第4話:ディアラドの贈り物
セイリーンは両親に抱きかかえられるようにして足早に廊下に出た。
侍女のケイトもすぐ後に続く。
身内に囲まれ、こらえていた涙が溢れだす。
「うっ……」
「セイリーン、偉いぞ。よく堪えた。ケイト、客間へ!」
「はい!」
ケイトが先導して客室に着くと素早くドアを開けた。
サイラス公爵家に用意された広い客間で、セイリーンはソファに腰を下ろした。
ケイトがそっと優しく顔にタオルをあてがう。
父の大きな手がそっとセイリーンの頭を撫でた。
母は隣でずっとむせび泣いている。
「……申し訳ありません、お父様、お母様。こんなことになるなんて……」
「セイリーン……やはりおまえも寝耳に水だったか……」
「はい……まったく聞いておりませんでした」
うつむいたセイリーンの肩を父がいたわるように触れた。
「いいんだ、そんなこと。それよりこんなにもおまえを傷つけて……王太子といえど……」
父の声が怒りに震えている。
「そうですわ……あまりにも酷すぎる……」
母がわっと泣き崩れる。
「それにしても、うまくあしらわれたものだ。よく錬られた計画としか思えん。王太子のみならず、国王からも公に謝罪と慰謝料の申し出――これでは反論する余地がない」
悔しそうな父に、セイリーンは慌てて言った。
「私なら大丈夫です。婚約破棄を受け入れます」
ここで楯突けば父の立場が危うくなる。
「セイリーン……」
「残念ですが、私も自分に気持ちのない方に嫁ぐのはつらいです」
「で、でもひどいです! こんないきなり、だまし討ちみたいで!」
ケイトが我慢できないというように叫んだ。
ケイトの
「もっと他にやりようがあったんじゃないですか!? お嬢様は10年もずっと王妃になるため努力して、ルシフォス様に寄り添って……」
「ケイト……」
「私はずっとお側で見ておりました! 悔しいです! こんな……こんなあっさり切り捨てるように!」
「ありがとう、ケイト。心配させてごめんね」
悔し泣きをしているケイトの髪をそっと撫でる。
やはり父もケイトも、自分と同じように違和感を覚えている。
仮にも10年もの間婚約者だった相手にするやり口ではない。
セイリーンの面目が丸つぶれになるのも辞さない慈悲のなさだった。
傲慢で強引な面もあったが、セイリーンの知っているルシフォスは底意地の悪い人間ではなかった。
(でも、心を割って話したことはなかった……)
(憎まれていたのだろうか……)
(それとも、こんな扱いをしていいと軽んじられていたのか)
(どちらにしろ、悲しい……)
だが、ここでセイリーンが泣き崩れれば、周囲の者が余計につらくなるだけだ。
心配をかけまいと背筋を伸ばしたとき、廊下からざわめきが聞こえた。
「ダメです、ディアラド様!」
聞き覚えのある声がした。
ディアラドの側近のキースという青年の声だ。
セイリーンは耳がよく、人の声はすぐ覚えられる。
「うるさい、忘れ物をしただけだ、どけっ!」
いきなりドアが開いたかと思うと、黒い魔獣のマントを翻したディアラドが入ってきた。
「なっ……!」
突然の他国の王の
「ディ、ディアラド陛下! な、何しに! いきなり部屋に入るなど……ノックもせずに……娘はまだ混乱して……」
どこから突っ込んでいいのかわからないというようにオーブリーが取り乱す。
「お、お父様、落ち着いて……」
「ディアラド様! 止まってください!」
必死でとめようとするキースの手を振り払い、ディアラドがつかつかと歩み寄ってくると、オーブリーに頭を下げた。
「サイラス公爵、先程はいきなりのご息女への求婚、失礼した! 礼を欠いていたことに気づいて来た!」
「れ、礼を欠いてって……」
オーブリーが絶句する。
ディアラドがセイリーンの方へと向き直る。
「セイリーン!」
「はっ、はい!」
よく通る堂々とした声に、セイリーンは思わず返事をしていた。
ディアラドが真っ白な布包みを差し出す。
「これを受け取ってくれ! 求婚の時には宝石を贈るのだろう!?」
「ほ、宝石……?」
求婚の時は宝石の付いた指輪を贈るのが、ミドルシア王国の習わしではある。
だが、グレイデン王国では宝石そのものを贈るようだ。
ディアラドが差し出した高級そうな布から、美しい青い宝石が出てきた。
「おお……」
「わあ……」
初めて見る宝石の輝きに、両親とケイトが思わず感嘆の声をもらす。
「これは
影の谷でしか取れない貴重な石で、精霊の力が宿っている。何よりそなたの瞳のように美しい。これならば求婚にふさわしいと思い持ってきた!」
「影の谷?」
セイリーンが首を傾げると、ディアラドの傍らでキースがため息をついた。
「グレイデン王国の奥地にある魔物がいる谷で、人は誰も近づきません。王がどうしても行く、と言うので俺が付き添いました」
キースがディアラドの奔放な振る舞いにほとほと疲れたように眼帯を押さえる。
「辺境には魔物がいると聞きましたが、やはり――」
オーブリーが恐る恐るディアラドに尋ねる。
「ああ。人の目の届かない場所――奥深い山や森、谷、洞窟には魔物がいる」
「そうですか――この国ではまず見ないものですから」
「我が国でも同じだ。長年の領土争いの末、人里には滅多に現れなくなったからな。だが、稀に街道などに現れることがある。その場合はすぐに軍が対応しているので、ここ数年魔物による人的被害はほぼない」
「そうなんですか……」
珍しい辺境の国の話に、オーブリーが興味深げに頷く。
「この聖青石は魔物や呪い除けにもなる。だから――その、気に入ったのなら受け取ってほしい」
セイリーンはじっと純白の布に包まれた青い宝石を見つめた。
「どうだ? 気に入らなかったか? ダメか? もっとでかい石がいいのか? それとも別の――」
「い、いえ、あの……」
「王、前のめりすぎです」
ぐいっと顔を近づけて矢継ぎ早に質問するディアラドを、キースがマントの襟首をつかんで引き戻す。
「ご令嬢が怯えております」
「そ、そうか! 女性に贈り物を渡すのは初めてだから気になって、その――」
「あ、ありがとうございます」
「気に入ったか!?」
「……とても美しく、貴重な宝石をありがとうございます。
でも――受け取れません」
セイリーンがきっぱり言い切ると、ディアラドががっくりと床に手をついた。
「あっ、ディアラド様!」
セイリーンは慌てて床にひざまずいたが、ディアラドに触れることは
ディアラドは他国の王なのだ。気軽に触れていい人ではない。
「気に入らなかったか……」
魔獣のマントを身につけたディアラドが床にうずくまる姿は、まさしく漆黒の獣のようだった。
「王、早く立ってください。でかい図体をして見苦しいです」
キースが臣下とは思えない辛辣な言葉を放ったが、ディアラドはうずくまった姿勢を崩さない。
悲しみに打ちひしがれた黒い狼のような姿に、ケイトが口で手を押さえて笑いを堪えている。
両親はどうしていいものかわからず、セイリーンとディアラドを交互に見ておろおろとするばかりだ。
セイリーンは今この場を打破できるのは自分しかいないことに気づいた。
「違います……違うんです、ディアラド様!」
セイリーンの声に、ゆるゆるとディアラドが顔を上げた。
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