第一章 それは世界の片隅で

第一話 狭間の町

 彼――籐ヶ見とうがみはやてが目を覚ますと、そこは昔ながらの日本家屋と思われる建物の一室だった。思いのほか寝起きはいい。


 ふと感じる違和感。颯は閉じられたままの左目に手をやった。詳しいことはわからないが、触った感じからすると、もう目としての機能は期待出来なさそうだ。


「目が覚めたか」


 耳に届く少女の声。颯が声のする方に目をやると、そこには十代半ばと思われる銀髪の少女が座っていた。


「ここは――」

隠世かくりよの入り口。数ある狭間はざまのうちの一つ。門前町だ。お前にもわかりやすく説明するなら、三途の川のほとりと言ったところか」


 抑揚の少ない滑らかな口調。深い輝きを湛える空色の瞳は外見にそぐわず、遥かに永い時の流れを連想させる。


「俺は死んだのか」

「そうとも言える……が、そうとも言えない。言っただろう。ここは入り口。まだお前達の言うところの、あの世ではない」


 ふと颯の脳裏に、ある光景が浮かぶ。


 大学の講義を終え、家路につく途中にある交差点。突如視界に飛び込んでくるトラックと、意識を失っているように見える運転手の姿。そして隣にはいつも行動を共にしている幼馴染。男女の組み合わせなので恋人同士だと冷やかされることもあった。家族でも恋人でもない、曖昧で、しかしとても大切な人だと断言できる相手。この場で目を覚ます直前の記憶である。


「思い出したか」

「……ああ」


 トラックの存在に気づいていない彼女をとっさの判断で押し飛ばしたところまでは覚えているが、その後の記憶は全くない。欲しい答えが返ってくる保証がなくとも、この質問をせずにはいられなかった。


詩織しおりは、どうなった?」


 しばしの沈黙。答えを知らないのか、それを伝えることに何か思うところがあるのか。颯が返事を諦めかけた頃、少女は口を開く。


「……生きている」

「――そっか」


 一つ胸のつかえが取れたと息をつく颯だが、この状況で気分が晴れる訳もない。


「そう言えば、お前が俺をここに連れてきたのか?」

「ああ。偶然事故の現場に居合わせてな。放って置くと行き先に迷うだろうと思い、連れて来た」

「まるで死神だな」

「死神ではない。十六夜いざよいだ」

「いざよい……。それがお前の名前か?」


 彼女は静かに首を横に振る。彼女が言うには十六夜とは固有名詞ではないらしい。颯が『人』であるように、彼女は『十六夜』という存在なのだと説明した。


「じゃあお前の名前は?」

「十六夜に名などない。そもそも固体ごとに名をつけるのは人くらいのものだぞ」


 改めて、十六夜と名乗る少女の格好に目を向けた。長いストレートの銀髪は腰に届くくらい。黒の半袖シャツにショートパンツ。首からはバイク用と思われるゴーグルを下げ、左目の下には白い涙柄のタトゥーが描かれている。こうして話をしていなければ、人形と見まごうほどに作り物めいた無表情だ。


「それと、私は気にしないが、こう見えてもお前より遥かに年上だ。この場所では、見た目は相手を計る物差しにはならないぞ」


 そう言われ颯は口調を改めるべきか迷う。見た目は明らかに年下だが、年上だと言うのなら敬語の一つも使うべきだろうか。


「少し出よう」


 迷っているうちに十六夜がそう言って席を立ってしまう。片目だけの颯は周囲の物との距離感に悩まされつつも、何とか布団から這い出て彼女に続く。


 屋敷の門をくぐると、そこはとても奇妙な町並みが広がっていた。


「改めて紹介しよう。ここが生と死を分かつ場所。門前町だ」


 基本的な作りは時代劇に出てくる宿場町だ。通り沿いには様々な店が立ち並び、出歩く人の多くが和装に身を包んでいる。どこが奇妙なのかと言えば、中央の大通りから外れたところに明らかにコンクリート製の建築物が点在することだ。


 昭和を代表するレトロなアパート風建築から、最新のフレキシブル構造建築まで。ここまで新旧の建造物が隣接している光景は、日本中どこを探しても見つからないだろう。


 よく見ると、和装で賑わう町並みの中にはジーパン姿の男性やロングスカートをなびかせる女性の姿もあり、人種も様々。統一感の欠片も、そこには存在していなかった。


「何か、すごいところだな」

「……確かに。ここ百年ほどで、この町もずいぶん様変わりした。人の命は儚いものだが、その中で紡がれる営みというものは実に興味深い」


 無表情なので本当に感心しているのかどうかは見かけには判断できない。十六夜というのは皆このように人形めいているのだろうか。


 反応に困り、仕方なく周囲を見渡した颯の視界に目を疑うようなものが映った。

 

