第39話:暴走

「差し出がましいぞ! それが王太子に頼む態度か!」


 ルシフォスの怒気に、ダリアリアが静かに頭を下げた。

 見事な赤い髪がさらりと揺れる。


「出過ぎた真似まねであるのは承知の上でのお願いです。このままですと工期が遅れ、再開の目処めどが立ちません。ミドルシア王国の海運業は他国にどんどん遅れを取ります」

「わかっている!」


 ミドルシア王国は大陸の中心にある。

 大きな川もあったため、陸路と併せて交易に問題はなかった。

 だが、今後の発展を考えると必要な事業だった。


「では、ご決断を。事態を素早く収められれば、ルシフォス様のご評価も上がりましょう」

「……」

 丁寧な物言いだったが、押しのが強さが気にさわった。


(まるで俺が従って当然、と言いたげだな……)


 ダリアリアは頭がよく、物怖ものおじしない。

 寡黙かもくで奥ゆかしかったセイリーンと真逆だ。

 そこが魅力的だったのに。


(なぜだ……。セイリーンとの婚約は無事に破棄した。ほどよい時期にダリアリアとの婚約を発表し、王太子妃とする……。すべてが順調にいっているはずなのに)


 苛立ちは収まらないどころかひどくなっている。


「私は王太子だぞ、ダリアリア!」

「もちろん存じております。敬愛するルシフォス殿下」

 ダリアリアが再び静かに頭を下げる。

 だが、顔を上げたダリアリアの緑色の目には、たじろぐような強い光があった。


「……グレイデン王国も現在港町を立ち上げております。あちらはもうほぼ完成に近く、現在は海路を使った交易について各国と調整中だとか」

「なんだと! なぜそなたがそんなことを――」

「お恐れながら、我がモルゲン家はミドルシアの交易を取り仕切っております。他国の海運に関する情報は常に集めておりますゆえ」


「で、グレイデン王国の港町がなんだというのだ!」

「グレイデン王国の本格的な外交政策、大規模な交易が始まろうとしている、ということです」

「それがどうした! あんな辺境の田舎者の集まりに何ができる! 獣の肉や毛皮を運ぶくらいが関の山だろう」

「……」

 ダリアリアは答えなかった。

 だが、その冷たい表情から賛意でないのは明白だった。


「とにかく、私はディアラドに頭を下げるつもなど毛頭ない! そなたたち侯爵家の人間が交渉したらいいであろう!」

「グレイデン王国は王領だけでなく、各地に部族がいます。それぞれ文化も風習も違う、強大な力をようする者たち。そのすべてを統括している王の力はあなどれません」

「……」

「ディアラド陛下は即位を見越して、すべての部族を訪ねて回ったらしいです。各部族の長老たちに認められ、最強と言われる魔獣を討ち取った方です」


「ずいぶんな誉めようだな! あんな野蛮人を――!!」

 ルシフォスはテーブルに置かれた花瓶を怒りにまかせてなぎ払った。

 割れた破片とバラバラになった花が床に飛び散り、無惨な水たまりが広がる。


「ルシフォス様……」

「私は今、慰められたいのだ! なのに、そなたは神経を逆なでするようなことばかり! そんな調子では、結婚はおろか婚約も無理だな!」

 幼子のように癇癪かんしゃくを起こし、好き放題わめき散らしたルシフォスはハッとした。


 ダリアリアの眼差しは、まるでてついた氷河のようだった。

 ルシフォスは思わず唾を飲み込んだ。


「ご無礼をお許しください。失礼致します」

 ダリアリアがきびすを返し部屋から出ていったあと、ルシフォスはようやく声を出すことができた。

「待っ……」

 だが、ドアは無情にも閉ざされている。

「くそっ……」


 セイリーンならば脅しつければ慌てて謝罪し、必死でご機嫌をとってきた。

 ダリアリアの冷ややかな対応は、ルシフォスの想像の埒外らちがいだった。

(ダリアリアは王妃という地位と権力が欲しいと思っていたのに……)

(それはセイリーンの方だったのかもしれない)


 まるで用済みだと言わんばかりのダリアリアの態度に、ルシフォスは舌打ちした。


「ああ、くそっ……!」

 ルシフォスはどかっと椅子に腰掛けた。

「……疲れたな」


 無性に酒が欲しくてたまらない。

 ルシフォスは棚から酒を取り出し、グラスに注いだ。

 香り高い酒を一気に飲み干す。

 だが、カッと喉が焼けるような爽快な感覚はあっという間に消え失せて、口の中に苦みだけが残った。

 酒の力を借りても、全然気が晴れない。


「あああああああ!!」

 衝動に身を任せ、ルシフォスは叫びながら手当たり次第に部屋のものを破壊し始めた。 

 椅子を蹴り倒し、棚の物をたたき落とし、カーテンを力任せに引きちぎる。


(ダメだ……)

 ぐしゃぐしゃになった部屋の惨状に少し頭が冷えてきたが、それでもまだ胸にたぎる怒りが燃えさかっている。


「セイリーン……」

(そうだ、こういうときはセイリーンを呼びつけて歌を歌わせた……)

 どうしようもなく感情がたかぶっているときでも、彼女の歌を聴くと心がすうっと楽になった。

 独り占めしたくて、他の人間のために歌うな、と厳命した。

 だが、セイリーンがルシフォスのために歌うことはもうないだろう。


「つっ……!!」

 暴れたときに手を切ったらしい。

 ルシフォスは血が滲む手のひらをじっと見つめた。

 失ってから気づく。

 それがかけがえのないものだった、と。


(いや、まだ取り返しはつくはずだ……)

(くそっ、なぜセイリーンはグレイデン王国などに行っている!)

 ルシフォスは歯がみした。

 まさかセイリーンの不在が、ここまで自分を不安定な気持ちにさせるとは思わなかった。


(それというのも、全部あのディアラドとかいう、辺境の王のせいだ……)

 自信に満ちた足取りで、セイリーンの前へと歩み寄った姿が浮かぶ。


(あいつさえいなければ、セイリーンは国内にいたし、俺の手元に置けたのに……)

(野蛮な民族のくせに、ミドルシアの公爵令嬢を手に入れようというのか……!!)


 あの勝ち気なダリアリアが、ディアラドを認めているのも気にくわない。

 自分はこの大陸で最も歴史ある大国、ミドルシア王国の次代の王なのだ。

 辺境の国の王などに、馬鹿にされるわれはない。


(セイリーンは必ず連れ戻す……)

(ディアラド……あいつさえいなければ……)


 ルシフォスは立ち上がり、侍従を集めると自分の宮へと急いだ。


(ダリアリアの言うとおりだ。事態は一刻を争う)

 ルシフォスはいまだかつて無いほど頭を回転させ、計画を練り始めた。


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