第40話:公爵家の受難

「ルシフォス殿下……。いきなりご訪問とは、何か急用でも?」

 公爵家に戻ったオーブリー・サイラスは、戸惑いながら玄関に立つルシフォスを見つめた。

 王太子であるルシフォスが何の前触れもなく、数人の侍従だけ連れてお忍びで訪問してきたのだ。


「話がある」

 それだけ言うと、ルシフォスは口を閉ざしてしまった。

 無表情のルシフォスに胸騒ぎを覚えながらも、オーブリーは仕方なく館に招き入れた。


 客間に通されたルシフォスは無言のまま、何かを探すように室内を見回している。

「ルシフォス殿下、いったい何のご用で――」

「ふむ……。珍しい布を飾っているな。それにその花瓶も。見たことのない模様に色づけだ」

「これは――どちらもディアラド様からいただいたものです」

「セイリーンを渡す代償にもらったのか?」

「は?」

「セイリーンは今、グレイデン王国にいるのだな?」

 ルシフォスの追及するかのような刺々とげとげしい口調に若干じゃっかん驚いたものの、オーブリーは平静を装った。


「そうです。静養が必要な状態だったのと、娘がぜひにと望んだので」

 娘が望んだ、という所を強調して伝えると、ルシフォスの頬がぴくりと引きつった。


「しかし、大事な娘をよく遠い異国にやろうなどと思えたな。グレイデン王国のことも、ディアラドのことも、よく知らぬだろうに」

「……短い間でしたが、ディアラド様とお話しして信頼にる方だと思ったからです。実際、娘も私たちもとても大事にしていただいております。書簡のやり取りをしてセイリーンの様子がわかるようにする、とのお約束もきちんと守っていただけています。誠実な方です」


 皮肉が伝わったのか、ルシフォスの顔が引きつった。


(娘をあっさり捨てたくせに、今更干渉してくるとは厚かましい……)

 どうやらルシフォスは用事ではなく、セイリーンの動向を探りに来たようだ。

 どうやってこの自分勝手な王太子を無難に追い返そうかオーブリーが思案していると、ルシフォスが声を掛けてきた。


「……その剣は?」

 ルシフォスが壁に飾ってある、立派な鞘に収まった剣を指差す。

「グレイデン王国の紋章が入っているな。まさかディアラドの剣か?」

「ええ。これはディアラド様の王剣です。セイリーンを必ず無事に帰すあかしとして、我が家でお預かりしているのです」

「フン……」


 ルシフォスがにやりと笑った。

 その笑みはオーブリーの背筋を凍らせるのに充分だった。


「例の魔物を斬るという剣か。そうか……。こんな危険なものを公爵家が所持しているとはな……」

 ルシフォスが無造作に王剣を手に取る。

「ルシフォス殿下! それは他国の王の持ち物ですぞ!」

「だが、ここはミドルシア王国。この国にある者はすべて王のものだ」

「あなたは王ではない!」

 叫んだオーブリーに、ルシフォスが冷ややかな眼差しを向けた。

「ほう……? 王太子とはなんだ、サイラス公爵」

「……次の王を継ぐ者です」

「そういうことだ。これはもらっていくぞ」

「なっ……」

 思わず立ち上がったオーブリーをルシフォスの近衛兵たちが取り囲む。

「さて、そなたにも来てもらおうかサイラス公爵」


       *


 オーブリー・サイラスが馬車に乗せられ連れてこられたのは、王都から一時間ほどの距離にあるルシフォスの領地だった。


 本館の地下にある部屋に連行され、粗末な椅子に乱暴に座らされる。

 ルシフォスが目の前に便せんとペンを置いた。


「今から言う私の言葉をセイリーンへの手紙に書け。急病のため王城で医師にかかっている。すぐ戻ってきてほしい、と」

「なんですか、これは――」

「言うとおりにせねば、セイリーンを国家反逆罪で捕らえる。敵国に情報を流した重大な罪だ」

「馬鹿な! グレイデン王国とは友好国の盟約を――」

「ああ。10年前だったか? そんな付き合いの短い友好国との絆など簡単に引き裂ける。しかも、グレイデン王国は名にしう武力の国。内心、恐れている者も多い」


 ルシフォスがオーブリーの手にペンを無理矢理握らせる。

「父王は私とおまえのどちらの言葉を信じるかな?」

 すっと近衛兵がオーブリーの首にナイフを突きつけた。


「おまえが書かないと言うのならば、次は公爵夫人に来てもらうことになる」

「なっ……!」

 オーブリーは驚いてルシフォスを見上げた。

 初めて目にする、ルシフォスの陰鬱な顔に息を呑む。

 ルシフォスの青い目には、暗く静かな炎が宿っていた。

 甘やかされ、大事に育てられた朗らかな王太子の姿はどこにもなかった。


(一体、何がルシフォス殿下をこんな風に変えた?)

(思い通りに婚約破棄をし、自由の身になって満足したはずではないのか?)


「手紙を書き終わったらグレイデン王国の使者に託す。毎日書簡のやり取りをしているのだったな?」

「……っ!」


        *


 ルシフォスは地下の部屋を出ると、ダリアリアを待たせている客間に行った。


「ルシフォス様? 何か裏口が騒がしかったようですけど……」

「いや、なんでもない。それよりダリアリア、魔物の件、なんとかできそうだ」

「どうやって?」

「ディアラド王に頼む」

「そうなの? 急に気が変わったのね」

 ダリアリアは驚きつつも嬉しそうに微笑んだ。

 途端に二人の間にいつもの甘美な空気が流れる。


「ディアラドは魔物退治が得意なのだろう。お手並みを拝見しよう。さて、用事を済ませたら食事にしよう。きみの好きな鴨肉が手に入ったんだ」

 ルシフォスはダリアリアの頬にそっと口づけた。

「楽しみだわ」


 ルシフォスは笑顔を浮かべて部屋を出ると、侍従に2通の手紙を渡した。

「公爵家に行ってグレイデン王国の使者に渡せ。こちらがセイリーンへ、もう1通はディアラド王宛てだ」

「かしこまりました」

 忠実な侍従は静かに頷いた。


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