「……何だ、あれ?」


 連なる人の列の先。凱旋門を日本風にしたような、巨大な門のようなものが見えた。あまりの大きさに、遠近感が掴めなくなりそうなほどだ。


「隠世の門。あの世への入り口だ。あれをくぐることで、人の魂は現世うつしよでの役割を終える」

「……それじゃあ、俺もあれをくぐらないといけない訳か」


 自分がここにいると言うことは、このまま死を迎えるのだと颯は思った。しかし――。


「いや。お前にその権利はない」

「えっ」

「お前は天命に背いた咎人とがびとだ。その罪を背負っている限り、門をくぐることは許されない」

「罪って。俺が何をしたって言うんだよ!」


 心当たりのない罪とやらに、颯は声を荒げた。


「お前の犯した罪は二つ。死すべき人間を生かし、生きるべき人間を殺した。何のことかは、お前自身が知っているはずだ」


 相変わらず抑揚のない口調で十六夜が告げる。


「待てよ。それってつまり――」

「天命によれば高柳たかやなぎ詩織しおりは今日の事故で死に、籐ヶ見颯は無傷のまま助かるはずだった。お前が今ここにいることこそ、天命――運命に背く行為の結果ということだ」

「俺が詩織を助けたのは間違いだって言いたいのか」

「その通りだ。今回の件で高柳詩織は世界の流れから逸脱した存在となった。これから先、他者の天命に干渉しない範囲で、様々な不幸が彼女を襲うだろう」


 本来であれば、人間が意図して他者の天命に干渉することは不可能である。しかし稀に颯のような特殊な力を持ったものが生まれるのだと言う。颯の場合は先天的に異常なまでの幸運を宿していたことだった。


 事故の瞬間。颯は自らの運気を詩織に譲渡することで彼女を救い、運気を失った彼は逆に命を落としたのだという。


「意図してやったことでなくとも、それによって生じた結果によっては罪に問われる。過失、というやつだ」

「……その罪ってのは、どうすれば償えるんだ?」

「方法は二つ。一方は咎人として素直に裁かれることだ。背負った罪ごと切り刻まれ、門をくぐらずにあちら側へ行く」


 十六夜が言うには、そういった役割を担う者が存在するらしい。


「それって痛いのか?」

「私は受けたことがないが……。魂になったからとは言え、はっきりとした自我がある以上、生前と同様の痛みを感じるはずだ。裁き手が誰になるかはわからんが、中には裁きという名目で加虐を楽しむ者もいるかも知れん」

「……流石にそこまではごめんこうむりたいけど。今の言い方だと、もう一つは――」

「その通り。として働くことだ」


 突然のことに思考がまとまらないでいる颯を前に、十六夜は何かに気付いたように視線を外した。


「丁度いい。あれを見ろ」


 十六夜が指差す先。門へと続く人の列から外れたところに、うずくまるようにしている男が一人。


 しかしその形は徐々に崩れ、人外の化物へと変貌していく。


「……何だよ、あれ。人が……化物に」

「我々はあやかしと呼んでいる。門をくぐらずに現世の穢れを受け続けた魂の成れの果てだ。あれは雑魚だが、他者の天命を捻じ曲げるほどの力を持つ魂なら、もっとおぞましいものへと変異する」


 あの異形の化物が『雑魚』と言うなら、強力な妖とはどのような姿をしているのだろうか。


「……来たぞ」


 いつの間にか真正面から妖と対峙している人影が見えた。遠目からなのでわかりにくいが、体格や髪型から見て女性だろう。黒いコートに身を包む姿は、相手が自分の親指ほどに見える距離から見ても迫力があった。


 手にしているのは刀だろうか。コート同様、黒い棒状のものを顔の前に掲げている。そして次の瞬間。女性の足元から黒い炎が立ち上り、あっという間の彼女を覆いつくす。


「あれは」


 黒炎が晴れると、そこにあった女性の姿は漆黒の鎧をまとう何かに変わっていた。鎧姿になっているだけで人としての形は崩れていない。しかしその姿は対峙している妖以上に恐ろしいものに見える。一寸先すら見えない暗黒を更に凝縮したような深い闇が、人の形となってそこにいると言ったところか。


「死の理を正す隠世の番人にして、現世の不浄を狩る者。その身果てるまで戦う宿命を自らに科した咎人。ウォーデッドだ」


 十六夜が言ったように、あの妖は雑魚の部類だったのだろう。ウォーデッドは手にした刀を振るい、一撃で妖を両断していた。


「あのどちらかが、お前の行く道だ。尤も、裁かれる方を選ぶのなら、妖に堕ちる前だがな」


 ウォーデッドによる裁きを受けるか、それともウォーデッドとしての宿業を背負うか。颯は選ばなくてはならないのだ。とは言え、そう簡単に答えが出るはずもない。


「あまり腰を据えられても困るが、ここにいれば現世の穢れの影響は少ない。町の散策でもしながら、ゆっくり考えるといい」


 それだけ言い残し、十六夜は元の屋敷の方へ去って行ってしまった。

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