第8話:セイリーンの決断

 気づいた時には、自分の部屋のベッドの上だった。


「う……」

 セイリーンはベッドの上で身じろぎをした。


 部屋にやわらかな朝陽が差し込んでいる。

 どうやら気を失っているうちに連れ帰ってもらったらしい。


「お目覚めですか!」

 そばでついていてくれたらしきケイトが、安堵あんどの表情を見せる。


「私、倒れたの……?」

「ええ。すぐさま侍従を呼んで館へと馬車でお運びしました。

かかりつけのお医者様もすぐ来てくださって」

「そう……」


疲労困憊ひろうこんぱいだったのでしょう。こんこんと眠り続けて……」

「……翌朝までずっと寝ていたのね、私」

「お医者様はしっかり静養するように、とのことでした」


 セイリーンはうなだれた。

「でも私……」

 婚約破棄されても平気だと、振る舞いたかった。


(ちゃんと今までどおり、王宮に通い、学び、社交をして――)

 想像した瞬間、吐き気が込み上げてきた。


「うぅ……」

「セイリーン様!?」

「いえ、大丈夫」


 セイリーンはふう、と息を吐いた。

 胸に重いものがつかえて離れない。

 気分転換の方法は一つしか思いつかなかった。


(歌だ……)

(歌えば気持ちも少しはまぎれるはず――)


 セイリーンは口を開き歌い出した――はずだった。


「……っ!!」

 声が出ず、セイリーンは激しくむせた。

 ケイトが慌ててセイリーンの背をさする。


「なんで?」

 普通に話せるのに、歌おうとすると声が出ない。

 まるで悲しみによって喉が塞がれたかのようだ。


(初めてだ、こんなことは……)

(これまでつらい時は歌って自分を励ましていたのに――)


 涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

 もう限界だ、と体が言っているのだ。

(胸が張り裂けそうなのに、無理に笑ったり、平静を装ったり――)

 そのことが心にどんなに負担をかけたのか、セイリーンは思い知った。


「ああ……」

 セイリーンは両手で顔を覆った。

(今は何も考えず、青空をただよう雲をぼうっと見ていたい)

(子どもの頃のように、花畑に寝そべってただただ空を見ていたい――)


「お嬢様、しばらくお休みしましょう。旦那様がどこか落ち着ける静養地がないか、調べてくださっています」

「ええ……」


 ケイトの言葉に頷きながらも不安は消せない。

 10年以上も王太子の婚約者だったセイリーンはは、どこに行っても目につく。

 国中の人間が何があったか知っている。


(憐れみと同情の視線を向けられるのは、もうたくさんだ……)

(私を誰も知らない場所に行きたい――)

(たとえば遠い国とか――)


「……?」

 ふっとカーテンの向こうに陰が映った気がした。

セイリーンはベッドから起き上がり、カーテンを開けてバルコニーに出る。


「あ……」

 バルコニーには花束が置かれていた。

 拾い上げたが、カードもない。

「誰……?」

 ここは三階だ。

 目の前には木が生い茂っているだけ。

(こんなことができるのは――否、するのは一人しか思い当たらない)


「ディアラド様……?」

 また来る、と言い残した彼の姿が浮かぶ。

 セイリーンは手にした花をじっと見つめた。

「綺麗……」

 心を癒やすような、ピンクや黄色の優しい色味の花束だった。

 ぽろりと涙がこぼれ落ちた。


 ディアラドの行動はまっすぐで嘘がない。

(そう言えば、グレイデン王国で静養すればいいと言ってくれた……)

 遠い遠い辺境の国へ行くのは正直不安しかない。

 だが、ディアラドは守る、と言ってくれた。

 その言葉は不思議と信じられた。


(このまま、ただ寝室で泣いて過ごすなんてしたくない……)

 セイリーンは起き上がり、身だしなみを整えるためケイトを呼んだ。

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