第29話:湖畔にて

「日が沈む前に着けてよかった」

 狩りを終えた一行は、昼過ぎに湖畔こはんに着いた。


「うわあ……」

 目の前に広がる美しい湖に、セイリーンは思わず声を上げた。

 澄んだ青い空と対になったかのような湖が視界を埋め尽くす。


「お、大きいんですね」

「グレイデン王国ではそうでもない。中規模の湖といったところだ」


 馬車を降りたセイリーンはそっと湖畔に近づいた。

 驚くほど澄んだ水はため息がもれるほど美しい。

 光を反射した水面が煌めき、時折吹く風に水面がさざ波を起こす。

 いつまでも飽きずに見ていられる光景だ。


「セイリーン、こっちだ」

 湖に桟橋さんばしがかけられ、その先にカウチとテーブルが置かれるスペースが作られていた。

「湖上の休憩スペースだ。ここでゆっくり過ごすといい」


 てきぱきとテーブルの上にお茶とお菓子が用意される。

「寒くなったら、これを使え」

 ディアラドがふわりと毛皮をかけてくれる。

 ケイトがテーブルの上にベルを置く。

「何かあったらベルで呼んでくださいね。すぐ近くにいますから」

「ケイト……」

「せっかく静養に来たのですから、お一人の時間を楽しんでください」

「俺たちは別荘のテラスにいる。そこからなら、異変があればすぐ駆けつけられる」


 ディアラドたちが立ち去ると、セイリーンは穏やかな光の差す湖上に一人になった。

「ああ……」

 誰の目もない一人だけの空間。

 目の前に広がる穏やかな光景。

 セイリーンはカウチの上で大きく伸びをした。

 優しい風が髪を揺らせる。

 そして、その風が静かに湖の上を凪いでいく。

(願いが叶った……)

 セイリーンは今だかつて経験したことのない解放感に包まれた。

(気持ちいい――)

 毛皮にくるまりながら、セイリーンは揺れる水面をずっと見つめた。

 日が沈み始めると、湖上が赤く染まっていく。


「お嬢様、そろそろ夕食にしませんか?」

 ケイトが呼びに来るまで、セイリーンは湖上での時間を満喫した。


        *


 夕食後、部屋にディアラドがやってきた。


「父君から手紙が届いている」

「ありがとうございます!」


 父からの2通目の手紙も安堵と感謝に満ちていた。

 セイリーンはディアラドの狩りに同行したこと、美しい湖畔で静養できたことをしたためた手紙をディアラドに渡した。


「銀月豹の毛皮はなめしてそなたに進呈しよう。土産にするといい」

「で、でもディアラド様が狩ったもので、私がいただくのは――」

「何を言っている! そなたのために狩ったのだ。これは最初からそなたのものだ」


 ディアラドがハッとする。

「も、もしかして重荷なのか? そなたに対価を求めたりはせぬ! ただの贈り物だ!」

 ディアラアドの慌てように、セイリーンはくすっと笑った。

「わかりました。いただきます」

「そうか、よかった!」

 ディアラドがホッとしたように微笑んだ。


「そなたは何も遠慮する必要はない。返礼せねばと思う必要はない。グレイデン王国では、愛しい女に男が貢き物をするのが当たり前だ。それに慣れてほしい」

「……でも」

 一方的に贈り物を受け取るのは抵抗があった。

 セイリーンの心を読んだかのようにディアラドが続ける。

「たとえ山のように贈り物をもらったとしても、それに応えるかどうかは女性の自由だ。何も気兼ねする必要は無い」

「で、でも、それでは……一方的に女性だけが得をすることに……」

「何を言っている? 愛しい女性はいてくれるだけで充分価値があるのだ。贈り物を受け取ってもらうことは男にとって喜びだ。贈り物に気に入ってもらえたならば、最上のほまれだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「……」


 セイリーンはディアラドから差し出された青い宝石を思い出した。

 あれもセイリーンの喜ぶ顔が見たくて贈ってくれただけなのだ。


「宝石のこと……受け取れなくて申し訳ございません……」

「気にするな! こちらが勝手にやったことだ。他国の令嬢に不躾だと散々キースに怒られた。贈り物を受け取るのも断るのも、もちろん自由だ。グレイデンの男はそんなこをと気にしたりはしない。新たな贈り物を考えるだけだ。それもまた楽しい」


 ディアラドがそっとセイリーンの肩に手を置いた。


「セイリーン、肩の力を抜け。俺に気を遣う必要はない。思うまま行動すればいい。

何があっても俺が守るし、そなたの望みは何でも叶える。それが俺の喜びだ」


 当たり前のようにディアラドが語った言葉は、セイリーンにとって驚き以外のなにものでもなかった。


「なんで……そんなに大事にしてくださるんですか?」

「好きな女を大事にすることに理由などない。したいからするだけだ。女性は難しく考えるのだな……あっ、キースがいたらまたどやされるな。すまん、俺は女性の心の機微がよくわからないのだ」


 ディアラドがため息をつく。


「ずっと王にふさわしい人物になるよう努めてきたが、女性の扱いをおろそかにしてきたことを今は後悔している。これからはもっと努力するから……嫌わないでくれ」

「嫌うなんて……」

「気の利かない男は女性にいとわれる、と散々周囲の人間から言われてきたが、鼻にもひっかけなかった。今、彼らの言っていた意味がよくわかる……」


「ディアラド様はとてもお優しいです!」

 セイリーンは思わず声を上げた。

「気が利かないなんて言わないでください! 私だって殿方が何を考えているのか、何を喜ぶのかなんてわからないです。でも、ディアラド様が私を気遣ってくださっているのは伝わってきます」


 ディアラドが言葉を尽くし、自分の思いを伝えてくれた。

 セイリーンはたどたどしくも、それにこたえたかった。


「私は今、これまでにない解放感と充足感に満ちています。ミドルシア王国にいたままでは、決して叶えられなかったでしょう。本当に感謝しています」

「俺も感謝している。何度でも言うが、一緒に来てくれて嬉しかった」


 セイリーンとディアラドは顔を見合わせてくすっと笑った。

 異性の心にうとい二人だからこそ、こうしてきちんと言葉にして気持ちを確認することが大事だと互いに感じたのがわかる。


「明日もここでのんびり過ごすといい。長旅で疲れただろう。ゆっくり休め」

「はい……」

 ディアラドが静かにドアを閉める。


 セイリーンベッドにそっと横たわった。

 狩りの時に馬上で強く抱きしめたディアラドの感触がまだ残っている。

(すごく安心できた――)

 セイリーンは安らかな気持ちで眠りに落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る