第9話:ディアラドの来訪
「ディアラド様と話をしてみたい?」
「はい」
オーブリーは痛々しくやつれた愛娘の姿に眉をひそめた。
顔は青白く、目は虚ろで力がない。
大事に育ててきた娘が受けた心の傷を思うと、ルシフォスへの怒りが込み上げる。
だが、相手は王太子だ。
それに今はセイリーンを少しでも癒やす方法を考えねばならない。
(王城にいつも通り行くというセイリーンを止めるべきだった……)
医師からはとにかく静養するよう強く勧められた。
環境を変えて自然豊かな場所でのんびり過ごすように、と。
「グレイデン王国に静養に行ってみようかと思っております」
「……た、確かに異国で自然豊かだから気分転換にはよいかも知れないが……。よく知らぬ辺境国へおまえをやるのは――」
だが、国内の静養地はどこもセイリーンとルシフォスの婚約破棄の噂で持ちきりなのは間違いなく、どうしたものかと頭を悩ませていた。
「お父様が危惧されるのはわかります。ですが、以前グレイデン王国が友好国となったときの視察隊の資料を読んだことがあります」
「グレイデン王国の資料まで読んでいたのか……」
王妃となってルシフォスを支えようと、セイリーンが他国について学んでいたのを知っているだけにオーブリーは込み上げるものがあった。
こんなにも健気な娘をあっさりと切り捨てたルシフォスに対する怒りがまた再燃する。
だが、娘自身が望んでいない復讐をオーブリーがするわけにはいかなかった。
セイリーンは賢明で思いやりのある娘なのだ。
「ええ、もう何年も前の資料ですが、当時から治安もよく、王都では人々が安心して暮らしていたと書かれておりました。
「ふうむ……。
「昔は魔物による侵略や縄張り争いで過酷な戦いが続いたようですが、始祖王が統括しだしてからは部族間の争いもほぼないようです。ブレイク王の代になってからは国も豊かになり、民たちも安心して暮らしていると」
「ブレイク王は確かに……とても快活で気さくな方だったな……」
軽く挨拶程度しかしていないが、彼の人柄の良さは伝わってきた。
その息子であるディアラドは、無骨な面もありつつも相手を尊重する姿勢がある。
なにより率直な態度に好感が持てた。
「その資料のみで判断するのは危険かもしれないが……。
思ったよりも安全な国なのかもしれないな」
「ええ」
王妃となるため、他国について知識を深めていたことが無駄ではなかった。
ミドルシア王国では辺境の野蛮な国というイメージしかないグレイデン王国だが、一部の有識者の間では今後もっとも発展する可能性のある大国とされているのも知っている。
そのため、セイリーンはグレイデン王国にそこまでの
更にディアラドの真摯さは、信頼に値すると感じていた。
「ですが、これまで挨拶しかしたことのないディアラド様が、なぜ私に求婚したのかが引っかかります」
「確かに……」
「ディアラド様の真意を聞かせいただくため、館にお招きしたいのです」
「そうだな。きちんと場を設けて話をしてみよう。無論私も同席する」
「お父様、ありがとうございます……」
*
使いの者を送ると、なんとその足でディアラドが館にやってきた。
驚きつつもオーブリーとセイリーンは玄関へと迎えに出た。
ディアラドとキースが馬を下りて歩み寄ってくる。
「王に置かれましてはご足労いただきまして、その――」
戸惑いつつオーブリーが挨拶をすると、ディアラドが微笑んだ。
「いや、もともと午後には訪ねようと思っていたのだ。このたびはお招きいただき――」
礼儀正しく胸に手を当て、軽く頭を下げようとしたディアラドがハッとしたように動きを止めた。
「セイリーン! どうした! 病気なのか!」
「ああっ、王!」
キースがマントをひっつかむよりも早く、ディアラドがセイリーンの前に立つ。
「顔色が悪い! 唇も血の気がないし、目に力がない! 医師は!? 必要なら国から優秀な医師と薬師を呼び寄せる!」
「お、落ち着いてください、陛下。もう医師には診せました」
オーブリーが慌てて割って入る。
「でも、今にも倒れそうではないか!」
ディアラドがおろおろとセイリーンを見やる。
「キース! 今すぐ城に戻って俺の荷物から蜂蜜を持ってこい! ケアラマニーだ!」
「は、蜂蜜……?」
セイリーンが首を傾げると、ディアラドが力強く頷いた。
「疲労回復させる滋養たっぷりの蜂蜜だ! 無理矢理もたされたが、まさか役に立つとはな!」
「持ってきてますよ」
キースが腰につけたバッグから瓶を出す。
「はあ? なんで持っているんだ?」
「セイリーン様はきっとお疲れかと思い、お見舞いになれば、と一応」
「おまえ、気が利くな!」
