第28話:王との狩り

 馬上のディアラドが伸ばした手を、セイリーンはおそるおそる握った。

 

「きゃっ!」

 ぐいっと力強く引き上げられ、セイリーンは思わず声を上げた。

「大丈夫だ、力を抜け」

 ディアラドは軽々とセイリーンを持ち上げると、ふわりと自分の前に乗せた。


 セイリーンはくらの上に横向きに腰掛けることになった。

「私も鞍にまたがった方がいいですか?」

「そのままで大丈夫だ。しっかり俺につかまっていろ」

「えっ」

 馬の鞍をつかむ気でいたセイリーンは驚いたが、確かに横向きでは安定が悪い。


「マントの中に手を入れて俺の背中に手を回せ」

「は、はい!」

 迷う暇もなく、ディアラドの胸にぴたりと体を密着させ、背中に手を回した。

 鍛え上げた体の感触が体温と一緒に、じかに伝わってくる。

(う、うわ……男性の体ってすごく硬い……)

 こんな風にしっかり男性に触れたことは、婚約者であるルシフォスにもない。

 ルシフォスからは軽く抱き寄せられたり、頬にキスされたくらいだ。


(私たちには常に距離があった……)

 親同士の決めた婚姻という遠慮、そして、いつも侍従たちの目があった。


「お嬢様! 大丈夫ですか?」

 ケイトの心配そうな声にハッとする。

 地面を見下ろすと、思ったより遠かった。

(そうだ、馬って大きいんだ……)

 この高さで落ちたら死ぬ可能性もある。

 だが、不思議と恐怖感はなかった。


 ディアラドのがっしりした体躯は馬上でも揺らぐことはなく、耳から伝わる彼の心音も安定している。


「大丈夫よ、ケイト。しっかりディアラド様につかまっているから」

「もしセイリーンが手を離しても俺が抱えるから大丈夫だ」

「で、でも!」

 ケイトが不安でいっぱいの表情でセイリーンを見つめる。


「そんなに心配なら、ケイトさんも一緒についていったら?」

 キースが仕方ないというように馬車から降り、馬に飛び乗った。

「俺が乗せてってやるよ。うう……頭痛いけど何とかなるだろ」

「ええ!? キース様の馬に私が!? しかも二日酔いの!?」

「何だよ、その不安しかない態度は!」

 キースががしがしと若草色の髪をかいた。


「そんなに頼りなく見えるかなあ、俺。元々森の民だし……。こいつに付き合って狩りもしてるし、ついていくだけなら大丈夫だろ」


 ケイトがおろおろとしていたが、ようやく決意したように頷いた。

「お、お願いします!」

「はい、じゃあ、ケイトさんは俺の後ろに乗って。ディアラドみたいな真似はできないから、しっかり馬にまたがって」


 兵たちに手伝ってもらい、ケイトがキースの背後に乗った。

「俺の腰に手を回して――ぐえっ! ケイトさんきつく締めすぎ! 吐く!」

「あっ、すいません! 思ったよりずっと細いんですね」

「肉がつきにくい体質なんだよ! てか、ケイトさんは思ったより胸がでか――いでででで! 背中に頭突きするのはやめてくれ! こっちは二日酔いなんだよ!」

 馬上でキースの背に頭を叩きつけ続けるケイトに、セイリーンはハラハラした。


「ケイト、大丈夫なの? ここで待っててくれていいのよ?」

「いえ! ここでじっと帰りを待つよりずっとマシです! いざとなれば、キース様に代わって私が手綱たづなを取ります!」

「えっ、俺、馬から蹴落とされるの?」

 愕然としたキースに小さく笑ったディアラドが、軽く馬の腹を蹴った。


「大丈夫そうだな。では、行くぞ」

 ディアラドが静かに馬を走らせ始めた。

 セイリーンは衝撃に備え、ディアラドの背に回した手に力を込めた。

 ふわりとディアラドの黒い魔獣のマントがひるがえる。


「……っ!」

 周囲の景色が飛ぶように過ぎ去っていく。

 馬が地面を蹴るたびに、振動が伝わってくる。

 なのに――セイリーンは自分でも驚くほど落ち着いていた。

 ディアラドの腕の中に包まれているという安心感が大きい。


「どうだ、セイリーン。大丈夫か?」

 ディアラドの声が上から降ってくる。

「は、はい」

「安心しろ。こいつは恐れを知らないいい馬だ」

「それがいい馬の条件なのですか?」

「狩りにはな。獣を見て怯えるような馬だと振り落とされたりする。こいつはたとえ相手が魔獣でも向かっていく。勇敢で主人思いの馬だ」

 ディアラドが片手を手綱から放し、ねぎらうように軽く馬の首を叩いた。


「行くぞ」

 ディアラドが小さく声をかけた瞬間、馬のスピードが上がった。

「いた」

 背後からディアラドの押し殺した声が聞こえる。


 セイリーンは慌てて周囲を見回したが、豹の姿は見えない。

 だが、ディアラドの目は獲物をとらえたようで、手綱を操り急激に方向転換する。


「豹のやつ、一瞬、迎え撃つか迷ったな。その迷いが命取りだ」

 ディアラドが薄く笑む。

 爛々と輝く金色の目にセイリーンは見惚れた。

 馬がぐんぐん加速していく。


「あ――」

 ようやくセイリーンも前方を走る銀月豹が見えた。

 想像以上に大きい。灰色狼くらいはあるだろう。

 大型の獣は馬でも引きずり倒せるほどの力があると聞く。


 だが、ディアラドはまったく恐れることなく、一気に豹に迫った。

「セイリーン、俺にしっかりつかまっていろ!」

 そう言うと、ディアラドが右手を手綱から離した。

 鞍につけていた槍を引き抜いて、一瞬にして投擲とうてきの構えを取る。

(は、早い!)


 片手を離しているというのに、ディアラドの体幹はまったくぶれない。

 ぐん、とディアラドの体がしなった。

 シュッと空気を切り裂く音がし、前方を走っていた豹の体が大きく跳ねた。


 草原に倒れる豹にディアラドが近づいていく。

 首を槍で刺し貫かれた豹は、まったく身動きをしていなかった。


「すごいです! たった一撃で!」

「すごいのはそなただ。初めての狩りだというのに、とても落ち着いていた」

 ディアラドの顔には、同じ体験を共有できた喜びが浮かんでいた。

 勇気を出してよかったと思わせる笑顔だ。

(ああ、この方は本当に素直に感情を表してくれる……)


 いつもルシフォスが何を考えているのかわからず、おどおどと顔色を窺っていた。

(なんて不自然な関係だったんだろう……)


「やったな! ディアラド!」

 少しして、キースたちの馬も追いついてきた。


「お嬢様! 大丈夫ですか!?」

「ケイト、大丈夫!?」

 お互いの安否を同時に確認し合い、セイリーンたちはふきだした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る