第7話:ルシフォスの裏切り

 ルシフォスとダリアリアが密かに通じ合っていたと聞き、セイリーンは呆然とした。


「えっ、でもダリアリア嬢はほとんど王都にいらしてないでしょう!?」

「ただの噂じゃなくて?」

 マリッサとカティアも初耳だったようで、驚いて他の令嬢たちを問いただした。


「そう! バレないように目の届かない場所で密かに逢瀬を楽しんでらしたんですわ!」

「ほら、ダリアリア様は国中を飛び回ってらっしゃるから、あちこちに別宅がありますし」

「ルシフォス様も王都の近くに領地をお持ちでしょう?」

「密会しているおつもりなんでしょうが、お二人とも目立つ方々だから、使用人や領民の間で噂になっていて……」

「王城にもこっそりといらした時もあったようですわ。

裏門から通って、王太子の宮で……」


「王太子の宮……」

 セイリーンはここ数年、王太子のために建てられた宮殿にほとんど足を踏み入れることはなかった。

 ただ、歌を歌うために奥庭へは立ち入っていたが、中に招き入れてもらうことはなかった。


「……っ」

 セイリーンはぎゅっと拳を握った。

 強く何かを握っていないと叫びだしてしまいそうだった。

 好きな歌を歌うことすら、制限していた。

 ルシフォスの頼みならば、と。

 だが、彼は密かに浮気をし、公の場で婚約を破棄したのだ。

 ひどい裏切りだった。


 あまりの屈辱に絶句するセイリーンに、周囲の令嬢たちも声をかけることができず凍りついた。


「お嬢様、旦那様がお呼びです」

 ケイトの言葉に、令嬢たちがホッとしたように笑んだ。

「それでは、私たちはこれで……」

「セイリーン様、あまりお気を落とさず……」


「セ、セイリーン……あの……私たちも知らなくて……」

 マリッサとカティアに声をかけることもできず、セイリーンはケイトに抱きかかえられるようにして中庭の回廊を滑るように歩いていく。


「こちらへ――」

 ケイトが中庭の奥にある花園へ誘う。

 ケイトがさっと地面に布を広げると、セイリーンを座らせた。

 植栽に囲まれた奥庭には、誰の姿もなく、セイリーンはようやく涙を流すことができた。


「ケイト……ルシフォス様に恋人がいたと知っていた……?」


 ケイトが視線をそらせる。


「……以前から、気にはなっていたんです。パーティーのときにダリアリア様がやたら王太子のそばにいるな、とか。こちらを見る視線が挑戦的だな、とか。王城には滅多に現れない方なので、余計に目がついて。でもまさか、浮気までしているとは思いませんでした」

「……」


 何も気づかなかった。

 ルシフォスは王太子だ。貴族の令嬢たちと親しく話していても、社交の一環だと気にも留めなかった。

 国王にも認められた婚約者だからと、浮気や心変わりを疑わなかった。

(あまりにも自分が愚かで情けない……)


「私もさきほど仲の良い宮女からこっそり教えてもらいました。

ルシフォス様とダリアリア様は、やはり密かにお付き合いしていたようです」

 ケイトの言葉にセイリーンは頭がくらくらしてきた。

(貴族の令嬢たち、侍女、使用人や領民たち――皆知っていたのか)


「婚約破棄に関してだけ、やたら手回しがいいというか、ソツがないな、と思ってはいたのですが……。背後にダリアリア嬢、つまりモルゲン侯爵家がついていたんですね……」


 先程のダリアリアの自分に対する振る舞いは気負いがなく、とても自然だった。

 箱入り娘の自分とは違い、外の世界で大人たちをやり合ってきた胆力のある女性なのだろう。


「ダリアリア様が王太子にいろいろ入れ知恵したみたいです。平和な時代が続いているので、王太子の代でもっと国を豊かにするべきだとか。モルゲン侯爵家は海運業に乗り出しているようですね。南に新しい港を作って、より他国との貿易を活発にしようと――」


 セイリーンはうつろな気分でケイトの言葉を聞いていた。

(ルシフォス様の力になりたいとずっと願っていた……)


 王という重圧に彼が耐えていけるよう、癒やしの存在になれればと思っていた。

 だが、彼は妻にそんなものを望んではいなかったのだ。

 自分を更なる高みに引き上げてくれる、力強く聡明な女性を求めていたのだ。

(より美しく魅力的な女性を――)


 黙り込んでしまったセイリーンを見て、ケイトはすぐさま判断を下した。


「今すぐ館に帰りましょう」

「いえ、地政学の講義が――」

「急用ができたと言付けしますから」

「大丈夫よ、ケイト」


(こういう時こそ、普段どおりに振る舞わなくては……)

(惨めで落ち込んだ姿を見せるわけにはいかない)

(私は公爵令嬢なのだから)


 心配するケイトに微笑みかけたとき、こちらに近づく足音がし、セイリーンたちは慌てて身をかがめた。


「お、ここなら誰もいないな!」

「あー、疲れた。軍隊長の剣術指南とかやってらんねえな」


 どうやら貴族の子息たちのようだ。

 口々に不満をもらす声に聞き覚えがあった。

 男爵や子爵たちの子息で、セイリーンやルシフォスと同年代の青年たちだ。


「酒は?」

「もちろん、持ってきてる」

 どっかりと地面に腰を下ろす音がした。

 間の悪いことに、酒盛りを始めるらしい。


「さっきダリアリア嬢がいたな」

「ああ、相変わらずすげえいい体をしてたな!」

 わっ、と下世話な笑い声が響く。


 立ち去りたいが、彼らの目に付きたくない。

 セイリーンは息を潜め、彼らがいなくなるのを待つしかなかった。


「昨日のセイリーン嬢は気の毒だったな」

 恐れていたとおり自分の話題になり、セイリーンは体を強張らせた。


「まあ、ダリアリア嬢が相手じゃな」

「華やかな方だからなあ。外交にも向いてるよ」

「落ち着いたら、彼女と婚約発表するらしいぜ」

「セイリーン嬢、可哀想にな」

「おまえ、慰めてきたら? 今ならコロッと落ちるんじゃね?」

「そしたら俺も次期公爵か! 悪くないな!」

「本ばっかり読んで浮気にも気づかないから、遊び放題だ!」


 わっと笑い声が上がった。


(やめてやめてやめて――)

 セイリーンが両手できつく耳を塞いだ瞬間、見かねたケイトが立ち上がった。


「あんたたち、サボってるのを軍隊長に言いつけるわよ!」

「うわ!」

 ケイトの一喝に貴族の青年たちは一斉に跳ね起きた。


「こいつ、公爵家の侍女だぜ」

「やっべ!」

「一人だぞ。やっちまうか?」

「やめとけ、ただでさえ今公爵は怒り心頭だ。矛先ほこさきがこっちに向いたら面倒だ」

「チッ。調子に乗るなよ、侍女風情ふぜいが!」


 捨て台詞を吐きながら、青年たちが立ち去っていく。


「もう大丈夫ですよ、お嬢様」

 ケイトは笑顔を浮かべていた。

 だが、その足が細かく震えているのが見えた。

 人気ひとけのない場所でたった一人、複数の貴族の青年たちを怒鳴りつけるなど、どんなに勇気がいっただろうか。


「ごめんなさい、ケイト……」

(私がしっかりしていないから。ケイトにもこんな迷惑を――)

「……お嬢様!?」


 突如セイリーンは目の前が真っ暗になり、ふらりとその場に崩れ落ちた。

「お嬢様!!」

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