「いてっ! おまえ力強いんだから、加減しろよ!」
笑みを浮かべたディアラドに背中を叩かれたキースが抗議する。
「あ、あのとりあえず館の中へどうぞ……」
またもやディアラドのペースに巻き込まれてしまったが、オーブリーは何とか落ち着きを取り戻し二人を館の客間に案内した。
「今、お茶を……」
「ああ。それから
ディアラドが銀製の匙をそっとセイリーンに渡す。
「一口で元気になるから試してみろ」
「えっ……」
「ディアラド様、強引すぎますって!」
キースが必死で止めるが、ディアラドはさっさと蜂蜜の瓶を開けてセイリーンに向かって差し出す。
蜂蜜ならば、食べても大丈夫だろう。
「では、いただきます」
匙でとろとろの黄金色の蜜をすくうと、セイリーンは思い切って口に含んだ。
「甘い……」
ふわりと優しい味が口の中に広がる。
ごくりと飲み込むと、じんわりと体の中が温かくなってきた。
「おお、少し顔に赤みが……!」
オーブリーが驚いてセイリーンの顔を見つめた。
キースが鼻高々に瓶を指差す。
「ケアラハニーは匙一つ分金貨百枚で取引される高級品なんです。その効用たるや抜群で、ミドルシア王国では特に王妃様がお求めになられていますね。今回も瓶をお持ちしたら、とても喜んでくださいました」
「そ、そんなに高価なものなんですか……!」
あまりに気楽に勧められた蜂蜜を、オーブリーたちは愕然と見つめた。
「その価値はありますよ。少量であっという間に元気になりますから。蜂蜜ですから薬と違って食べやすく、副作用もない。そして即効性がある」
「確かに……」
セイリーンは体の変化をはっきりと感じていた。
自然に背筋も伸び、声も出しやすい。
「ありがとうございます、こんな貴重なものを……」
「必要なら国からいくらでも取り寄せる! 好きなだけ食べるといい!」
セイリーンから礼を言われたのがあまりに嬉しかったのか、ディアラドが頬を紅潮させ勢い込む。
「食べ過ぎはよくありません。一日一回、匙一つずつで充分です」
キースがそっとケアラハニーの瓶をテーブルに置く。
よく見ると瓶には綺麗なラベルが貼られていた。
「こちらは差し上げますので。よかったら公爵も召し上がってください。疲れが取れますよ」
「そうですか、これはありがたい……」
まさかそんな高価な贈り物を渡されるとは想像しておらず、オーブリーは戸惑いつつ礼を言う。
「蜂蜜かー! そうかー、蜂蜜なら受け取ってもらえたのか! これは盲点だったな!」
ディアラドが感心したように頷いている。
彼の素直な喜びように、セイリーンの頬は自然に緩んだ。
「……花も嬉しかったですよ」
「え?」
ディアラドがハッとしたようにセイリーンを見た。
「バルコニーに置かれた花束……ディアラド様なのでしょう?」
「へ?」
「え?」
セイリーンの言葉に、キースとオーブリーは同時に声を上げた。
「ディ、ディアラド様、まさか娘の――」
「王、まさかこっそり令嬢の部屋に――!?」
「入ってない!! 女性の部屋に許可無く入るような無礼は働いていない!!」
ディアラドが
「バルコニーでもダメですよ! 何やってるんですか!」
キースの言葉にディアラドがぐっと詰まり、ぷいっと気まずそうに横を向いた。
「……花を置いただけだ」
「だから、自国のノリで行動しないでください! 国際問題になります!」
責め立てられたディアラドが、憤慨したようにキースを見る。
「花を贈るのもダメなのか!!」
「忍び込むのがダメなんですよ! わかってて言ってるでしょ!」
「でも綺麗な花を見つけたんだ! しょうがないだろ!!」
ディアラドとキースのやり取りに、セイリーンはぷっと吹きだしてしまった。
「ごめんなさい。私のせいでバレてしまいましたね……。でも、私は嬉しかったので、お父様もキース様もディアラド様を責めないでください」
セイリーンははっとした。皆が自分をぽかんと口を開けて見ている。
「笑った……」
父が呆然としている。
「お嬢様が……笑顔を!」
お茶を運んで来たケイトが嬉しそうに声を上げる。
「やはり笑うと更に可愛いな!」
ディアラドも笑顔になっている。
皆の反応でセイリーンはようやく気づいた。
自分がずっと無理して笑っていたことを。
「それで、今日は我が王にお話があるとか」
場が和んだのを見てとったキースが口火を切った。
セイリーンは頷き、ディアラドを見つめた。
「先日の私への求婚の件ですが……。なぜ、私と結婚したいと思ってくださったのか、お聞きしたいのです」
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