思えない。薄っすら笑みすら浮かべているように見える。


 颯は今にも消えてなくなりそうになっている十六夜を思い切り抱きしめた。このままでは十六夜がいなくなってしまう。そう思ったら、そうせずにはいられなかったのだ。


「行くな、十六夜!」


 その場にいる誰も、十六夜を救うことは出来ない。それはわかっていた。それでも颯は諦めたくなかったのだ。ただただ必死に十六夜の傷を押える。


「颯。心配するな。私はまた生まれてくる。そしてまた、お前を見つけるんだ」

「十六夜……」

「大丈夫。お前は強い。私がいなくても、強く生きて行ける」

「……それは、どういう」


 聞き返そうとした瞬間。十六夜の姿は糸がほどけるように消えてしまった。颯の呼吸が一瞬止まる。


「十六夜~っ!」


 颯の咆哮が、周囲に木霊こだました。




 一部始終を見ていた那岐が小さく漏らす。


「さて、どうなる?」


 不結の十六夜は消えた。通常なら、対となっているウォーデッドの颯も消えてなくなるはずだ。


 颯の身体に変化が訪れるまで、そう長くはかからなかった。颯の身体から黒い光の粒子が漏れ始めたのだ。颯はそれを認識すると、那岐をキッと睨んだ。


「那岐。お前は俺が殺す。絶対にだ!」


 その気迫に那岐は薄く笑みを浮かべる。


「面白い。やれるものならやってみろ」


 颯は刀を手にし、那岐に切りかかった。十六夜がいない以上、もう開放は出来ない。それでも那岐に一矢報いようと那岐に踊りかかったのだ。


 しかし怒りに我を忘れているのか、攻撃は単調で面白みがなかった。こんなことでは十六夜を手にかけた意味がない。那岐は刀を使って颯の両刀を絡め取り、遠く弾き飛ばす。


「この程度で我を忘れているようでは、俺は倒せんぞ?」


 颯の喉元に刃を押し付けた。それでも颯の敵対心は削がれない。むしろ距離を詰めようとしてきた。


 那岐は思わず刀を引いてしまう。このまま殺してしまってはいけない。颯にはまだ使い道があるのだ。


「どうした、那岐。急に弱腰じゃないか」


 その変化を見逃す颯ではなかった。もう一歩那岐に向かって踏み出して見せる。


「今日はここまでにしようか」


 那岐は刀を引き鞘へと納めた。そして何事もなかったかのように振り返る。


「おい、待て! 逃げるのか!?」

「逃げる? 何を馬鹿な。今のお前は戦える状態ではないだろう?」


 那岐の言う通り、颯の身体はもうほとんど粒子となって消え、向こう側が透けて見えていた。


「いずれまた会おう。その時、お前が俺のことを覚えているかどうかはわからないが」


 それだけ言い残し、那岐は風に乗って姿を消す。残された颯はその場に両膝を着いた。




 悔しい。勝てなかった。颯は両膝を地面に着き泣き崩れる。


「ちくしょう! 那岐! あいつだけは絶対に許さない!」


 右手を地面に叩きつけるが、もうほとんど身体の感覚がない。そんな颯の元に、雫が心配そうに近づいてくる。


「颯、消えそう」

「ああ、すまない雫。お前を残してくことになりそうだ」


 颯は雫に手を伸ばした。しかし雫に触れることは叶わない。そこまで颯の存在は希薄になっていた。


「またお前を一人にさせちまうな。俺が不甲斐ないせいで……」

「そんなこと、ない。颯、雫に、優しくしてくれた!」


 雫が涙をこぼす。そんな彼女の涙を拭ってやれない自分に嫌気が差した。


「これからは神楽を頼れ。あいつならお前を悪いようにはしないだろう」

「うう、颯……」


 もう余り時間がないようだ。颯は最後に精一杯の笑顔を雫に向けた。


「皆のこと。頼んだぜ」


 颯の姿が消える。それがウォーデッド颯の最後の瞬間だった。

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